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嵐のガンベー(乾杯) by 高見邦雄(GEN副代表)

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 ほんとによく飲みました。最初のころのパイチュー(白酒)は56度か63度くらい。きっぱりと空けて、全信全意であることを証明しないと始まらないのです。こんなこと、ジマンにはなりませんけど。
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 山西省大同市での緑化協力事業は1992年1月のスタートで、それから25年も継続しました。最初から私が担当したんですけど、「私でなかったら軌道に乗せることはできなかった」なんてイバッてるんですね。無能なくせになにを、という声があがりそう。

 そのころの大同のガンベー(乾杯)はすさまじかったのです。杯がかなり大きくて、50ml前後は入ったと思います。それにパイチュー(白酒)をなみなみと注いで、ガンベーのかけ声とともに一気に飲み干し、杯を傾けて底を見せあう。一滴でもしずくが垂れようものなら、「半信半疑だ」とされ、罰杯をあけないといけない。全信全意であることをまずは乾杯で示すのです。

 パイチューはコーリャン(高粱)を中心に、米、麦、豆などを原料に造られた蒸留酒です。1990年代前半は、56度、63度といった高度酒だけでした。それが1995年、北京で第4回世界女性会議が開かれた折に、「おなごにも飲ませたら2倍もうかる」と考えた知恵者がいたんでしょう、38度の低度酒が売り出されました。3月8日の国際女性デーにちなんでのこと。

 大同の幹部には飲める人と一生分を飲み終えた人と二種類しかいない、なんて私は言ってたんですけど、飲める人も無理をしていたんだと思います。あっというまに低度酒が主流になり、高度酒といっても42度くらいで、種類も数も減ってしまいました。

 1992年の秋、2か月余り、渾源県を中心に農村を回っていたときのことですけど、この県の温増玉林業局長に私はすっかり引き込まれてしまったのです。私の宿のすぐそばに彼の自宅があったので、毎朝訪れて朝食をごちそうになり、彼の予定が農村回りだったらそれに同行させてもらいました。
 赤い塗装の四輪駆動車に白字で「森林消防」と書かれ、かなりガタのきた車でした。昼時になると小さな食堂に入り、必ず白酒を注文しました。56度のコーリャン酒がビン入りで1斤=500gが2.7元(容器持参の量り売りだと2.0元)、1元=25円くらいでした。ビールビンのような栓ですので、飲みきらないといけません。コップを並べ、3等分します。
私が「多すぎるよ」というと、温さんは私のコップから運転手のコップに移しかえます。「彼は酒が切れると眠くなります」といって。


 農家ではディナー(といっても内容はしれてます)は昼食で、酒を飲むのも昼食、お客がくるのもお昼です。幹部は夜も飲むので、昼夜、昼夜とよく飲みました。酒とタバコは分け合うものといって、自分一人で酒を飲んではいけないんですね。自分が飲みたくなったら、周囲に乾杯を呼びかけ、ガバーッといっしょにあけるわけです。
 だいぶ回ってきてから、「これが最後のいっぱいだよ」というんですけど、その最後のいっぱいが10杯以上も繰り返されたりするんですね。30年も前で、私もまだ若かったんですけど、それにしてもよく飲んだものです。

 あんなこと、私でなかったらできなかったと、自信をもって振り返ることができます。じつは鳥取の実家の屋号は「しょうちや」なんです、焼酎屋。私のひいじいさんのころ、村内だけを対象に、芋焼酎や粕取焼酎を造っていたそう。真鍮製の蒸留器の残骸が物置に入れっぱなしになっていました。
 五つ違いの兄はビール一杯で真っ赤になるほど酒はだめなので、代わりに私が英才教育を授けられたよう。大同でもどんなに飲んでも二日酔いで仕事を休むなんてことはなかった。その点については、王萍さんが証人に立ってくれることでしょう。

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