『ポンペイ最後の日』をめぐって
『ポンペイ最後の日』はイギリス・ヴィクトリア朝の作家・詩人・政治家エドワード・ブルワー゠リットンの歴史小説である。紀元79年のヴェスヴィオ山の噴火によるポンペイの壊滅を背景に、才色兼備のギリシア人美女をめぐる若きギリシア人貴族とエジプト人魔術師の争い、魔術師のたくらみ、魔術、妖術、占星術、残虐な殺人などを描いて、キリスト教と異教の相克、円形闘技場での血みどろの戦い、魔女や媚薬などを駆使しながら、ヴェスヴィオ山の大噴火へといたる波乱万丈の運命を描きだす。本作品は数々の映画化により、世界的に有名な小説となった。だが、ヘンリー・ミラーが『ポンペイ最後の日』を「最も大きな影響を受けた100冊の本」(ミラー『わが読書』)の一冊に選んでいることからもわかるように、本作は単なる娯楽作品にとどまらず、人間の情熱、生と死、信仰、人生哲学など、深甚な人間の諸問題をあつかう畢生の大作となっている。
ポンペイは、イタリア南部のナポリ湾に臨む古都である。当時はローマの治下にあり、カンパーニアでも有数の華やかな都市であった。ローマの富裕者が別荘をつくり、劇場、神殿、浴場、公共広場(フォルム)、柱廊、商店が建てられ、ギリシアやアレクサンドリアなどとの通交も続けられた。エジプトの女神イシスの崇拝も盛んで、多くの祭司が仕えていた。文化は爛熟し、富裕な市民は逸楽にみちた生活を楽しみ、饗宴をもよおし、豪奢な生活がくり広げられた。ポンペイの人びとは贅を凝(こ)らした浴場で快楽にひたり、賭博や飲酒などに憂さを忘れた。また、円形闘技場で剣闘士や猛獣を戦わせて血みどろの闘いに歓声をあげたが、この見世物は市民の最高の娯楽だった。
それが79年のヴェスヴィオ山の大噴火によって、近郊のヘルクラネウム(エルコラーノ)とともに灰に埋もれ、1748年にポンペイの本格的な発掘が開始されて日の光を浴びるまで眠りつづけることになった。その発掘により古代の生活が明らかにされ、その豪華で淫靡な様相に人びとは目をみはった。その遺跡にはヴィンケルマン、ゲーテ、モーツァルト、スタンダール、マーク・トウェインらが訪れている。
ブルワー゠リットンは、1832年『ユージン・アラム』、33年『ゴドルフィン』などを刊行したのち、健康上の理由からイタリアへ旅行し、ポンペイ遺跡を見て着想を得、『ポンペイ最後の日』を執筆、1834年に出版する。本書は出版されるやいなや、ウォルター・スコットの『ウェイヴァリー』以来の大成功をおさめ、当時、ヴェスヴィオ山の大噴火が起こったこともあって、たいへんな評判を呼んだ。
保守党政治家・小説家であったベンジャミン・ディズレーリの父、文人アイザック・ディズレーリは「これほどみごとでおもしろいフィクションは、これまでなかった」と絶賛し[★01]、「エグザミナー」誌(1834年10月26日)はつぎのような書評を掲載した。
これは非常に好意的な書評であるが、手厳しい批評家たちはその偉大な才能を認めながらも、辛辣さをにじませることも忘れなかった。
ブルワー゠リットン自身は『ポンペイ最後の日』の大成功に大喜びであったが、そうしたときに彼がいつも見せるように、他人には謙遜してみせた。彼は友人のディズレーリに「イギリスでは、この作品が私の作品のなかで一番すぐれているという評判だ。それが本当かどうかはわからないが、私は女性が読んでもおもしろくないのではないかと心配している。女性というのは、こみいったプロットや技巧に富んだ構成を評価しないからね」と書き送っている[★04]。
『ポンペイ最後の日』は念入りな調査にもとづいて執筆されており、著者はポンペイで実際に発掘された「ディオメデスの屋敷」や「悲劇詩人の家」(グラウコスの邸宅)などを登場させている。本書を読んで、実際にポンペイ遺跡を見たならば、読者はそこに登場人物のすがたをありありと思いえがくであろうし、ディオメデスの屋敷の地下室で発見された固まった溶岩のなかに、若い女性の胸の跡が残されているのを見れば、作中のはすっぱなユーリアの最期について思いを馳せるかもしれない。S・J・フラワーによれば、19世紀初期に発掘されたアルバケースとイシスの神官カレヌスの頭蓋骨が1859年ブルワー゠リットンに寄贈され[★05]、彼はこれをたいそう自慢していたといわれる。
『ポンペイ最後の日』の執筆については、ブルワー゠リットンがイギリスの考古学者サー・ウィリアム・ゲルと出会ったことも重要である。ゲルは当時ポンペイの発掘調査において考古学者のあいだでも一目置かれていたが、イギリスからの旅行者を案内してまわる役目も引き受けていた。その旅行者のひとりがウォルター・スコットであり、スコットは本作品にも書かれているように、ポンペイの町を見て、「死者の都市だ!」としきりに叫んでいたといわれる。ブルワー゠リットンもゲルの指導のもと、ポンペイの歴史や地誌を研究し、本作の執筆に際してゲルの著作やスケッチを参照し、多大な恩恵をこうむったことから、本作品はゲルに捧げられている[★06]。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、エドワード・ブルワー゠リットン『ポンペイ最後の日』〈上・下〉をご覧ください。