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シナリオコンクールの締切と深夜撮影の中で生まれた修学旅行みたいな夜

6月29日(木)。
この日は、年に一度に行われているドラマ脚本コンクール【NHK創作テレビドラマ大賞】の締切日前日であった。大賞を獲れば、賞金50万円と脚本がNHKでドラマ化される。テレビドラマの脚本家になりたい人は、経歴関係なしの大チャンスのコンペだ。

僕は今年で4度目の挑戦。
初応募した2020年、翌21年は二次落選(多くのシナコンは一次で応募総数の約15%しか通過しない)、22年は一次落選。

これまでは早くても締切前日、遅いと締切30分前に書き終わっていた。
つまり、書き終わるので精一杯。自身での確認作業や、第三者からアドバイスを貰って修正することはほとんどできずに。

脚本家は、プロデューサーやスポンサーなど、人から言われた指摘を、何度でも直せる人がなれる仕事だと何かで読んだ。
脚本家デビューしても、どこで終わるか分からない、この改稿作業にやられ、去っていた人もいるらしい。
また映画だと、30数稿の脚本改稿なんてザラにあるらしい…。
初稿を書き終えた次の二稿、三稿へと続く改稿作業からが、本当の執筆。
ほぼ改稿せずに書き終えた達成感で、一軒め酒場でお刺身を頼みまくり一人打ち上げをする僕は、脚本家には程遠い人間だ。

なので、今回は遅くとも締切1週間前には書き終え、そこからこのnote記事も添削してもらっている友人に、ギリギリまで意見を貰い、修正し、応募すると望んでいた。彼のおかげで締切1週間前には、結末までを書き終えることができた。

さあここから改稿という本当の脚本作業がはじまる。脚本家を体感するぜ~と意気込んでいたが、その最後の1週間。
夜~明け方まで、俳優業の方で地方の泊まり込みの連日撮影が入った。
いつもは撮影が入ると、そのありがたさで、駅の自販機横のペットボトル専用と書いてあるごみ箱に、スタバのフラペチーノ容器を平気で捨てる奴を見ても、「いつかそれがダメなことって気づけよ」と心の中で穏やかに呟けるほどゆとりのある気持ちになれるのだが、今回は違った。

おそらく想定していた改稿時間は、ほとんど取れない。
案の定、そうなった。
締切最後の1週間、改稿時間は取れて1日2時間少しだった。プラス深夜帯の撮影なので、普段の体内時計も逆転し、パソコンに向かっても、中々作業が進まない。

この週思った。
1つの撮影が入るだけで、持ち合わせのヘタレ(この記事も、書き始めてからもうずるずると2週間経っている…)や言い訳体質で、作業から逃げようとしてるのに、
脚本のみならず、俳優もラジオもグループ魂の作詞もギターも、さらにNHKでは深夜の生放送番組『おやすみ日本 眠いいね!』もやっている宮藤官九郎さんや、
『ブラッシュアップライフ』を書いている時期も週何十本のバラエティー番組をいつものようにこなし、『ブラッシュアップライフ』を書き終えた翌月には、オール新ネタで毎年行われている単独ライブをこなすバカリズムさんらは、まじでどうなってるんだ。密着ドキュメンタリー番組を観させて下さい。

あっというまに、締切前日。
何とか1周目の改稿はでき(この時点で理想は5周くらいできなきゃだめだと思う…)、大きく修正が必要なのは結末と、あとはあらすじを書くのみだった。(シナコンだとあらすじは、応募する際のほぼ必須項目で、あるコンペでは、あらすじで一次審査通過者を決めているとまで噂されている…)

そしてこの日の撮影は、22時過ぎに終わった。
その後は新宿駅までロケバスで送迎してもらい帰宅。
だが僕の住まいでは、その時間に新宿に到着しても、終電がない可能性が高かった。
その旨をスタッフさんに伝えると、「始発に合わせてバスを出すので、それまではここで待ってもらってよいでしょうか?」と言われた。
このロケ地は、ある大規模施設の跡地のような場所で、屋内は涼しさもほ程よく、夜を超すことも苦ではない。

むしろ好都合!ここで作業をしようと決めた。
ケータリングで頂けるカップみそ汁やせんべい、ガムを貰いに貰い、さあ書くぞとその時。

「外に懸垂できる場所あるんで、一緒にしませんか?」

今回の撮影で、最もコミュニケーションを取ってきてくれた、ある共演者が言ってきた。彼も始発待ち組のひとり。
声かけてくれたのは嬉しい。
だが今は懸垂など、全くしたくない。
何よりあと数時間後が締切なので、何としてでも作業の時間に当てたい。

「やりたいんだけどね、ちょっとやらなきゃいけないことがあって…」

と言ってやんわり断った。彼も「了解です!」と懸垂に向かった。
後に聞くと、懸垂ができるエリアがあるらしく(どんなエリア?)、スタッフさんも「時間潰しに鍛えていいですよ!」と、快く言ってくれた上での誘いだったらしい。あまり聞いたことのないやり取りだ…。

とにかくこれで書き始められる!そして改稿スタート。
いつもは少し煮詰まると、すぐスマホいじりや、音楽聴きながらの外ぶらぶらに逃げてしまうが、間際はなぜか間髪入れずに作業が進む。
期限や締切の効力は、ほんとに偉大である。

2時間ほど取り組んだのだろうか。
トイレに行くため、外へ出ると、懸垂の彼は他の始発待ち組数人とバスケをしていた。それを景観としながら、喋っている始発待ち組も。
トイレ前は、かすかに記憶にあるディズニーランドの駐車場並みの広さであった。
スタッフさんが「もしよかったら!」と現場にあったボールを貸してくれたらしい。懸垂に、バスケボールまで…。やさしい方はそこかしこにいるものだ。

僕はその空間、空気が素敵で羨ましい気持ちになった。
バスケは球技のなかで最も苦手で、学生時代の休み時間も極力断って、下手さとそれに伴う恥ずかしさを隠してきたが、ここは苦手な人でもバスケに入れる空気というか、もうバスケを見ながら喋る組の方でもいいから、入りたくなった。
20~50代の男女がこんなに清々しく、健全に集まっている空間。
もう『野ブタ。をプロデュース』や『Q10』などの脚本家・木皿泉ドラマの世界のようなやさしい空間だった。

僕と同じ28歳の懸垂男は、通りかかった僕をまた誘ってくれたが、また僕は断って、室内に戻った。ただ、揺らぎと断った後悔が芽生えていた。

1時間ほど経って、彼らが戻ってきた。
そして僕の机の周りに皆が座った。
「え?」
懸垂男は「ワードウルフやるんですけど、げんさんもやりますか?」と言った。
ワードウルフとは、あるお題が決められて、それについて皆で喋るのだが、1人だけお題が違う人がいて、それが誰かを当てるという、まあ人狼みたいな遊びだ。

今までは、断ることも簡単な絶妙なフランクさで声をかけてた懸垂男が、今回はまるで断れない距離感での誘いであった。
だが、僕はこの時「声かけてくれてありがとう」の気持ちだった。
こんな夜明かしの時間は、滅多にない。
しかも皆がこの現場ではじめて知り合ったのに、対等に接し、自分を大きく見せようというマウントコミュニケーションや、さりげな自慢を差し込んでくる人もいない。強いて言えば自分が輪に入ったことで、この空気が壊れるのが本当に不安だった。
でもこの人たちの、この夜の輪に入ってみたい。
しかし、自分から「入っていいですか」とは言えない。
そう思ってた時に、この距離間で声を掛けてくれたのが、嬉しかった。
輪に入りずらい人にも、絶妙なタイミングと距離感で話しかける懸垂男。
彼はもしかしたら学生時代、そのような同級生を幾度も助けている人なのかもしれないと思った。

そこからバス発車までの数時間、ワードウルフだけで過ごした。
20代~50代の大人たちが。スマホでSNSなど見ずに、ゲームを通した会話だけで。修学旅行みたいな夜だった。

そして始発の新宿駅へ向かうマイクロバスの中で、この年になってもこういう夜を過ごせることが嬉しくて、この気持ちの状態でJUDY AND MARYの『BLUE TEARS』をイヤホンで流したら、少し涙が出た。
数日後、この涙は久々に『BLUE TEARS』を聴いたら、めちゃイケ最終回を思い出しての涙であったことに気づくのだが。

大学のレポート提出間近の時も、脚本コンペの締切直前の時も、友人の特別な誘いも自分を優先して断ってしまう自分が、この日の出来事によって、この日だけしか出来ない事は、締切とかそんなものがあってもした方がいいんだな~と思った。今まで結構、一度きりの特別な時間を潰してきたのかもな…

そして数週間後。
NHK創作テレビドラマ大賞一次審査発表。

落ちていた。一次落選だった。何度目の一次落選だ?

落ち込んだ。4度目の挑戦で一次落選。
特にドラマ脚本家のトップランナーは、27,8歳で賞を獲っている方が多く(『リーガル・ハイ』などの古沢良太さん、『silent』の生方美久さん)、僕にもそんな27,8歳が訪れてデビューできると思っていたが、その年に大賞はおろか一次通過することもできなかった。

しかも、一次審査後に発覚したのだが、僕は応募規定に記載された選考対象外に該当する行為をしていた。それは、

応募脚本内に氏名などの個人を特定するものを記載した場合は、選考対象外となる。

という事。まさしく↑の感じで、募集要項でもっとも大きな黒字で書かれているのだ。
僕は脚本の最初のページのタイトル横に名前を書いていた。
これをした時点で選考外になるのだ。
おそらくだが、シナコンには既に脚本デビューしている人や、去年最終選考まで残ってた人、また他シナコンでは受賞している人など、いわゆる脚本コンペ界隈では、既にネームバリューのある人も多数応募している。
審査員側に、それらの先入観を与えず、約55ページの脚本のみで判断するために設けている規定なのだと思う。
「まさか…」と去年の応募脚本も見返してみたら、僕は同じことをしていた。タイトルの横に堂々と古堅元貴と書いていた。

これを知った時、人からギフトカードを貰った時しかスタバには行かない僕が、抹茶フラペチーノをベンティサイズで頼んで、駅で速攻で飲み、今最も嫌いなペットボトル専用ごみ入れにフラペチーノ容器を捨てるという行為をしたら楽に生きれるのかも、という考えがよぎったが、やめた。

あの修学旅行みたいな夜の日を思い出した。
締切前日にあんな夜を過ごしたんだ。あんな想い出やエピソード、また28歳で仮に大賞を獲ったとしても、そんな体験に巡り合う事はないんじゃないか?みたいなことを思って、少し楽になった。

とにかく今、次出す予定の9月末締切のシナコン応募へのモチベーションが僕にはある。まだよかった。
今、そのシナコンの応募の際の注意事項をスクショし、スマホの待ち受けにした。せめて、もう選考外にはならないように。
ほぼ毎日ペットボトル専用ごみ入れにフラペチーノ容器やら、まさかのコンビニ弁当のごみを入れる奴も見かけてしまうが、がんばろう。


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