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砂糖バター牛乳生クリーム。そりゃ美味しいよ。「どうせ食べるなら───。」の話。

1日に3食食べる人もいるし、1日1食の人もいる。
生きるために食べている人もいれば、食べるために生きている人もいる。
食べるものを選択する人もいれば、与えられたものを食べる人もいる。
健康的な食生活を送る人もいれば、不健康な食生活を送る人もいる。
食べることが辛い人も、食べることが楽しい人もいる。
1人じゃ食べれない人もいれば、1人じゃ食べたくないけど、食べる人もいる。1日の終わりに今日何食べたっけってなる人も、1日の終わりに食べたものを記録する人もいる。

みんな選択して生きている。選択できる、権利がある。選択できる自由がある。ちっちゃいことだけど

「どうせ食べるなら」

の気持ちをいつも考える。気負わずに、選択する。

いつ死ぬか分からないのに、選択しないなんてもったいない!仕事に追われていた時は食事は二の次で生きてる心地がしなかった。(お昼をPM6:00とかに行ってかき込むように食べてた)
どうせ食べるなら美味しく、どうせ食べるなら健康的に、どうせ食べるなら楽しく、どうせ食べるなら感動もしてみたい。(でも、8年に1回でいい)

健康的なパンを作りたい!食べたい!と、ブランやオートミールやおからなどいろいろ試していると「うちのおじいちゃんはマーガリンべったり塗ったパンをよく食べてたけど80過ぎまで元気だったわよ」と、母がいつも言う。

うん。そーなの。でもね、どうせ食べるなら、どうせ作るなら、クリーンなものの方がいいじゃない?

でも気負わない。

バターたっぷりまっ白な砂糖どぶぁーー水を牛乳や生クリームに。そりゃ美味しいよ。美味しくないわけがない。そんな時があったっていい。でも、どう作るなら副材料に頼らずに美味しいものが作ってみたい。家族に食べさせてあげたい。

健康的な、といっても人それぞれ。
アレルギーがある人もいれば、健康と言われているものも過剰摂取すると悪に転じることもある。
何事も適度に。やりすぎ禁物。考えすぎ禁物。

だから気負わずに試してみる。
無知なのに試してみると分かることもあるし、失敗することもある。シンプルで美味しかったら本物な気がする。美味しいの基準は自分じゃなくて誰か。それが難しくて楽しい。みんな違って楽しい。
トライアンドエラーを繰り返して成長してく。

この短くも長い一生でまずいと思うものは食べたくない。
どうせ食べるなら美味しいものを食べたい。
どうせ食べるなら好きな人と食べたい。
どうせ食べるなら───。

ちっちゃい左脳ととちっちゃい右脳で感じ取る。
ちっちゃいことでも選択できることに喜びを感じる。

ちっちゃい幸せが、幸せ🍞
そー思える幸せ🍞

それでわでわ🍞

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