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君が差し出す偏光レンズから音が聞こえる(拾死)

 昔どこかの誰かが言っていた言葉がある。

“ 生きていたらいつか死ぬんだし、生きている時間の一瞬にでも幸せを感じられたら良いじゃないか “

急にこんな事を思い出したのはきっと、最近いつもそばにいてくれて楽しく明るく振る舞ってくれている彼女が見た事もない表情を見せたからだろう。
これから僕は彼女と共に死のうと思う。


 「死ぬんだよ。そしたら行ける。天国へ」
「……地獄だったら責任取ってよね」
「地獄へは行かないよ。きっと必ず、天国へ行ける」
「できるだけ近いと嬉しいわ」
「さあ、行こう」

初めて見る真剣な眼差しだった。いつもは何だかぼんやりとしていて、寝起きのような目でどこか遠くをふわっと見つめている……そんな人。
毎日毎日同じ事を繰り返して、壊れた日常を嫌っていた人。
普通を通り越して、人として壊れていたような……そんな人。
でも今はもう違う人。私の知らない人みたいになっちゃった。そんな人。
ねえ? その力強い眼差しはどうやったら手に入るの?
その力強い足並みは、その堂々とした背中は……どこに行けば手に入るのかな……
結局私は自分から逃げていただけ。
君と出会ったあの日だってそうだった。自分でこの変わらない世界をつまらないと決めつけて、いつも通りの何もない生活を一日終わらせたら死のうと考えていた日。
どうせ私は何もなくあの日家に帰ったとしても死ぬ事なんてできなかったわ。
きっと誰も知らない “ 見えない戸惑 “ が増えていただけ。
自分がこんな人間になるなんて思ってもいなかった。
私が私であると自分を肯定して生きてきた結果、自分の部屋の外に出た瞬間に踏み付けられて、私は私だと思い込んだ存在になってしまった。
あの日描いた夢や未来も、いつしか濡れて滲んで真っ黒になってしまった。
君は私を天国へ連れて行ってくれると言う。
そんな所、きっとないよ。死んだ先はきっと無なんだよ。透明じゃない、多分真っ黒なんだよ。
混ざって溶けて掻き回された……もう目も当てられない望まれなかったインクのように。

彼は何も言わずにただ私の前を歩いていく。電車で何駅も移動し、さらに電車を乗り換えていく。
もうここがどこだかわからない。私はどこへ連れて行かれるのだろう。
ねえ? 君は何で話しかけてこないの?
何を考えているの?
この後私は君と一緒に本当に死ぬの?
二人で天国へ行くの?
天国へ行った後は君と一緒にいれるのかな?
離れ離れになってしまうのかな?
そもそも本当に天国なんてあると思っているの?
自分が先に言い出した事だけれど……君にはそんな破滅願望ないでしょう。

電車を降りて、駅前でタクシーに乗り込んだ。
タクシーは山道をどんどん上って行く。
森の中で首吊り? なんてベタなシュチュエーションが頭に浮かんだが、ロープやそれの代替になる物は持っていないだろう。
気が付けばもう日が沈みはじめていて、辺りが橙色に染まっていた。
タクシーは山頂と思わしき場所で止まった。窓から外を見ると階段のついた小さな展望デッキが目に入った。
彼は帰りのタクシーはここじゃ見つからないと忠告してくれているタクシーの運転手さんの言葉を無視し、料金を払ってタクシーを降りた。
私も後を追うように外へ出た。

「着いたよ」
「……天国?」
後ろでタイヤの擦れる音がして、エンジンの回る音が遠くなっていくのが聞こえる。
「こっち来て」
「ここどこなのよ」
「さっきスマホで調べた所」
そう言いながら展望デッキの階段を登る彼の後ろをついていく。
階段を登り切ると二人でいるのがギリギリくらいのスペースで、天井はなくとても見晴らしが良い。
「私達が来たのってあっちの方かな?」
「どうだろうね」
「凄く遠くまで来たね」
「そうだね」
「今から死ぬのね」
「そうだね」
「天国へ行くのね」
「そうだよ」
「一緒に来てくれるの?」
「そうだよ」
「……どうやって行くの? 天国」
「きっと簡単だよ」
「……そうなんだ」
「……そうだよ」
「天国でも会えるかな?」
「会えるよ」
「一緒に死んだとして……道中とかどうなってるのかな? 天国までの」
「どうだろうね」
「君といるの……凄く楽しかった」
「僕もだよ」
「でもね、最後に謝っておきたいの」
「何?」
「私、君の事が羨ましくなっちゃって……妬ましくなっちゃって……」
「大丈夫だよ」
「私って可愛くないね」
「素直で良いと思うよ」
「そうなのかな」
「そうだと思うよ」

これが最後に見る景色なんだ……
そう思いながら暗くなっていく空を見ていると、自分と世界の境目が曖昧になっていく。
ぼんやりして、どこからどこまでが自分なのかわからなくなっていく。
そう、私がいつからか私じゃなくなってしまったみたいに。そう気付いた日みたいに。
そう思考した瞬間、視界が回って落ちた。

痛い
何?
どうなったの?
何が起きたの?
……空?

「死んだね」
「え?」
「僕ら今死んだんだ」
辺りを確認するとさっきまでいた展望デッキの下に私達は倒れていた。
「飛び降りた……って事?」
「そう! 死んだね」
彼は体を起こし、痛そうに背中を摩りながらそう言って笑っていた。
「バカじゃないの?!」
「思ったより痛かったね」
「そういう意味じゃなくて、本当に死んだらどうするのよ!」
「死んで天国へ行くんじゃなかったのかい?」
「……それは」
「今死んだんだよ。そしてここが天国。ここからが天国」
「何言ってるのよ……」
「全部辞めちゃえば良いんだよ」
「全部……」
「今僕達は一度死んだんだ。今ここから僕達は全てをやり直す。僕は僕を、君は君を」
「バカじゃないの」

気付くと笑いが止まらなくなっていた。面白いとか楽しいとか、そんなんじゃなくて……何だか緊張が解けたというか安心したというか、そんな笑いだった。
笑っているのに涙が止まらなかった。
死にたいなんて嘘だったのかもしれない。
空を見上げて二人で泣いた。
きっと二人共自分自身を閉じ込めた扉が開かないように、溢れないように必死に押さえつけて生きてきていたんだ……そう思った。
私が私であり続けようとしたように、彼も自分らしい自分を生きようとしていたんだ。
私達は必死に自分を生きようとしていたんだ。壊れている事にも気付けずに。


 寝転がって見る星空……こんなにも綺麗な光景がこの世界にあるだなんて知らなかった。
“ 一度死んだ “ 私達ならこんな景色を
これから沢山見つける事ができるかもしれないと思った。

「それでどうやって帰るのよ」
「どうしようか」
「真っ暗だし、駅まで歩くのも相当な距離だし」
「野宿?」
「それは無理」
「でも星が綺麗だから、もう少し見ていようよ」

結局私達は朝までそこで空を眺めていた。昇ってくる朝日を見るのは初めてで、大袈裟な言い方かもしれないが世界の始まりを感じていた。
「じゃあ行こうか」
「どこに?」
「新しい世界に?」
「何よそれ……とりあえずタクシーでも呼んで駅まで戻ろうよ」
スマートフォンを取り出してタクシーを呼ぼうと検索をしている私に彼はサングラスを差し出してきた。
「何?」
「かけてみて?」
私はかけていた自分のメガネをずらし、言われた通りにサングラスをかけてみるとスマートフォンの画面の光が屈折し、ちらついてよく見えなくなった。
「何よこれ、よく見えないんだけど……それに私元々視力が悪いから更に」
「──天国に行って、全部ぶっ殺すって言ってたでしょ。……行こう」
私の手を引いて歩いて行く彼の笑顔がとても良く見える。眩しい朝日で真っ白に彩られていた世界で君だけが良く見えるようになった。
目の前の物より未来を見よう……そう言われているような気がした。
本当に天国でもまた会えたんだね。

ねえ……
「音が聞こえる」

“ 終曲 “


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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