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トリスタン・コルビエール『アムール・ジョーヌ』訳者解題(text by 小澤真)

 2019年11月22日、幻戯書房は海外古典文学の新しい翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の五冊目、トリスタン・コルビエール『アムール・ジョーヌ』を刊行いたします。
 本書は1873年に著者が自費出版で刊行した、詩人コルビエールの唯一の詩集です。本書と同時刊行の詩人論『呪われた詩人たち』でポール・ヴェルレーヌは『アムール・ジョーヌ』(『黄色い恋』)の詩篇を取り上げ、謎に包まれていたコルビエールの肖像を、「呪われた詩人」の代表的詩人として描き出しています。
 1875年、29歳の若さでコルビエールが早逝したのちに、『アムール・ジョーヌ』は後世のフランスの詩壇をはじめ、エズラ・パウンドやT・S・エリオットら著名な文人たちに影響を与えました。ヴェルレーヌの評論『呪われた詩人たち』を『生得の詩人達』という邦題で翻訳し、「トリスタン・コルビエール」を日本に初めて紹介したのが、詩人・中原中也です。
 以下に公開するのは、訳者・小澤真さんによる「訳者解題」の一節です。是非この機会に、ポール・ヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』訳者解題(text by 倉方健作)と併せてご覧ください。

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19世紀における受容――ヴェルレーヌ
 さて、ここからはしばらく、文学史上著名な人々がどのようにコルビエールを読んできたのか、という点に的を絞って紹介していきたい。コルビエールの文学史のなかにおいての位置づけを知るためにも必要なことだが、実はこうした様々な論者の書いたものを読むほど、コルビエールの文学史上の位置が分からなくなる。それぞれの受容の仕方が千差万別だからだ。しかしいずれにしても、「わけがわからない」ということを知るためにも、彼ら先達の発言にしばし耳を傾けてみたいと思う。
 我々がまず挙げるべきは、やはりヴェルレーヌだろう。ヴェルレーヌはコルビエールを「海の詩人」と名指した最初の批評家であった。だがそれだけでなく、「ブルターニュの詩人」であることの重要性と影響も見抜いている。倉方健作氏(『呪われた詩人たち』、幻戯書房、2019)による訳から引用しよう。

 なんと見事にブルターニュ人らしいブルターニュ人であろうか! 彼こそは、ヒースの荒野と柏の大木と海岸の子供であった! ぞっとする懐疑論者の振りをする彼だが、同じ浜辺に生まれた粗野で気のいい同郷人たちのひどく迷信がかった深い信心、その記憶と愛とを抱えていたのだ!_(「Ⅰ トリスタン・コルビエール」、25頁)

 このあとに「縁日の吟遊詩人」が掲載される。この詩は後世まで人々に愛され、多く引用されるコルビエールの代表作のひとつとなる。海の詩人、そしてブルターニュ地域に根づいた詩人としてのコルビエールはすでにヴェルレーヌが言及しているのだ。ブルターニュの詩人としてのコルビエール像はこの後、詩人レオン・ブロワ(Léon Bloy 1846‐1917)などが発展させていくだろう。
 そしてもうひとつ、ヴェルレーヌは「呪われた詩人」としてのコルビエール像を作り上げたことでも功と罪があろう。「呪われた詩人たち」のシリーズで紹介された詩人たちのうちでは、18世紀に生まれ73歳で亡くなったマルスリーヌ・デボルド・ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore 1786‐1859)を除けば、コルビエールのみが1884年の時点では若くして故人となっていることも、コルビエールの「呪われている」というイメージを助長しただろう。

海の向こうへ――パウンド、エリオット、中也
 さらにフランスの外の世界での評価に目を向けてみれば、まずイギリスではエズラ・パウンド(Ezra Pound 1885‐1972)がコルビエールに触れている。「この時代の最も偉大な詩人」とまで賞賛し、コルビエールが「海辺を離れてもその力を失っていない」としている。ブルターニュではなく、都市を歌う詩においても力強い表現が見られるからだ。
 また、T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot 1888‐1965)はコルビエールをラフォルグと並べ、形而上詩人の先駆であるジョン・ダン(John Donne 1572?‐1631)や他の形而上詩人に比している。エリオットによれば「どんな近代の英国の詩人よりもジョン・ダンら形而上詩人に近い」とされている。
 我が国の文壇に目を向ければ、コルビエールに影響を受けた詩人としておそらく唯一挙げることができるのは、中原中也であった。中也は自身でコルビエールの詩をいくつか翻訳し、ヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』のコルビエールの章を翻訳、発表した。また「トリスタン・コルビエールを紹介す」と題してルネ・マルチノの著作から抜粋抄訳した未発表草稿がある。
 中也のコルビエールに関する翻訳は全集などで参照することができるだろう。中也がコルビエールを論じたものは見つかっていないが、「生得の詩人達」(呪われた詩人たち)のうち「コルビエール」を選んで翻訳、発表していることから、コルビエールに対する愛着が窺える。
 二人の詩人を比するとき、似ていると思われるのは「死んだ自分を見ている自分」のイメージであろう。たとえば、中也の著名な詩のひとつ「骨」である。

ホラホラ、これが僕の骨――
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?

 コルビエールの「のちのためのロンデル」の章に所収される「小さな悪の花」も引用してみよう。この章の詩はすべて死んだ詩人である自分への子守歌とでも言いうる詩篇となっている。

ここに帰ってくるだろう、青白き小さな花が
その再生(はる)はいつも通り過ぎていった……
開かれた心に、骨の山のうえに、
狂った微風がある晴れた日、種をまいていくだろう……

 死んだ自分を見ている自分は、その死を悲しんだりはしないのだ。むしろ苦笑いをさえ浮かべて、お道化て見せる。中也とコルビエールの詩には何か底のほうで通ずるものが感じられる。他にもコルビエールの「パリア」と中也の「この小児」を読み比べてみよう。

地球が二つに割れればいい、
そして片方は洋行すればいい、
すれば私はもう片方に腰掛けて
青空をばかり―
(「この小児」)
この星は丸いのだから、
その端っこを見る恐れなどなく……
ぼくが植えたところにふるさとはある、
地面も海も、ぼくの足の
裏にある―ぼくがすっくと立ったなら。
〔…〕
――どこで死のうと、ぼくのふるさと
開いている、祈りもなく
屍衣としては大きいくらい……
この上死装束など必要だろうか? ……
ぼくのふるさとは埋められて
ぼくの骨はひとりでも……
(「パリア」)

 死んでしまった「小児(enfant)」はまさにコルビエールの重要なテーマのひとつであった。まるで「星の王子様」のように、星とほとんど同じ大きさになってしまう大らかで幼気なイメージに、孤独と死の影がつきまとう。時と空間を越えて共鳴する不思議な残響がある。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。本篇はぜひ、書籍で御覧ください。
★関連書籍ポール・ヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』の紹介はこちらを御覧ください。
【目次】

 マルセルに 詩人と蝉

さは
 さは?
 パリ
 墓碑銘

黄色い恋(アムール・ジョーヌ)
 永遠の婦人に
 女性単数(へんなおんな)
 粋な放浪(ボエーム)
 ジェントル・レディ
 I(アン)ソネ
 ボブ卿におくるソネ
 スチーム・ボート
 恥ぢらいのひと
 雨のあと
 ばらに
 ズュルマの想い出に
 幸運と財産
 朋友に
 去りゆく若者
 不眠
 詩人のパイプ
 ひきがえる
 女
 椿の決闘
 アートの花
 かわいそうな少年
 斜陽
 よい晩ですね
 欠席裁判の詩人

セレナード・オブ・セレナード
 夜用ソネ
 ギター
 奪回
 屋根
 連祷
 ロザリオ
 アイのミョウヤク
 狩猟
 復讐
 刻の鐘
 もしの歌
 扉と窓を
 大オペラ
 窓ガラスの部屋

いちかばちかの
 遺(はしれ)犬
 わが牝馬こねずみ号に
 やさしき女(とも)へ
 わが犬ポープに
 乳のみ仔のユウェナリスに
 ある令嬢に
 くじけびと
 聾者のラプソディ
 双子の兄妹
 睡の連祷
 切断された田園恋愛詩
 故人の葬列
 太陽の昼食(うつろい)
 ナポリを見て死ね
 ヴェスヴィオ山会社
 ナーポリのソネート
 エトナにて
 グラツィエッラとラマルチーヌの息子
 リベルタ
 スペインの貴族様
 パリア

アルモールの海岸
 悪しき景色
 静物
 ブルターニュの富者
 テュ・プ・テュの聖テュプテュ
 縁日の吟遊詩人
 盲者の叫び
 コンリーの田園詩

海の男たち
 「海の山など築きはしなかった」
 船乗り
 せむしビトール
 亡命水夫
 オーロラ
 出航間際のセンチな見習い
 一寸一杯(しずくざけ)
 バンビーヌ
 ルドゥ船長
 メキシコからの手紙
 見習い水夫
 旧(ふる)きロスコフに
 税関吏
 禍事場海賊
 わがカッター船ネグリエ号に
 灯台
 終わり

のちのためのロンデル
 死後のソネ
 ロンデル
 よい子は、おやすみ……
 葦笛(ミルリトン)
 辞世句(ジョーク)
 ちいさな悪の花

 マルセルに 詩人と蝉

   トリスタン・コルビエール[1845–75]年譜
   訳者解題