対症療法は本質ではない

対症療法とは、疾病の原因に対してではなく、主要な症状を軽減するための治療を行い、患者の自然治癒能力を高め、かつ治癒を促進する療法である。姑息的療法とも呼ばれる。 転じて医学以外の分野においても、比喩として、「根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して物事を処理すること」という意味で用いられることがある。 ウィキペディア


「蚊に刺されたら、ムヒを塗ればいいじゃない」
これは対症療法である。

ゆうべ、季節外れの蚊の襲来で安眠を妨害され、ブチ切れながらそんなことを考えていた。


対症療法とは、要は、困ったらそのつど対処する、というもの。
刺される度に、ムヒを塗る。
これは本質ではない。
なぜなら蚊は毎晩刺すのをやめてくれないからだ。

毎晩起こされてはムヒを塗る日々を送り続けますか?
ふつう、殺しますよね。
(あるいは蚊を逃がすか、屋外であれば虫よけスプレーをするか、対処も様々あろうが、私には蚊をブチ殺す以外の選択肢はない)


問題とは、本質に対処しなければいつまでも続くものだ。
「これを延々と繰り返して"仕事してるフリ"をしているのが今の日本です。」
本質をやれ。

蚊は、殺せ。

以上。

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