君が差し出す偏光レンズから音が聞こえる(八)

 酷い音が鳴り響いている。何て五月蝿い夢なんだ……
ん? これは家の玄関チャイムの音?
「なんだ……今何時だ……」
鳴り止まないチャイムの音に加えてドアを叩く音までし出した。霞む目を擦りながら時計へ目を向ける。
「六時十五分……」
まさか……と思ったその瞬間
「ちょっと!! 起きてるんでしょ!?」
この辺り一帯に響き渡るような大きな声だった。僕は焦って玄関のドアを開け、彼女の腕をひっぱり家の中へ招き入れた。
「何時だと思ってるんですか!! 近所迷惑!!」
「だったらピンポン一発で素直に起きて、扉を開けたらどうなの?」
とても不機嫌そうな顔でこの女は朝からいきなり何を言っているのだろうか。何故僕が怒られなければならないのか? まずそっちが非常識なんじゃないか? 朝早くに人の家に勝手に来て。
「何の用ですか? こんな時間に」
そう言って振り返ると女は人様の家のソファに勝手に横になってくつろぎ、人様の家のテレビのリモコンを手に取って勝手にチャンネルを回していた。

「いつも朝ニュース見てるの?」
「いや、何勝手してるんですか」
「私ニュースって嫌い。何か朝からげんなりしちゃう。天気予報と占いは見たい派だけどね!」
「いや、そんなのどうでも良いんで……こんな朝からどうしたんですか? というかここ僕の家なんですけど」
「はい! これ! 食べて! 飲んで!」
そう言って女がコンビニの袋をこちらに差し出してきた。
中に入っていたのは
・ナポリタンスパゲティ
・たまごサンドウィッチ
・500mlコーラ
・500mlサイダー
・栄養ドリンク
だった。
「あ、たまごサンドとコーラは私の」
「スパゲティ……いや、いらないですよ」
「遠慮とか良いから」
「そうじゃなくて、いらないです。僕には僕の生活リズムがあるので……」
「でも今君はいつもより早く起きてるんじゃない?」
「それはあなたが……」
「さあ、新しい今日を始めようじゃないか!!」
そう言って女は立ち上がり、手に持っていたコーラのキャップを捻ると大きな音を立てたと共にペットボトルから一気に中身が吹き出した。
「ちょっと!!」
吹き出すコーラを何とか抑えようとするも女は大笑いしながらペットボトルを振り始めた。
「新しい君の人生のスタートだ!!」
「何言ってるんですか!! ちょっと! やめて!!」
十秒も待たず全てのコーラが部屋に巻き散らかされテレビもカーテンも小さな部屋の全てのものがコーラにまみれた。
「どんな気持ち?」
「最悪ですよ……」
女は僕の顔を見て大笑いしながらソファに倒れ込んだ。その姿や表情を見ていたら最悪な気分のはずなのに何だか笑えてきた。
「本当に最悪。何しに来たんですか……」
「でも笑ってんじゃん?」
なんて一日の始まりだと思う一方で女の意味不明な行動と笑顔でもう今日なんてどうでも良くなってきている自分が居た。経験した事のない不思議な気分だった。
「ホラ! 立ってないでナポリタンをレンジに突っ込んでその間にコーラ拭く! ベタベタになっちゃうよ!」
お前がやったんだろ! お前が拭け! と思いながらもはいはい、やりますよという気持ちが先行し僕はレンジにスパゲティを入れあたためボタンを押し、タオルで辺りを拭き始めた。その時僕の目覚まし時計のアラームが鳴り響いた。
「六時二十五分ね」
そう言ってニヤリと顔を作った女がジッと僕を見ていた。

 「感想は?」
ソファに座り温めたナポリタンスパゲティを食べ始めた僕にそう聞いてきた女の顔は新しいおもちゃを買ってもらった子供のようだった。
「朝からこんなの重すぎですよ……それにサイダーって……あとこの栄養ドリンクは?」
「君、いつも顔色悪いから」
女はたまごサンドを食べながら続けた。
「たまには良いでしょ。朝思いがけない時間に綺麗な女に起こされて、部屋にコーラを撒き散らされ、無理矢理脂質の高そうなナポリタンを砂糖が沢山入ったサイダーで流し込まされる……中々できる経験じゃないよ?」
「こんな経験した人いないですよ……何で朝から拭き掃除しなきゃならないんだか」
「君の人生がどんなものかは知らないけどさ、朝から色々な事があって、美味しいもの食べて、どうだった? ちょっとは楽しかったかい?」
「楽しかったというか……何か……凄かったです」
「君の今日が素晴らしい一日になりますように! それじゃ! あともう敬語使わないで!」
そう言って女は足早に帰っていった。
嵐のような朝だった。素晴らしい一日になりますように? もう既に訳がわからないし、 ” いつも通り “ もぐちゃぐちゃじゃないか。それをどうやったら素晴らしい一日に……

なんて考えてみたけれど、何故だか僕の心はナポリタンの詰まった胃に反してとても軽かった。


“ つづく “


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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