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世界の基本構造
人は、世界中に何人存在しているのか
似ているものも似ていないものもいる
同じ人種、同じ家族でも考え方は違い
感じ方も千差万別
今、世界は二分されているとも言われている
政治も経済の世界も戦争も二分されたものが相争っている
一方が他方を攻撃し排斥し
時には命の奪い合いまでする
それがどれほどの悲しみや苦しみを生み出すことを知っておりながら
それでも対立を止めようとしない
それぞれの正しさを信じ込み
その先に在る幸福というモノを追い求めている
そして、その正しさを否定する存在を打ち崩そうとする
しかし、たとえ大きく違っていても
同じような血が流れ、同じような空気を吸い
同じような時間の流れの中を生きている
物理的にはそれほどの違いは無い
ただ、心理的な違いはある
その違いは、人の数だけあるのかもしれない
図表一つで表せば次のようになるだろう
![](https://assets.st-note.com/img/1718321821091-KIfkupgdhV.jpg?width=1200)
基本、人は見て思って行動し幸福という結果を追い求めている
見方が違えば思うことも違い、行動も違ってくる
そもそも、求めている幸福感も違うだろう
そこに大きく影響を与えるのは、それぞれの心象風景である思想宗教
ただ、普段にはこの世界観の問題が浮かび上がってくることは無い
意識に上がってくることも議論されることもない
この我々が存在している世界、時間、空間、人間に対する考え方
大きく違わなくても、その微妙な違いが大きく人生に影響することは
深く考えた人には理解できるだろう
例え、同じ宗教に属して同じことを学んでいても、その立場の違い
その個性の違いによって考えも違い対立を起こす
唯物論、無神論と唯心論と有神論の違いの場合は非常に大きいモノがある
ただ、無宗教と言っていても神社仏閣で手を合わせ祈る人も居れば
信仰心があると言っていても何物を信仰しているか分からない人も居る
御利益ばかりを求めると悪魔信仰でも何でも有りの世界になるだろう
私は、思想宗教の話は好きだ
本来、一番大切なものであるにも関わらず
その話は政治に関してもそうだがタブー扱いされることが多い
この、真理を求めようとする姿勢は、どこであっても誰であっても不可欠であり、特に、政治の世界、その指導者を求めるときには特にそうだろうと思う
どんなに口が旨くても、その本心が違っておれば、その導かれた国は大きく揺らぐことになるだろう
本人の幸福の追求だけになり、国民の幸福はなおざりにされ、いずれ神の恩寵は受けることが出来ず、やがて滅びの道を歩むことになるだろう
選挙が世界中で行われるが、真理を体得した人が選ばれる仕組みが不可欠だ
無神論、唯物論で国家をまとめるべきでないことは明白だ。
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