君が差し出す偏光レンズから音が聞こえる(六)

 「私は君を知ってる。君は私を知らない」
この女は一体何を言い出すのか……無くしたと思っていた僕の家の鍵を拾い、僕の後をつけて来たと思ったらいきなり走り出して、やっと止まってくれたと思ったら……
僕は乱れた呼吸のまま問うた。
「知ってるとか知らないとか……なんなんですか」
「私は知ってる。君は私を知らない。君が毎日何時に現れるかも、毎日何を買うのかも、買いたい物が売り切れていた時の行動も全部知ってる。何で知ってると思う? 逆に何で君は私の事を少しも知らないの?」
「何で知らないって……知らないですよ。昨日会ったばかりの他人じゃないですか」
「でも私は君を知ってる」
「僕は知らないです……」
「三ヶ月前、あのコンビニの前で私が持ってた紙袋が破れて、中に入ってた書類が道路に散らばったのを君は見て見ぬふりをして通り過ぎた日から知ってる。私と目が合ったのに無視したあの日から」
「……すみません、覚えてません」
「でしょうね」
これは恨み……? とある日の僕の行動を根に持ってずっと僕を監視していた……とか?
「まあ良いわ。折角だから少し話をしましょ」
笑顔を浮かべながらそう言うと女は近くにあった階段まで歩き腰を下ろした。

 「こっち来なよ!」
女は僕の方を見ながら自分の右隣を指差している。僕は言われた通りに女の隣に腰を下ろした。
「君は毎日同じように生きてる。きっと起きる時間も、朝のメニューも、家を出る時間も全部決まってる。きっと帰ってからも全部。全部全部決まってる。そうでしょ?」
急に説教をされているような気分になった。何だか僕の生き方全てを真っ向から否定されている気分になった。だからこそ精一杯の反抗の気持ちを込めて言ってやった。
「だったら何なんですか……」
──これが僕の精一杯だ……
「あの日……君と出会った日思ったの。なんでこの人私を無視するんだろう? って。普通手を貸してくれるんじゃない? 冷たい人って」
そう語る声はとても真剣だった。
「君と目が合って、でも君は真っ直ぐ歩いて行ってしまって。何だかわからないけれど、君の背中をずっと見てた。それから……」
「それから?」
「それからずっと見てた。もしかしたらと思って次の日同じ時間にコンビニに行ってみた。君がいるんじゃないかと思って。そしたら本当にいるんだから笑っちゃうよね」
さっきまでの真剣な口調とは一変して女は後ろにのけ反り、空に向かって笑っていた。
「また次の日も、そのまた次の日も。雨の日も台風の日も。君は毎日いた。休みはないわけ?」
「火、金……」
女は大笑いしながら僕の肩を叩いてくる。
「君、休みの日も同じ時間に起きて、同じ時間にコンビニに行って、同じようにレタスサンドを買ってるの?」
女の笑いは止まらない。
「休みの日は会社とは一本逸れた道にある公園のベンチでレタスサンドを食べて三十五分ウォーキングをして帰るのが日課なんだ……」
「その三十五分って……もしかして他の予定も二十五分とか四十五分とかで刻んじゃうタイプ?」
「……悪いのかよ」
女の笑いは大きくなるばかりだ。僕も流石に気分が悪い。僕の毎日に、何故赤の他人のこの女が口を挟む。関係ない事だ。” 君には関係ない! “と言ってやる。僕ももう我慢の限界だ。
「き、君には」
「──明日が楽しみだね!」

「……へ?」

“ つづく “


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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