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『開けてくれ!』①

あらすじ:今回のお話も原作ありです。円谷プロ制作『ウルトラQ』第28話「あけてくれ!」より表題と基本的な構想をお借りしました。(と、言って作品そのものを見たことはないような気もするのですが…)


『開けてくれ!』




 その夜は翌朝に重要な用事があったから、仲間たちとの飲み会を一人早引けして、馬橋恭介はY駅に向かって歩いていた。早引け、といっても馬橋が乗ろうとするのはY駅発の最終電車だったので、繁華街から大通りを一つ隔てればもう人の気配はなく、ひっそりと静まり返ったY駅までの一本道には、手にした携帯に目を奪われながら、ふらつき加減で歩を進める馬橋の足音だけが響いていた。
 そんな馬橋の前方にY駅の改札口のぼんやりとした明かりが見えてきたその時のことである。何かが、足早に、馬橋のもとに迫ってきた、と思うが早いか、その何かは激しい勢いのまま馬橋に激突した。突然のこと、それに携帯に気を取られていた馬橋は、何が起きたか全くわからないまま、身体をよろめかせた。馬橋に衝突した何ものかの方は足をもつれさせて、倒れこみ、地面に尻餅をついてしまった。何とか体勢を取り直してから、馬橋はその何ものかの方をにらみつけた。
 それは、若い男だった。馬橋より数個上の、二十代半ばぐらいの男だろう。スーツ姿に大きめのカバンを手に持ったその恰好は明らかにサラリーマンのそれである。けれどもよく見てみると、ネクタイは緩み、シャツのボタンはところどころ取れかけていて、ズボンは汚れが目立つ。それに額には早春の夜寒にふさわしからぬ大粒の汗がびっしりと浮かび、かき乱れた前髪をぐっしょりと濡らしている。さらに妙なのは男の表情である。男は馬橋を少しも見ようとせずに、絶え絶えに息を吐きながら、怯え切った目つきで馬橋の後方―つまりはY駅の方角を見つめているのである。
 必死になって何者かから逃げてきた、一言で言えばそんな感じだった。当然馬橋の頭にもそんな推測が浮かんだ。馬橋は男が視線を向けるY駅の方を見やった。けれども、Y駅までの一本道は相変わらず人影もなくひっそりと静まり返っていて、何も変わった様子はない。馬橋は男に視線を戻して、前よりも一層強く男をにらみつけた。
「おい、お前!」アルコールの恩恵にもあずかって気を大きくした馬橋は、鋭い口調で男に突っかかっていった。男はびくりと体を震わせて、やっと馬橋に視線を向けた。馬橋は男をきつく見据えて、語気にたっぷりと怒りを込めながら先を続けた。
「何だよおい…ぶつかっといて何もなしか?」
すると、青ざめた男の顔にぴくぴくと痙攣が走って、徐に口が開かれた。男は口をぱくぱくと動かしながら譫言のように何かを呟いた。
「……………」
「あ?何だって⁉」
「知らなかったんだ…俺は…」
「……は?」
「だって、本当に知らなかったんだよ…まだ先だと思ってたんだ…」
「は⁉お前なに言ってんだ?」
馬橋が男を問い詰めようとしたその時だった。ふいにまた男はぎくりと体を震わせて、Y駅の方を見やった。男の顔は一層の恐怖でゆがめられた。「ああ…嫌だよ、来るよ…!」そう言うと、男はにわかに身を起して、また走り出す格好を見せた。「おい、てめえ!待てよ!」馬橋が腕をつかんだのを力いっぱいに振りほどくと、男は狂乱の態で駆け出した。たちまちのうちに、男の姿は薄暗い歩道の中に消えていった…


 半ば呆然と、男が逃げ去るのを見届けてから、馬橋はふと視線を足元に落とした。男が倒れたあたりに何かが落ちている。馬橋はそれを拾い上げた。
 どうやら、それは男の使っている定期入れであるらしい。二つ折りの中を開くと片側に交通用のICカードがしまわれていて、表面の印字はほとんどかすれていたが、『Y駅→…駅 タハラ マサト様』と書かれているのがかろうじて読めた。
 …その時、馬橋の頭にちょっとした悪だくみが浮かんできた。―つまり、この定期入れを駅に届けるのではなくネコババしてしまおう、と考えたのである。《あのタハラってやつはいきなりぶつかって来て、謝罪もない。せめてお詫びの印に、今日の交通費ぐらいもらって当然だよな…?》という訳だった。
 そんなことを考えながら、馬橋が一人ほくそ笑んでいると、Y駅の方から、構内アナウンスが聞こえてきた。『本日もご利用ありがとうございました。当駅には間もなく最終電車が到着いたします。お乗り忘れのないようご注意ください』馬橋は、あわてて駅の方へと駆け出した。


 男のICカードを使って改札をくぐったときには、電車の到着を告げるなじみのメロディーが、プラットフォームの方から響いていた。馬橋は急いで階段を駆け下りると、寸でのところで電車に飛び乗った。
 ほっと息を整えながら、馬橋はぐるりと車内を見渡した。閑散とした車内に点々と乗り合わせた乗客の姿が見える。足を開いて座席にふんぞり返った中年男、首をかしげて虚ろな眼差しで携帯を操作するサラリーマン、電車の揺れに合わせて頭を上下させながら微睡む若い女、要するにそれは、都会の最終電車にいつも見られる、物憂い、草臥れた情景であった。馬橋は、車内を一通り見まわすと、またポケットから携帯を取り出した。
 しばらくして、馬橋はある異変に気が付いた。電車が、いつまでも次の駅に停車しないのである。都心から近郊の住宅街へと延びるこの路線の電車は、数分毎に次の駅に停車する。にも関わらずY駅を出発して十分、二十分、列車は少しも速度を落とすことなく夜闇の中をひた走っている。窓の外には、車輪が刻むメトロノームのように精確な振動に合わせて、電柱の残像が、遠目に浮かんだ町の明かりを、小刻みに、延々と、同じ速度で、切り裂いていくばかりである。不審なのは電車だけではない。ここに乗り合わせた乗客もまた、この異変に疾うに気づいていてもおかしくないはずであるのに、誰一人騒ぎ立てるものがない。彼らは、先ほど馬橋がこの電車に乗り込んだ時と寸分たがわぬ姿勢のまま、最終電車のありふれた一幕の中に相も変わらず溶け込んでいる。馬橋は、偶然乗り合わせただけのこの電車にえも言われぬ不安を感じ始めた。
 と、その時、馬橋のいる車両の前の扉が開いて、一人の男が入ってきた。小綺麗なスーツに身を包んだ、馬橋よりも二回りも小さいぐらいの小柄でやせぎすな男であった。その男は、扉の前に立ち止まり、レンズの小さな眼鏡越しに臆病そうな眼差しで車内を見渡すと馬橋の姿に目を留め、馬橋の方に近寄った。男は、諂うような、卑屈な笑みを浮かべながら、馬橋を見上げて、こう話しかけてきた。
「もしかして…タハラさんですか?」
粘り気のある、どことなく不快感を誘うような声であった。馬橋はすぐさま、男の持ちだした『タハラ』という名前が、ICカードに印字された男の名前であることに気づいた。
「…いや、違いますよ」先程の出来事についてはひとまず伏せて、馬橋はそう答えた。
「ええ?妙だな、確かタハラって人が来るって聞いていたんだがね。それじゃあ、貴方は一体誰なんですか?この列車で見覚えのない顔だけど」
「見覚え?」
「ええ。まあこれでも、この列車のちょっとした古株なんでね。乗客の顔ぐらい大体覚えてますよ。それでも、貴方の顔はまるで見たことがないんで、ひょっとしてY駅で乗ってくるっていうタハラさんじゃあないかと思ってね」
古株だって?日夜乗客の入れ替わるこのような電車に、「古株」や「見覚え」などあるはずがない。男の言うことが呑み込めず言葉に窮している様子の馬橋の顔を、男は、ちょっと首を傾けて、じろじろと眺めまわしてから、訝る様に言った。
「貴方、もしかして、何もご存じないんですか?でも、《乗車券》を持っているはずでしょう、あれがないとこの電車には乗れないんですから。」
「《乗車券》?いや…普通に…」と言い淀んだ馬橋は、取り繕うように二の句を接いだ。
「いや、だって、只の終電じゃないすか。なんでそんな…」
「只の終電?」
今度は男が馬橋の言葉を反復した。掛違えたシャツのボタンのように、男との問答は何処までもかみ合わない。それは、馬橋の心中に先程から萌していた不安を煽り立てた。
「だから、Y駅をさっき出た、○○線の最終電車でしょう?」と言った馬橋の口調には恐る恐る事実を確認するような調子が含まれていた。が、男は馬橋の答えに少々沈黙すると、ハハッ、と乾いた笑いを漏らして言った。
「こりゃ驚いた。それじゃあ、あんた本当に何も知らずにこの電車に乗り込んだってわけか、随分と間抜けだねえ」男は馬橋に対する嘲りを露わにしながら先を続けた。
「この電車はね、あんたの言う只の終電なんかじゃあないんだよ。何なら、あんたもそろそろおかしいと思ってきたころだろ、電車がいつまでたっても次の駅に止まらないってね。そりゃそうさ、なんせこの列車は《終点》までノンストップ、途中に停車駅なんて一つもないんだから。どうしてあんたがこの電車に乗れたのか、そこんとこの事情はよく分からないけど、これだけははっきり分かっておいた方がいい。一旦この電車に乗ってしまった以上、あんたはこの電車で《終点》に向かうしかないってこと。いつまでも、どこまでも、ね」
―列車は相も変らぬ速度を保ったまま、轟々と音を立てながら夜の街を突き進む。そして、乗客たちもまた相も変わらぬ姿勢を保ったまま…


続く

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