多様性はなぜ重要なのか ~①生存戦略~ の余談

先日、多様性がなぜ重要かについて記事を書きました。

多様性が重要な理由は、人類の手札を増やしておくためです。

人類という種が生存していくためにどういう特性が有効になるかは予測できないので、手札を増やしておこうというわけです。

ここで、特性というワードが出てきました。

僕は、自分が発達特性(ASD)を持っていることについて、特に悲観したりすることなく、これはただの特性の一つなんだと捉えています。

今回の記事では、どんな人でも役に立つかもしれないという話をします。



さて、僕はグルメが好きなのですが、ふと、「これ初めて食べようと思った人間すげーなー」と思うときがあります。

そんな時に僕が想像するのは、遠い昔の時代の話です。


例えば、納豆。

納豆は今でこそ健康に良いことが知られていますが、本来は腐った食べ物です。

納豆という概念を人類の誰も持たない遠い昔の時代に、初めて腐った豆を食べたチャレンジャーが必ずいたはずです。

そのチャレンジャーはもしかしたら、腐った物を食べるしかなかった極貧の民かもしれないし、何でもかんでも興味本位ですぐ食べてしまうアホだったかもしれません。


また、松茸やトリュフは高級食材ですが、同じキノコ類でも、匂いや見た目だけでは判断できない猛毒のキノコもたくさんあります。

時として、毒キノコをうっかり食べて死んだ人もいるでしょう。

しかしその尊い犠牲のお陰で、周りの人が"これは毒キノコだ"という学びを得られたかもしれない、と想像するのです。


つまり"アホ"という特性が歴史上のどこかで人類の役に立ったかもしれないのです。


現代では、アホにも御大層な病名がついていることがあって、それが例えば発達障害であったり知的障害であったりするわけです。

しかし、アホが人類の役に立った可能性もあると考えると、これから先の未来にも、役に立つ可能性はあるのです。


弱みはあってもいいんです。

ぜひ前向きに生きましょう。


ちなみに。

殺人鬼ですら誰かの役に立つという突拍子もない考えもあります。

そんなまさか!? と思ったら読んでみて下さい。


次の記事はこちら


頂いたサポートは、僕のプロテイン代となり、文字通り血となり肉となります。 そうやってエネルギーを充足させられれば、きっとよりよい連載が続けられる気がします。