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石井あらた「『山奥ニート』やってます。」を読んだ

「山奥ニート」の本を読んだ。最寄り駅から車で2時間、和歌山の山奥の元・小学校の校舎を利用して十数人のニートが共同生活を送っている話だった。彼らはニートと言いつつ、梅の収穫やブログ執筆などで多少の収入を得ていて、残りの時間は好きなことをやっているそう。

※2019年に執筆された本なので、今は状況が変わっているかも。現状、住人の新規受け入れを停止しているそうです。

読んで気づいたこと

自分は山奥ニートになろうとは思わなかったが、読んでいて、今後使える考え方かも?と感じることが多かったので記録しておく。

共同生活は生活コストを下げる

山奥ニートは月1万8000円で生活しているらしい。家賃がタダなのはあまりにも大きいけれど、それ以外の水道代、光熱費、通信費を全員で負担できるので一人当たりの負担が減ると感じた。

たとえば通信費。自分はいま自宅に光回線を維持するために4000円/月を支払っている。一人暮らしなので当然一人で4000円払う。いっぽうで、これを10人で払うとなれば、一人あたり400円で、ただに近い金額になる。回線の速度に神経質でない限り、回線を共有してコストを下げることが可能だ。

このように、同居する人数が増えるほど、複数人で共有して使えるリソースの利用コストが下がっていく。もちろん、人が増えると人間関係を構築したり維持したりするコストも上がるけれど。

山奥ニートたちは他人への興味が薄かったり、全員と仲良くしようとはしていなかったりして、人間関係のコストは低く抑えられている印象を受けた。人間関係が濃くなりがちな、血縁関係のある家族とは対照的なコミュニティだ。とは言っても、大勢の人が集まる以上はトラブルはどうしても起きるんだろうけれど。

「不便益」という発想

本書で「不便益」との概念が紹介されていた。不便さが生むメリットのことらしい。たとえば本書のニートたちは駅から車で2時間の山奥に暮らしている。都会に比べたらお店やインフラも貧弱で、なによりアクセスがとても不便だ。

しかしその不便さゆえのメリットがある。たとえば、気軽に行ける外食のお店が全然ないので、自然と自炊を行って、食費を抑えることができる。

また、山奥ニートに対して悪意を持っている人がいたとしても、山奥まで訪問してちょっかいをかけるのはとても面倒くさい。それだけのコストを払って山奥まで来る人は、山奥ニートに興味を持って、そこで暮らすことをある程度本気で考えている人に限られる。

本書を読みながら「もうちょいインフラの整った地方都市とかでやればいいのに」と感じたタイミングがあったけど、この不便益の考え方を知って、不便な山奥ゆえのメリットがあるのだなと感じた。

実名を使わない

山奥ニートの一員になると、山奥ネームというあだ名がついて、その名で呼ばれるらしい。フルネームで本名がわかる人は数えるほどしかいないとか。

山奥に来ると、来る前とは性格が変わる人も多いらしい。これは、名前を変えることも関連しているのではと思う。名前には、その人の生きてきた過去がつきまとっているからだ。A山B男という名前で生きてきた人は、その人がこれまでA山B男として行ってきた仕事や学業、人間関係その他すべてが名前に付随している。

匿名掲示板や、ハンドルネームを使うSNSでは現実世界と違う言葉遣いや人格になれることがあるけれど、山奥ネームはそれに近い場を提供しているのではと思う。

ミームを拡散する

本書がやっているのは、山奥ニートというミームの拡散だと思う。ミームというのは、人から人に伝わって模倣される文化や情報、技術のことだ。

時間が経って、もしこの山奥シェアハウスがなくなっても、手を変え品を変え、時代や社会に応じたシェアハウスが出てくると思ってる。まったく同じものではないにせよ。

それは著者の石井あらたさんが、こういう暮らし方、選択肢があることを多くの人に提示して、再現しやすくしたからだ。実際に石井あらたさんが開設したdiscordサーバには数千人が集まって、空き家や補助金などの情報交換、同居人募集、あるいは暇人のたまり場として活用されている。

京大二ートのphaさんがギークハウスプロジェクトを立ち上げたように、石井あらたさんは山奥ニートという生き方を示した。これを知った人たちが全員山奥ニートになることはなくても、本書で紹介された知恵のおかげで生きやすくなる人はいるんじゃないかと思う。

支援を受ける

山奥ニートたちの一部はAmazonの欲しい物リストを公開していて、その存在を知った人たちがパスタなどの食料を送ってくれるそうだ。家庭菜園で育てたニンニクと唐辛子を使ってペペロンチーノにするらしい。

「お金がなくて困ってるからお願いします!」とか一言も言っていないのに、支援されるのはなんでなんだろう。自分自身この本を読み終わったあとに、なんとなく「支援するか~」という気持ちになった。

これが正解か分からないけれど、↓のようなことが支援が集まる要因なんじゃないかと思った。
・ユニークなことをやっている
・そのことを各種SNSで発信している
・支援する方法がわかりやすい(コストが低い)

余談だけど、山奥ニートのなかには車が運転できない人もいて、その人もAmazonの配達のおかげで必要な買い物はある程度できている、という記述があった。Amazonは、商業施設の少ない地方のインフラになりつつあるんだな…など思った。

まとめ

読み終わったあとに書評や要約をいくつか見たけれど、生活費の少なさや「山奥ニート」というキャッチーさに焦点を当てているように思えたので、それ以外の要素に触れて感想を書いた。別にニートになろうとしている人でなくてもおすすめの本です。

最後に、山奥ニートのピエールさんのコメントが、山奥ニートたちの雰囲気を端的に表しているように思えたので引用しておきます。

私はここは亜人種の村だなって思うんです。 人間種に追いやられたエルフとか ドワーフとか獣人とかが、山の中に逃げ込んで隠れて住んでいる。

それまで人間種のふりをして人間の社会にいたんだけど、それが嫌になって来た人ばかりなんじゃないですか。よく「働くのが嫌」って聞くけど、本当に労働自体が嫌なのか、それとも人間と触れ合うのに嫌気が差したのか、どっちなんでしょうね。ただ働くだけなら大丈夫なのに、気持ち悪い人間関係が一緒について くるから嫌っていう人が多いんじゃないかと思います。

山奥ニートの人たちって、停電になったらみんな協力して行動しますし、水が 使えなくなったらみんなで直しに行ったりするし、意外と怠け者じゃないですよね。そう考えたら、働きたくない人が集まっているんじゃなくて、人間種が嫌になった亜人種が集まっているだけなんじゃないかな。

一口に亜人種と言っても一種類だけじゃない。その中にエルフやドワーフ、獣 人など細分化された種族がいます。それぞれ風習が違うし、信仰する神も違う。 亜人種の中には、人間種がADHDとかアスペルガーとか勝手に名前をつけてる種族もいるかもしれない。

多くの亜人種たちは人間種を装って生きています。 そのせいで病に侵されてしまうことも珍しくない。逃げるにしてもどの領域が人間種に制圧されていますから、どこに行けばいいかわからないです。 そうなるともう部屋にひきこもるしかない。

でも、そうではない別の選択肢として、集団で山に住んで、世俗の愚かな人間種たちと距離を置くっていう選択をしたのが山奥ニートなのかなって思います。 亜人種たちには亜人種たちのルールがあって、この山奥はそのルールで動いているから上手く回っているんじゃないでしょうか。

「山奥ニート」はじめました。

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