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『開けてくれ!』②(完)

あらすじ:あけない夜もあるのかもしれない…とか考えてましたが、やっとあけてくれましたね。よかった、よかった。(とあるチームの話…1勝9敗って…)



『開けてくれ!』



「停車駅が一つもないだって?そんな馬鹿なことがあるわけないだろ、○○線にそんな電車はない!“終点”…一体何言ってんだ?“終点”っていったい何のことだよ、何処のことだ!」
狼狽する馬橋の様子に薄笑いを浮かべながら男は答えた。
「さあねえ、“終点”がどこにあるのか、そりゃ私もよく知らないんですよ。いや私ばかりじゃない、誰一人それがどこにあるものなのか知るものはないんです。不思議なことにねえ」


 男の話は、依然として馬橋の理解をすり抜ける。日ごろの馬橋であればこのような荒唐無稽な話に取り合うことはなかったであろう。が、実際にいつまでも次の駅に止まらない電車、そして、その奇怪な状況に全く関心を寄せず押し黙った乗客たち、この車両に先程から馬橋の感じていた得体の知れない不安は、男の話に不気味な現実感を与えていた。そして、男が口にする“終点”という言葉は、確かな重みをもって、馬橋の心中に深く沈殿していった。馬橋は、その不安を、あるいはその言葉を、振り払うように声を荒げた。


「何処に着くのかわかんないなんてそんな電車あるわけないだろ!いや…いい…じゃあ、その“終点”…“終点”にはいつ到着するんですか?」
馬橋の焦慮を逆なでるように、男はますます緩慢に、粘り気のある声色をして答えた。
「それもまた、分からないことだねえ。この列車がいつ“終点”に着くのか、私なんかは遠い先のことだと考えているけど、ひょっとすると、意外にもう近いところまで来てるのかもしれない、これもやはり誰も知らないことさ…」
「冗談じゃない、よしてくれ!そんな変な話があるわけがない。明日は大事な予定があるんだ。俺は俺の駅で電車を降りるんだ!」
「降りる?」ここでまた男は笑いを溢した。「無理無理。そんなこと出来はしないよ。あんた《乗車券》をよく見なきゃ駄目だよ、ちゃんと書いてあったでしょう、『途中下車不可』ってね。」
馬橋は男に促されるままポケットから《タハラ》の乗車券を取り出して眺めると、男もまた無作法にその切符を覗き込んできた。
「ほらね、ちゃんと書いてある。『途中下車不可』。ちゃんと確認しないあんたが間抜けなんだよ…おや、やっぱりこの《乗車券》、タハラマサトって書いてあるね。ほんとにあんたタハラさんじゃあないの?」


馬橋の頭は、不安を通り過ぎて、煮え立つような錯乱に陥りかけていた。そして、その馬橋の錯乱する脳髄は、自身を載せて「いつまでも、どこまでも」、“終点”へ向けてひた走る電車の存在の不気味な肌触りを確かに感じていた。窓のそとには先ほどまで見えていた疎らな街明かりが何時しか消えて、長いトンネルの中にいるような平坦な闇が広がっていた。鉄輪の醸す単調な振動が、馬橋の鼓動を急き立てるように、体中に響き渡ってきた。馬橋は、藁をもつかむように、男にY駅での事の顛末を打ち明けた。


「へえ、そんじゃあんたはタハラの乗車券をネコババして、この電車に乗り込んできたってわけか。成程ね、それじゃあなんも知らないわけだな。それにしても、さてはそのタハラって男、逃げ出したな。まあ時々いるのさ、そうやっていざ出発って段になって怖気づいて逃げ出す奴がさ。」
「なあ、そんなことはいいんだ…この通り、俺はタハラってやつじゃない、その《乗車券》は俺のものじゃあないじゃないか、何とか電車からおろしてくれよ」馬橋は懇願するような調子で男に言った。
「しかし、この《乗車券》を使って電車に乗ったのはあんただろう」
「でも…とにかく間違いなんだ。車掌とか誰かに言って何とかおろしてくれよ、俺は“終点”なんか行きたくないんだ…!」
恐怖にゆがんだ馬橋の顔を眺めながら男は意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたもなかなか意気地のない人だねえ、結局そのタハラってやつと一緒なのさ、乗っちまったもんはしょうがないんだからおとなしく覚悟を決める他ないじゃないか」
あの連中を見なよ、と男は車内の乗客を顎で指した。乗客たちは、相も変わらず、呆けた視線を己がじし、ばらばらの方向へ漂わせている。
「みんなおとなしく覚悟を決めて…いるんだかどうだか、そりゃちょっとよくわかんないけど、まあとにかくこの電車に乗ってあんたみたいにじたばたしているわけじゃないだろう。奴らの方が、あんたなんかよりもよっぽど潔いと思わんのかね」
「だって、あの連中はみんな《乗車券》を持っていたんじゃないか!俺は違うんだ、俺はこの電車に乗る人間じゃあなかったんだ!」
「しかし、現に乗っている。それが全てさ」
「でも!」


興奮した馬橋の言葉を、男は遮って言った。その口調には、これまでにない冷厳さが加わっていた。
「でも、とか、だって、とかさっきから繰り返しているけれど、甘いんじゃあないのかね。大方これまでも、その、でも、だって、とか腑抜けた物言いで通してきたんだろう。まだやり直しがきく、いつか転機が訪れるそんな風に考えていたんじゃなかったのかね。甘いねえ、実に甘い考え方だ。言っておくが、ひとたびこの電車に乗った以上、これから先、そんなことは一切ない、いいかい、一切ないのさ、やり直しなどきくわけがない、転機なんていつまでも来ない。あんたはこれから、俺たちと一緒、敷かれた線路の上を一直線、ただ“終点”まで進んでいくだけさ。」
嫌だ…違う…そうじゃない…譫言のように呟くと、馬橋は扉の方に向き直り、力いっぱいドアをこじ開けようとした。
「無駄、無駄、開きっこないさ」男は懸命にドアに縋りつく馬橋の様子に薄笑いを浮かべながら言った。が、もはや馬橋に男の言葉は届かない。列車のドアは馬橋の力をものともせず、ぴったりと閉じられたままである。馬橋はいよいよ狂乱に陥って、今度はドアを拳で叩きながら、泣き叫んだ。
「開けろ!開けろ!開け!開いてくれ!」
馬橋の喚声に、男はいよいよ笑いをこらえきれなくなった。


「アハハハハハハハ」


 わき目もやらず、ドアを叩き続ける馬橋の背中に、男の嘲笑が浴びせかかる。その笑いは、何時しか馬橋の様子を注視していた乗客たちの間にも伝染した。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 僅か前までくたびれた沈黙に支配されていた車内は一転、不気味なほど賑々しい笑いに包まれた。そしてその笑いを煽るように列車の鉄輪は相も変らぬ速さで、無機質な拍子を車内に打ち付ける。だが、そんな狂騒ももはや馬橋の耳には届かない。馬橋は尚も、ドアを叩きつける、ドアの外に広がる闇に向けて、擦り切れた喉を震わせて、馬橋は尚も、絶叫する。


「開けてくれ!」







『開けてくれ!』完

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