見出し画像

社宅の食堂のおばちゃんから学んだ人生で大切なたった一つのこと。

今から7年前の出来事。

半年にわたるヒッチハイクで日本一周の旅を終えた僕は、次の目標に向けて愛知県にある某自動車メーカーで期間工として働いていた(期間工とは、自動車メーカーなどの製造業の現場で、一定期間働く契約社員のことです。)

僕の担当は車のドアにあるゴムを装着する仕事だった。ドアは一定間感覚で流れてくるので、手を休めることはなく、1日8時間から10時間ほどやっていたのだが、これが本当に大変だった。特に冬の寒い時期はゴムが硬くなり、それをドアに填め込むのにかなり指の力を必要で、始めて1週間で指は腱鞘を起こし、バネ指が起きていた。辞めたいと思う毎日だった。(その工程の中で一番大変だったらしい)

さらには人間関係も大変だった。

期間工として側らしく人たちははそれぞれいろんな事情を抱えている人が多く、年代もバラバラでまだ若かった僕はとても周りの人と仲良くなれるような雰囲気ではなかった。

それでもそんな生活に慣れ始めた2ヶ月経ったある日、いつものように仕事を終えて寮に帰ってきた。疲れた体にエネルギーを入れるため食堂に晩御飯を食べに。

寮のご飯は決して贅沢なご飯ではないが、当時生活に余裕がなかった僕にとって無料で一汁三菜を食べられるのは幸せなことだった。

ご飯はゆっくり食べるので、ご飯を食べ終わるのはいつも僕が最後。食器を片付けにいったら食堂のおばちゃんから「仕事は慣れてきた?」と。

僕は「大変ですが、もう慣れてきました」と言った。
それから話ははずみ、僕がここで働いている経緯を話した。
するとおばちゃんは自分のことを話してくれた。

「私ね、夢があったの。私と旦那は競艇が好きで、よく2人でいろんな場所に行ってたのよね。だから2人で話してたの。お互い定年したら一緒に全国の競艇を巡る旅をしようって。でも50歳半ばである日突然体調を崩して亡くなっちゃったの。あと定年まで数年だったのにね。もうその夢は叶わなくなった。人間、いつ死ぬかわからないからやりたいことは後回しにせずにやりなさい。」と。

当日の僕にとって死とは無縁で、いつまでも人生が続くような気がしていた。死がいつ訪れるかなんて誰にもわからないってことを教えてくれた。


あのときの言葉は今でも心に刻んでいて、やりたいことを後回しにしようとした僕の背中を押してくれる。


おばちゃん元気にしてるかな。


この記事が参加している募集

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?