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フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー『魔法の指輪 ある騎士物語 上・下』解題(text by 池中愛海・鈴木優・和泉雅人)

 2022年5月24日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第22回配本として、フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー『魔法の指輪 ある騎士物語    上・下』を刊行いたします。フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー(Friedrich Heinrich Karl de la Motte Fouqué 1777–1843)は後期ドイツ・ロマン派の作家。ユグノー貴族の末裔としてブランデンブルクに生まれました。祖国プロイセンのために陸軍士官として従軍したフケーは、その後、シュレーゲル兄弟、ゲーテ、シラー、ヘルダーといった当時の著名な作家たちとの出会いを通じて文学に目覚めていきます。とりわけA・W・シュレーゲルの手ほどきを受けて翻訳、小説、戯曲などを次々と発表し、作家の道を歩むことになります。

 本書『魔法の指輪   ある騎士物語』(1812/13年)は、フケーが子どもの頃から夢想し続けてきた中世の騎士たちの世界を描き出した冒険ファンタジー小説。北欧やゲルマンの異教的神話世界、輝かしいキリスト教的価値観を纏った中世騎士道、そして祖国への愛が織りなすフケーの幻想的世界は、ナポレオンからの解放戦争で愛国心の沸騰していた19世紀のドイツ社会に熱狂的に迎えられました。20世紀になって登場するトールキンの『指輪物語』、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』に代表されるファンタジー小説の原像もまた、『魔法の指輪』に見ることができます。
 以下に公開するのは、フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケー『魔法の指輪   ある騎士物語 上・下』の翻訳者・池中愛海さん、鈴木優さん、和泉雅人さんによる「解題」の一節です。

III 『魔法の指輪』から『指輪物語』へ──イギリス・ファンタジー文学成立への影響


 フケーがドイツの文学界に与えた衝撃は文学というジャンルを超えて、オペラやバレエへと広まり、また国境を越えて広がった。解放戦争が終わるとともにフケーもその作品も急速に忘却されていったドイツにおいてよりも、のちにファンタジー文学の傑作を数多く生み出したイギリスにおいてのほうがその作品は高い評価を得、より広範な影響を及ぼしたといえるだろう。すでに1818年には『ウンディーネ』(英原題 Undine)が、1820年には『ジントラム』(Sintram and his Companions)、1821年には『歌人の愛』(Minstrel Love)が英訳され、それに遅れる形で1825年にスコットランドの詩人ロバート・ピアース・ギリースによる『魔法の指輪』(The magic Ring)の最初の英訳が出ている。ギリースは『魔法の指輪』のイントロダクションで、ベルリンにおけるフケーの名声について、また実際に男爵のネンハウゼンの城館へ招かれたことについて述べている(ゲーテやティークにも会っている)。ヴィクトリア朝ロマン主義期のイギリスにおいてもフケーは依然として人気作家として親しまれた。1840年代半ばには、美しい挿絵入りのフケー選集五巻本がロンドンで出版され、『ウンディーネ』、『二人の将』(The two Captains)、『アスラウグの騎士』(Aslauga’s Knight)、『ジントラム』、『アイスランド人ティオドルフの航海』(Thiodolf. The Icelander)、『鷲と獅子』(The Eagle and the Lion)などのフケーの主要作品が揃って収められた。今日にいたるまで、これらフケーの代表作はイギリスで大きな喜びとともに受け入れられ、大人向けのものも子供向けのものも(第一次世界大戦前の数十年間はとりわけ子供向けのものが作られた)、挿絵付きのものも、あるいはドイツ語学習者用のドイツ語版も含め、幾度も翻訳され、再版され、戯曲化され、受容されたのである。

 イギリス人たちはなぜフケーに惹きつけられたのだろうか。フケーの諸作品を英訳しているエッセイスト、そしてドイツ文学研究者でもあったトーマス・カーライルは、フケーをドイツ・ロマン派的な意味で「天才(Genie)」であると述べている。つまりノヴァーリスが述べたような、「想像される事物を実際の事物のように論じたり扱ったりする」能力――それは物事を正確に観察して適切に描写する能力である「才人(Talent)」とは区別される――の持ち主として、フケーを特徴づけたのである。そして、フケーが知性や世間への洞察力において決して優れてはいなかったと述べながらも、感情の繊細さと想像力がそうした欠点を補い、彼の作り上げた世界に命を吹き込んだこと、そしてこれこそがその贅沢な空想世界に「敬虔な服従の心、苦痛を耐え忍ぶ精気に溢れた瑞々しい心、穏やかでひたむきな希望と愛、そして柔和で控えめの情熱」といった「真の心情」を与えたことを讃えている。カーライルを魅了したものは、時代に迎合することなく英雄的美徳を愛する純粋で敬虔な心をもち続け、それを作品のなかで体現し続けた詩人フケーの空想世界の豊かさだけではない。その作品を貫く光と闇の対比、穏やかな微笑みのうちに隠された陰鬱な苦しみや断固たる決意といった対比こそが、カーライルがフケーの様式として明記している特徴でもある。「川の暗い淀みの表面に陽光が戯れ、見通すことのできない暗がりとの対比を深めていく」かのような二元性。『魔法の指輪』でも光の世界の裏にある闇の世界、騎士道的正義をもつキリスト教世界と闇の力を宿した異教世界は表裏一体となって作品を貫いている。アメリカの怪奇幻想文学を代表するポーやラブクラフトは人間の心の奥処に潜む最も強い感情は恐怖であるとしたが、彼らもまたフケー作品のもつこの陰鬱な闇の性質に注目し、フケーを超自然的恐怖を描く幻想文学ジャンルの先駆的存在として高く評価している。

 幻想的な光と闇の世界、理性では説明され得ない超自然的なものの存在、そして人間の無意識への接近、こうした幻想文学的要素が中世の騎士道精神や世界の寓意(アレゴリー)、さらに歴史や神話と混じり合い、フケーの空想世界を作り出している。これこそが『魔法の指輪』をはじめとするフケー文学が近代的なファンタジー文学の先駆者であるウィリアム・モリスやジョージ・マクドナルド、さらにはC・S・ルイスや壮大な叙事的ファンタジー文学の巨匠J・R・R・トールキンらへの道を切り拓いた要素だった。

 19世紀のイギリス文化を支えた最も重要な人物、デザイナーであり社会主義運動の指導者でもあった詩人モリスは、カーライルやジョン・ラスキン、チャールズ・ディケンズと並んで、フケーの作品を愛読したという。中世的世界に憧れをもつモリスによる、冒険と栄光の騎士物語と妖精物語の神秘を結びつけた近代的なファンタジー文学の古典はこうして出来上がった。フケーの『北方の英雄』はドイツ・ロマン主義においてニーベルンゲンの素材を蘇らせようとした最も野心的作品だったが、モリスはフケーの諸作品の影響下で、自身もホメロスや北欧詩集のエッダ、ベーオウルフ、アイルランドやウェールズ古謡、ニーベルンゲン神話、アーサー王物語等を愛し、ギリシャ叙事詩のほかに北欧神話を英訳し、またそれをもとにした『ヴォルスング族シグルドとニーブルング族の滅亡』を発表している。さらにこのモリスの影響を受けたトールキンは子供時代に北欧神話、なかでもヴォルスング家のシグルドの話を何より好んだと回顧している。

 ヴィクトリア朝の詩人のなかでもとくにフケーに精通していたのは、自身もノヴァーリスやハイネの翻訳者であったスコットランドの詩人、聖職者マクドナルドである。彼の創作した妖精物語(フェアリー・テール)とその理解は、ドイツ・ロマン主義から多大な影響を受けたものであった。別世界(妖精の国)への旅を主題とする『ファンタステス――青年男女のための妖精ロマンス』――マクドナルドは第六章の題辞に『魔法の指輪』の一節を引用している(「心に秘めていた望みが叶い頭上に降り注いできて、そうして大いに喜びに浸っているとき、ああそんなときこそ、人の子らよ、用心されたし!」)――では、想像力は現実とは異なる妖精の国を旅するための条件であり、また同時に神の真理へ至るために必要なものとされている。さらに妖精物語(フェアリー・テール)の条件としてマクドナルドが重視したのは、現実と空想の融合であり、また人間がこの幸福の約束された別世界(空想世界)を知っていながらも、死を除いてはその世界に永久に入る術をもたないことであった。マクドナルドが何より美しい妖精物語とみなしたフケーの『ウンディーネ』では、騎士フルトブラントの最後の後悔と死は恐怖や悲しみではなく、「愛の死」という希望をわれわれの心に残す。神の正義と許しを映す「善き死」は、マクドナルドの幻想文学の基盤となり、さらには近代的ファンタジー文学の基礎を作り上げたトールキンの「ユーカタストロフ(eucatastrophe)」構想へと受け継がれる。「ユーカタストロフ」とは、物語最終部における不意の「好転」がもたらす喜びや慰めのことである。それは物語の中の不幸な結末や悲しみ、死、挫折の存在を否定するものではない。それでも、冒険がどれほど恐ろしくとも、物語が大詰めにさしかかったときに「突然の奇跡的な恩恵」が与えられることで栄光が物語全体を照らし出すように、それは神の「福音」のごとく、ときに涙を催しそうになる感情の高まりをもたらし、「この世の壁を超えて、一瞬垣間見ることのできる喜び、悲しみのように胸を刺す喜び」となるものである。

 『ウンディーネ』や『魔法の指輪』が「善き死」(フルトブラントの死や裏切り者コルバインの切なく敬虔な最期)を描き、『魔法の指輪』が幾多の戦闘や地底への恐怖の冒険、親しき者の死や別れ、そして家族の不和を描きながらも、大団円でそれらを一抹の物悲しさの混じる融和と希望へと転ずることに成功していることに鑑みても――第三部第二十七章で最後の戦いのあとに輝く虹は、まさに「神によってもたらされた平和」の象徴であろう――こうしたフケーの作品は、マクドナルドを介し、トールキンが空想(ファンタジー)による物語の真の印であるとした「ユーカタストロフ」構想を発展させる基盤となったのかもしれない。

 トールキン自身はドイツ・ロマン派について、ひたすら沈黙を守っている。『指輪物語』の指輪のモチーフの出所はフケー同様北欧神話にあることが想定されるため、フケーからトールキンへの直接の影響を安易に論じることはできない。それでもアーサー王物語に始まり、騎士ロマンス(スペイン騎士物語の最高峰『アマディス・デ・ガウラ』)、十字軍時代の歴史や伝説、北方・ゲルマンの神話、ゴシック小説的恐怖、そしてキリスト教的騎士道世界の諸要素の融け合う『魔法の指輪』の世界は、トールキンに倣えば現実世界――これをトールキンは「第一世界」と呼んだ――を超えたいと願う人間の願望から生まれた、空想による「第二世界」の創造にほかならず、それゆえにこれは19世紀冒険ファンタジー文学の原像といえる。その意味でトールキンの『指輪物語』への間接的影響は否定できないだろう。創造された世界が内的一貫性をもつ、信じるに足る世界として表現されるとき、「ありとあらゆる形の獣や鳥、果てしない海、数えきれぬ星々、魂を魅了し、同時に絶えざる危険をもたらす美、そして剣のように鋭い喜びや悲しみ」に満ちたその世界をわれわれは旅することができるようになるのである。

【目次】
〈上巻〉
  第一部 主要登場人物
  第二部 主要登場人物

第一部
 親愛なる読者に!
 第一章 ドナウ川の岸辺
 第二章 ガブリエーレ・ド・ポルタムール
 第三章 緑地の決闘
 第四章 騎士への叙任
 第五章 武具の夜番
 第六章 冒険へ
 第七章 騎士と商人
 第八章 私闘
 第九章 帝国自由都市フランクフルト
 第十章 黒銀の鷲
 第十一章 兄と妹
 第十二章 萎れゆく花
 第十三章 愛の癒し夫人
 第十四章 敬虔な魔女の城
 第十五章 魔女との約束
 第十六章 孤島の決闘(ホルムガング)
 第十七章 隼(はやぶさ)
 第十八章 狩人(かりうど)の城
 第十九章 三つの騎士の物語
 第二十章 若きドイツの騎士
 第二十一章 少年フォルコの誓い
 第二十二章 橅(ぶな)の森のアベラールとエロイーズ
 第二十三章 馬上槍試合(チョスト)
 第二十四章 婚約の宴と禿鷲(はげわし)の騎士
 第二十五章 魔の秘酒
 第二十六章 孤独

第二部
 第一章 アルデンヌ山地の洞窟
 第二章 新たなる旅立ち
 第三章 トラウトヴァンゲン城の巡礼者
 第四章 東フリースラントの廃墟
 第五章 ノルウェーへの航海
 第六章 腕比べ
 第七章 鍛冶師アスムンドゥール
 第八章 統率者
 第九章 キリスト教軍の戦い
 第十章 ガスコーニュの城
 第十一章 石の十字架

  註

【目次】
〈下巻〉
  第二部 主要登場人物
  第三部 主要登場人物

第二部
 第十二章 死闘
 第十三章 オットーとオトゥール
 第十四章 国境(くにざかい)の警備
 第十五章 岩山の見張り塔
 第十六章 フィンランド軍と魔の乙女
 第十七章 剣の誓い
 第十八章 老フーク殿の夢
 第十九章 スペインの街カルタヘナ
 第二十章 貴婦人と隼(はやぶさ)
 第二十一章 騎士フォルコ・ド・モンフォコン
 第二十二章 二筆の恋文
 第二十三章 スヴェルカーの報告
 第二十四章 ヒルディリドゥールの過去
 第二十五章 魔法の鏡

第三部
 第一章 攫(さら)われた処⼥(おとめ)
 第二章 宮殿の魔法の夜
 第三章 ⼤総督(アミール)ヌレディーン
 第四章 総督の宮殿
 第五章 ⼄⼥と薔薇と剣
 第六章 ヒュギースの息⼦
 第七章 信仰の⾏⽅(ゆくえ)
 第八章 オスティアの奇跡
 第九章 テバルドの魔術
 第十章 ジェノヴァからの出⽴
 第十一章 ミラノの教会墓地
 第十二章 ⽣贄(いけにえ)の祭壇
 第十三章 地底の国
 第十四章 魔術と祈り
 第十五章 銀鎧(ぎんよろい)の騎⼠
 第十六章 地下世界の終焉
 第十七章 幽⻤の狩⼈(ヴィルデ・イェーガー)
 第十八章 ヴァルベック城
 第十九章 恋と⼗字架
 第二十章 天上の処⼥(おとめ)
 第二十一章 去りゆく者たち
 第二十二章 ⻩⾦の巻き⽑の⼄⼥
 第二十三章 ジプシーの宝⽯売り
 第二十四章 復讐の刻(とき)
 第二十五章 最後の戦い
 第二十六章 教皇の使者
 第二十七章 復讐の彼⽅に
 最終章 ドナウ川の岸辺

  註
  ド・ラ・モット・フケー[1777–1843]年譜
  解題

【訳者略歴】
池中愛海(いけなか・あみ)
慶應義塾大学、早稲田大学非常勤講師。専門はドイツ・ロマン派、ホフマン研究。著訳書に „Zitieren als klassifizierter und klassifizierender Akt. Die Lesenden in E.T.A. Hoffmanns Lebens-Ansichten des Katers Murr“ (In: Religiöse Erfahrung - Literarischer Habitus. Iudicium Verlag, München 2020)、 『ルートヴィヒ・ティーク著作集 第四巻』(共訳、法政大学出版局、近刊)。

鈴木優(すずき・ゆう)
日本大学芸術学部助教。専門はドイツ教育思想史、シラーの美的教育思想。著訳書に、今井康雄編『モノの経験の教育学』(共訳、東京大学出版会)、「哲学的医師シラーによる『人間の使命』の探求」『近代教育フォーラム』(第30号)、「ハンス゠リューディガー・ミュラー著『陶冶の感性論理学』(共訳、福村出版、近刊)。

和泉雅人(いずみ・まさと)
慶應義塾大学名誉教授。編著訳書にブムケ『中世の騎士文化』(白水社)、ベーア『一角獣』(河出書房新社)、『迷宮学入門』(講談社)、シュラッファー『ドイツ文学の短い歴史』(同学社)、「C・ゲスナー『萬有書誌』、『動物誌』」(『慶應義塾図書館の蔵書』)、『ディルタイ全集第五巻(詩学・美学論集)』(法政大学出版局)、マシューズ『迷宮と迷路の文化史』(東京堂出版)、『ルートヴィヒ・ティーク著作集』全四巻(法政大学出版局、近刊)他。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『魔法の指輪 ある騎士物語 上・下』をご覧ください。


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