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小説『私の馬』発売記念号「紙の本をつくるということ」(全文無料公開)

本日9月19日、小説『私の馬』が刊行された。
3年にわたる”あの事件”についての取材。100頭以上の馬や、その乗り手たちとの出会いを経て、ついに読者の皆様にお届けできると思うと感無量だ。

この3年のあいだに、本を取り巻く状況もかなり変化した。
本を読む時間の大半は、スマートフォンに奪われてしまった印象がある。
この物語そのものが、スマホの中の言葉に疲れ果て、それでもそこから離れられない僕自身の実感から生まれたものでもある。

そんな状況の中で、「紙の本」をつくるという行為がどういうことなのか、今回はとことん考えてみた。編集者の矢野優さん、中瀬ゆかりさん、そして新潮社装丁室(出版業界でも有名なブックデザインルーム)の内山尚孝さんと、こだわり抜いた本作りをしていった。

まず表紙となる装画を、画家の井田幸昌さんに依頼した。
彼がキャリアの初期の頃に描いていた「馬の絵」がとても好きだった。
非常に精密なタッチで描かれながらも、どこか夢の中にいるような馬。

小説を読んでもらい、装画制作を快諾していただいた。
驚くことに彼は、油絵で3枚もの作品を仕上げてくれた。
「好きなものを選んでください」
と彼は言った。
いずれも素晴らしい作品だったが、僕はその中の「顔が描かれていない馬」に惹かれた。圧倒的な黒い馬の肉体、だがその顔は見えない。それは読者の想像力に委ねられている。極めて文学的な絵だと感じた。僕がその絵を選ぶと、「僕もその絵がいいと思っていました」と彼は応えた。

まだ絵の具の匂いがするキャンパスを彼から受け取り、丁寧にスキャンをして、ブックデザインに取り掛かった。

内山さんからの提案は、タイトルに金の箔押しをすることだった。
この物語は馬の物語であり、お金の物語でもある。
自分が愛した馬のために、1億ものお金を横領していく女性を描いた。
黒い馬の上に、金色の文字がのると、それだけでこの物語を象徴する表紙となった。

本そのものは”あのブランド”を想わせる、オレンジになった。
誰もが憧れる”あのブランド”は、19世紀に馬具工房として創業された。
いまだに乗馬の世界では、”あのブランド”の高級馬具を身に纏った馬たちが駆け回っている。馬に対する人間の根本的な憧れ、世界の富を象徴するあのオレンジが表紙を捲ると現れる、リッチなデザインとなった。

そのほかにも、本のトップにちらりと見える花布(はなぎれ)は金色を選び、本のしおりとなる紐は黒い馬の尻尾のような太いものを選んだ。


本のデザインの隅々までも物語を感じられるようなものにして、「紙の本」を読むという体験を楽しんでもらいたいと思っている。
気になった言葉に線を引いたり、頭に浮かんだ言葉や、思い出した情景を本に書き込んでもらっても構わない(僕はそういうことをよくする)。
「紙の本」の手触りや匂い、捲るという行為が、人間の想像力を喚起すると信じて作った本だ。じかに手にとっていただけたら、これ以上の喜びはない。

最後に、井田幸昌さんからいただいた装画制作にまつわるお言葉、その全文を載せたいと思う。作家と画家が、ひとつの物語をめぐって創作し合えたことは、とても幸せなことで、ラストシーンはこの絵を見ながら描き上げた。井田さんに心より感謝したい。


「井田さん、僕は井田さんの馬の絵が好きです」
この川村氏からの言葉を受け、始まった本作の装画制作は、私にとって実に困難を極めるものでした。
なぜなら、小説の内容から浮かんできたテーマが「人を惑わすほど美しい馬」であったからです。それは同時に「美とはなにか」と、根源的な問いを私に突きつけました。
「人を惑わすほどの美しい馬」とは、どのような馬なのか。これまで画家として肖像画を手掛け、多くの人々を描いてきた私にとっては、なおさら自分に問う必要がありました。そうして描き上げた三枚の絵を、私は川村氏にお送りしました。その中の一枚には、特に異質な作品がありました。それが本作の装画となる「顔のない馬の絵」でした。
「なぜこの絵は馬の顔がかかれていないのですか」という川村氏の問いに、私は「美しい顔を読み手が想像することが一番重要である」と答えました。川村氏は一息ついた後、「井田さん、素晴らしいです。この絵でいきましょう」。そう言ってくださったのでした。
小説を読むとき、登場人物の顔は読者によって異なるでしょう。特に美しい顔というのは、単に整っている顔に限らない。その表情がわからないからこそ、人は物語に没入し、狂わされることもある。
また、小説を読み進めるあなたにとっての最高に魅惑的な馬を、心から惑わされてしまう表情の馬を、イメージしながら読み進めていただきたい。
そこには人が思う美の本質なるものがあろうと私は考えます。
このような一画家の思いを汲み取っていただいた川村氏に深く敬意を表するとともに、読者の皆様にも届くことを願っています。
小説のなかでは、「馬は人に夢を見せる」という言葉があります。この言葉は、芸術にも通じています。人の持つ「欲」、それは恐ろしく魅惑的であり、時に誰かを狂わせてしまう。その血生臭さは人間と芸術を語る上でも切り離せないものであり、それがこの小説にはありました。
芸術は人を狂わせる。私はそうまわりの人間に言ってきました。
私自身そうであるし、そうなってしまった人々を沢山目にしてきました。
「馬は芸術そのものなのだ。そして人はその存在の美しさに狂うのだ。だからこそ芸術は恐ろしい」
一画家の視点からこの小説を読み終えて、そう感じています。
川村さん、私たちはきっと何かに魅入られ、取り憑かれてしまっているのですね。それを芸術、または美と人は呼んできたのかもしれない。
そして私たちは既に夢の中にいるのかもしれない。
あなたが書いたこの小説の主人公のように。

井田幸昌

新潮社『私の馬』ページ


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皆様の感想をしっかり読んで、創作の糧にしたいと思っています。ぜひお言葉をお寄せください。


★9月24日(火)小説『私の馬』発売記念noteトークイベント
川村元気×岸田奈美 日常から物語を生みだす
まだ若干、お席がございますので参加ご希望の方はぜひお申し込みください!
日時:9月24日(火)19:00〜(18:30 受付開始)
会場:note place東京都千代田区麹町6丁目6 -2 番町麹町ビルディング 7F JR 中央線・総武線、丸の内線『四ツ谷』駅 徒歩2分)
参加条件:川村元気「物語の部屋」のメンバーシップ会員(9月は初月無料キャンペーン中)と、岸田奈美「キナリ★マガジン」の購読者の方、限定のイベントとなります。※当日、受付にて、ご自身のスマホで会員画面をご提示いただきます。
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