君が差し出す偏光レンズから音が聞こえる(九)

 「今日はウサギの餌みたいな朝飯食ってないじゃないか。体調でも悪いのか?」
「いえ……今日はちょっと朝から色々あって朝食は家で摂ってきたので……」
「早起きで健康的で良い事だ! なんだか心なしか顔色も良いんじゃないか?」
「そうでしょうか……」
栄養ドリンク……家を出る前にせっかくだから飲んできたけれどそんなに効果が有りそうな感じでもなかったし……プラシーボ? でもいつもと違う朝だ。何だか変にテンションも上がっているような気もする……いつも通りを頑張って装おうとしている自覚があるからだ。

 「昼飯行くぞ」
いつもの昼休憩の合図だ。
昼食は決まった定食屋さん。僕は決まってカレーライス……だが……今日はとことん反抗してやるのだ。自分の決めた事、いつも通りの全てに。
もう今日なんてどうでも良いんだ。明日から普通に過ごす。いつも通りに過ごす。だから今日はとことんやってやる。
「……すみません! ……生姜焼き定食! ごはん大盛りで……」
「お? どうした? 俺が大好きなこの店一番のおすすめ生姜焼き定食、何度進めてもカレーしか食わなかった癖に……何かあったか?」
「いえ……今日はそんな気分で」
「おばちゃん! こいつに追加で唐揚げも! 俺の奢り!」
「いや、そんなに……」
「良いから食っておけ。ここの唐揚げも絶品なんだ。今日食わなかったらまたカレーしか食わなくなりそうだからな」
そういうと何だか上機嫌な上司は笑いながら僕のコップに水を注いでくれた。
「何があったか知らねえけど、朝からいつもと違ったからな。いつでも話くらいなら聞くからな」
「……ありがとうございます。でも別に嫌な事があったとかではないので」
「そりゃそうだ。今朝から何だかスッキリした顔してたからな、お前」
スッキリした顔……そうなのだろうか。自分では良くわからない。でも周囲の空気がいつもより明るく感じられるから、これはこれで良いのだろう。
今日は今日という “ 有り得ない “ 一日を楽しもうじゃないか。

「はい、生姜焼き定食……とこれは私からのサービス」
そう言っておばちゃんが目の前に運んできてくれたお盆に目をやると生姜焼きに大盛りご飯とお新香、きんぴらごぼうが乗っていた。
「俺の第二のおふくろの味のきんぴらごぼう! ここのは旨いぞ!」
「はい、唐揚げね。今日はサービスで大盛り! あんたも一緒に食べな」
「良いんすか? ありがとうございます!」
上司も食堂のおばちゃんも何だかいつもより輝いて見える。それはきっと僕がいつも通りじゃないからだ。複雑な気分だけれど、今日限りのこの生き方はみんなにとっては衝撃的なのかもしれない。
「……いただきます」

 何で僕はご飯を大盛りで頼んでしまったのだろう。上司とおばちゃんの好意もある手前、食事を残す事もできず、無理矢理に米の最後の一粒まで胃に入れた為午後からの仕事は手につかなかった。
それでも上司は
「そんな日があったって良い。いつもしっかり頑張ってくれてんだから」
と笑顔で言ってくれた。
僕はこの職場の事を知った気でいたけれど、もしかしたらまだ知らない事が沢山あるのかもしれない。これから少しずつこの職場の事、働いている皆の事を知っていこうかなと思った。
そして定食屋のメニューもたまには他の物も試して良いのかもしれない……そう思った。


 「定時だぞー、みんな帰れー」
うちの職場は超絶ホワイト企業で基本的に残業は禁止、どうしても残業しないとならない場合は残業させてくれと頼むルールになっている。
「お疲れ様でした……あれ?」
上司がデスクから動く気配がない。
「残業ですか?」
「資料の整理が少し終わってなくてな」
「僕がやりましょうか?」
「良い良い、お前はさっさと帰ってゆっくり休め」
そういうと上司は資料を真剣な目で見つめ始めた。そういう作業苦手なんだから僕がやった方が効率良いのにな……と思いながらも上司の好意を受け取って僕は職場を後にした。


「お疲れ様!」
「……なんでいるんですか」
「敬語やめてって言ったよね?」
「……なにしてるのかな」
「今朝君の家に名刺があったからさ!」
誇らしげな顔でそう言って右手の人差し指と中指で挟んだ僕の名刺を掲げている女を見て、僕は不安と小さなワクワクのような感情を抱いてしまった。

“ つづく “


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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