0から組み立てた自分の考えは無意味な可能性が高い

いわゆる、車輪の再発明である。つまり、先端は常に尖っているということである。

私にはこうなったらこうすると決めている友達がいる。
具体的に相手が「これ自慢なんだけど、、、」と話し始めたら「それのどこが自慢なの?」と言うと決めているそう。討論には「だるい」と言うと決めているそう。他にもあるが。

実はこの考え方、遡ること約270年前、イマヌエル・カントという哲学者が考えたことである。彼はあまりにも正確な日々を過ごすため、街の人は彼の散歩に合わせて時計の針を合わせたと言う逸話がある。

カントは無条件の義務として、自殺しないこと、自分の才能を高めること、嘘をつかないこと、困っている人を助けることの4つを義務としていた。これらは絶対にやるべきでさらにその中に優先順位を付けていた。
すると、人殺しが匿ってくれと言ったら匿わないといけない、という指針が発生する。
それはおかしいということで、その後様々な哲学に移り変わり、結局、とにかく細分化しないといけない。という結論になった。うる覚えだが。

つまりなにが言いたいかって、友達のこうなったらこうすると決める考え方はある意味もう失敗していたのだ。
現実はデジタルじゃないから全てに対して細分化は無理である。
決して、こういうときはこうする。と言う考え方を否定しているわけではない。私も家に帰ったら必ず「ただいま」と言うって決めている。
ただ生活全てをそのようにするのは無理だろう。というかそんなのロボットにやらせれば良い。

何が言いたいかというと、自分の中では最先端だと思っている考え方でもとうの昔に考えられてその結果まで出ている場合があるということだ。
少し考えればわかるが、昔の人もあなたと同じ時間の人生を過ごしている。だから自分が考えたことを昔の人が考えてても何も不思議じゃない。

つまり、車輪の再発明になってしまう。車輪の再発明はもったいない。
だから私は調べるべきだと思う。

例えば、ゲームが上手くなりたいならまず調べて、裏技や定石を知る。
その上で考える

どっかの大学のパンフレットに「先端は常に尖っている」と書いてあった。
これもこの世の本質だと思う。
先端に行くためには土台(基礎)を知らないとダメだ。
私は「先端だけを知る」というのはテストだけにした方が良いと考える。

例えば、FPSゲームでは上が有利とよく言われる。これだけを覚えるととにかく上に行きたがる。
たしかに、上は有利だが、そうでない時もある。
だから「なぜ上が有利なのか」と疑問に持つ必要がある。自分で答えを考えてもいいし、調べてもいいが「なぜか」と疑問に思い、それを解決することが大事だ。

だから、先端に行くためには土台を知る必要がある。
なぜ先端に行く必要があるのか。
自分の考えが車輪の再発明にならないように、常に先端に置く必要があるからだ。

まとめると、自分が0から組み立てた考えは車輪の再発明の可能性が高く、そうならないためには、まず知ることが大事で、先端の考えを知り、そこから自分で考えて最先端に行くことが大事なのだ。

だから考える力より情報を知る力の方が重要で、そこに+α考える力があるとむしろエリートなのではないか、と私は思う。

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