君が差し出す偏光レンズから音が聞こえる(伍)

 「とうとう本物のストーカーになったんですね。たまごサンドさん」
「たまごサンド?……ああ、今朝のね」
何が面白いのかケラケラと笑っている。

「で、何ですか? 人の後つけて、家の前まで来て。答えによっては警察を呼ぶ事になるかもしれませんが」
「まあまあ、そんな警戒なさらず……」
そういうと女は右手の拳をこちらに突き出してきた。
「なんです?」
「ジャン!」
拳を開いた女の指に掛かっていたのは僕の部屋の鍵だった。
「あ、うちの鍵……盗み? やっぱり本物のストーカーに」
「──違う違う、たまたまスーパーから出てくる君を見かけたからお仕事帰りかな? なんて思ってたらポケットから何か取り出した時に鍵を落としたものだから」
「──拾って何も言わずにここまで後をつけてきた……と?」
「そ!」
「ストーカーじゃないですか」
「そんなつもりじゃないよ!……そんなつもりないですよ」
「まあ……ありがとうございました。助かりました」
「お礼は良いですよ」
「そうですか。じゃあ鍵を」
「ちょっと私に付き合ってもらえます?」
そういうと女は一目散にコンビニやスーパーとは逆方向に走って行った。

「ちょっと! 待ってください!」
そう叫んでみるものの、女はどんどん走っていく。差も縮まらず、只々走る女の背中を追いかけていく。運動も、体力も自信がない。このまま体力が尽きてあの女を見失って……そうしたら僕はどうなる。僕は家からこっち側へは一度も行った事がない。
高校卒業直後、会社まで一本道で途中にコンビニとスーパーがある最高なアパートを見つけ、運良く入居できたその日から、僕はその真っ直ぐな道以外歩いて来なかった。
ここはどこなんだ。今何回曲がった?何だか細い路地も通った。キツい。苦しい。もう限界だ。何でこんなにいくつも登り坂が……それに階段……
もう無理だ。こんなに走ったのは高校生の時の駅伝大会以来だ……
もう諦めよう。やっぱり僕は今日死ぬんだ。ここで倒れて、きっと雨とかも降ってきて、人気も少ないようだし、街頭もない……仕事帰りの誰かが車でここを通って人知れず僕はその車に轢かれて死ぬんだ。
きっとそうに違いない。短い人生だったが、仕方がない。もう脚は動かない。お疲れ様、僕。
「着いたよ」
「え?」
蹲る僕。女の息切れた呼吸音と、僕の息切れた呼吸音だけが辺りに響いている。
「このくらいで倒れないでください。しっかりして……ほら、こっち」
女はそう言うと僕の手を思い切り引っ張り上げ、無理矢理僕を立たせて強引に手を引き歩き出した。
「もう無理……死ぬ」
「死なない!……ホラ、見て」
クラクラする頭を必死に上げ、目を開くとそこには僕の知らない景色が広がっていた。
「ここ全部見渡せるんだ」
外灯が少ない事で色々な物が綺麗に見えた。
いつも行くコンビニとスーパーは中でも一際明るかった。
「こんな所があるなんて知らなかったでしょ」
「知る訳がないよ……それにこっち側は来た事すらなかったんです。というか来たとしてもこんな登り坂、登る訳ないですよ……」
「知ってる」
静寂、空気が冷たかった。
「……あなたは一体何者なんですか」


「私は君を知ってる人。君は私を知らない人」

“ つづく “


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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