やりたいことをやるということ
かつてどっぷり功利主義的であったぼくからしてみると
功利主義的な人は、過程を楽しむ術をあまり持たない。
「やりたいこと」より「やるべきこと」を優先するからだ。「やるべきこと」をやっている間は、どちらかというと苦行に励んでいる状態に近い。
「やるべきこと」として音楽のプロを目指すと言うのは、いわゆる「好きなことで食う」を目指しているわけだが、実情はゲーム好きな人がゲームするのを楽しんでいる状態、というよりは勉強嫌いな人が頑張って勉強している状態、に近いのだ。
ぼくはもうビジネス書的なマインドの人、意識高い系の人、であることに、またはそういう人と関わることに、ほとほと疲れ果てた。
最近プログラミングを再び始めたのだけれど、ビジネス書的なマインドでやっていたころとそうでない今とでは、まったく気持ちが違う。楽しさや嬉しさが違い、視野の広さが違い、余裕が違う。
おそらくだけれど、結果も違うことになっていくだろう。もちろん、いい意味で。
やらなくてもいいけど、やる。が最強だ。
(と言い切れれば気持ちはいいけど、やるべきことを、やりたくない部分も含めてがむしゃらにやってきた土台があったうえでいまこう言えるのは間違いないので、過去の自分が間違ってたとか、ビジネス書的なマインドの人はダメ、とかでは決して、断じて、無い。やりたくないことをやってきた過去の自分を肯定した上で、「やらなくてもいいけど、やる」が最強だと今は思う。)
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