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死の淵を見て、思ったこと

絶望の始まり

2022年、11月下旬。

とある日の午後、一本の電話が入った。

来客に対して自分のプレゼンテーションを実施する順番を待っている時だった。

そういえば、この電話番号から朝も電話がかかってきていた。

忙しくてそれどころではなかったが、少し気になって、会議室の外へ出る。

「もしもし。」

それは人間ドックに行った翌週で、担当医師からの電話だと分かった時に、嫌な予感はした。


腹部エコーの結果、肝腫瘍の疑いがあるとのことだ。

悪性、すなわち肝臓癌である確率はおそらく3〜4割くらいで、癌であればステージ4程度に進行しているように見えるらしい。

腫瘍は多発しており、肝臓は切れない部分も多いから、癌である場合は治療法も限られ、長期間生存するのは難しいだろうとのことであった。


何の躊躇いもなく淡々と宣告され、とても今自分が対峙している出来事には思えなかった。


・・・これは現実か?


理性的にそう疑う余地があることで、現実であることを強く認識する。

明らかに呼吸が速くなるのが自分でわかる


筆者はまだ30代だし、肝炎にも肝硬変にもなったこともない。

むしろ、筆者は重大な疾病による突然死リスクを最小化するために25歳から毎年人間ドックに課金してきており、一般に比べて慎重に対応を行ってきた自負がある。

それが突然このような診断を受けたことに対して戸惑いと怒りを感じた。

調べてみると、この年齢で肝臓癌に罹患するのは10万人に1.3人程度と超低確率であるようだ。

それもかかわらず、筆者が該当してしまうのか?

3〜4割は決して低確率ではないし、その場合はもうすぐ人生が終わってしまう。

こんなにも用心深く生きてきたのに、あっさりと死んでしまうものなのか。

告げられた内容を受け入れたくなくて、精神を保つために吐き出す数々のポジティブな「たられば」は、医師からは意味のない議論であると切り捨てられた。

取り急ぎ、翌週に造影剤を利用したCT, MRIを受けろと言われたので、それに従うことにした。

しかし、今すぐに確定的な結果を知りたい

そしてそれは当然に大丈夫であるという結果が欲しい

検査は翌週だが、その結果を確認するのは更に先になる。

この宙ぶらりんな状態が、しばらく続くという状況に愕然とした。

とても耐えられるものではない。

今日さえまともに越えられない確信があった。


絶望だ


錯乱しながらも仕事に戻ると、不思議と思考は鈍らず、プレゼンテーションは淡々とこなすことができた。

やることがある方がずっとラクだった。

むしろ、仕事の後帰宅して一人になることが怖い。


その後、取り急ぎ社長に連絡し、状況を伝えた。

いやいやそんなわけないだろうと、社長と一緒に医師に再度電話すると、社長も医師の言葉にだいぶ引いていた。


間が悪いことに、筆者は翌日から4日間の海外出張だった。

こんな状況で海外だなんて、とてもじゃないけど行けやしない。


社長は筆者が心から頼りにしている医師に緊急連絡して、翌日無理矢理面談の実施をお願いしてくれた。

そして、当該医師が他の重要な予定をキャンセルして、なんとか会ってもらえることになった。

東大医学部出身者が結集したステージ4からでも癌と戦える先端癌治療を行っているクリニックの院長で、彼に任せてダメならどこに行ってもダメだろうと思える先生だ。

今回の人間ドックはビジネス上の付き合いで特別に別機関にて受診したものだが、普段は当該医師にお世話になっている。

社長は、先端癌治療は高額だけど、いくらかかっても全部払って絶対助けてやるから安心して働けと言ってくれた。

不安は少しも拭えないけれど、この言葉によって物凄く救われた


不安と眠れぬ夜

肝臓癌「疑い」の段階で家族に話せば、家族も結果がわかるまで不安に苦しむだろうから、現時点では言えない

渦巻く焦りや恐怖に対峙して、この状況を自分一人で抱えていることもできないから、友人に相談するしかない。

どんなに長時間の相談に付き合ってもらっても、どうにもならないことは最初からわかっている。

でも、耐えられない。このまま家に帰れない。

友人に電話をかけて、近くの駅で会ってくれることになった。

公園で1時間くらい話し、色々と丁寧に聞いてくれた。

根拠ないポジティブワードを繰り返すしか無くなってきたあたりで、お互いになんとなく帰宅すべき雰囲気を感じて帰宅した。

非常に感謝はしているが、相談したところで、この先に待ち受けている運命は何も変わらない

それでも話を聞いてもらったことで、少し気が紛れた。


家に帰って一人になると余計にツラい。

簡易的なセカンドオピニオンとしてアスクドクターズ(オンラインで医師に相談できるサービス)で複数の医師に状況を説明するも、やはり確定診断を得ない限りには何も言えないということで、取り付く島もない。


一瞬でも忘れようと、エンタメコンテンツに触れるも、テレビからも、スマホからも、もはや何も頭に入らない

これまでは精神的にどうしようもなくなった時は、「クレヨンしんちゃん」や「あたしンち」など、何も考えなくて時間をやり過ごせるアニメをぼーっと見ながら寝落ちするというような対処してきたが、それすら通じない。

本当に何も入って来なかった。

情報をインプットしても、アウトプットする機会がもうないのに、何をインプットするというのだろうか、と馬鹿馬鹿しくなった。


明日以降は遺書を書いたり、家族へのメッセージビデオを撮り溜めたりすることに時間を充てるべきなのだろうか。

こんなこともあろうかと、生命保険でも相当な金額がカバーされるように用意してあったので、家族が経済的に困窮することはなさそうだ。

そんなことを考えながら寝ようとするも、全然死ぬ準備なんてする気も起きないし、全く眠れない

そのまま、朝になっても全く眠れなかった。



希望の光

翌日、午後には空港に向かわなければならなかったので、残された時間は午前中のみだった。

願掛けも込めて最高級の手土産を持参し、震えながら医師に全てを話した。


結論としては、良性の血管腫が散在しているだけと思われ、肝臓がんの可能性は低いだろうとのことだった。

前回の人間ドックの結果までのログをもとにその判断の合理性について説明を受けた

その瞬間、「ああ、もう大丈夫だ」と思えた。

もちろんこれから追加検査を受けたりする必要はあるが、すでにもう不安は8割くらいはなくなっていた

そこから数週間続く結論が未確定の日々にも耐えられる確信が持てた

そして、4日間の海外出張はそれなりに楽しめたし、それなりに眠れた。


診断結果の確定

海外出張が終わり帰国の2日後、大学病院で検査を行った。

ほぼほぼ大丈夫だとわかっていながらも、やはり検査をしている最中は不安な気持ちが少しは再燃する。

MRIやCTの撮影中に、「おやっ?」と思う間があったりすると怖くなった


そして12月の2週目にようやく診断結果を宣告される予定となった。

ここまで1か月弱かかった

しかし、信頼する医師の診断と、万が一の場合の先端癌治療の約束が相当な心の支えとなり、初日の翌日以降はそれほど苦しまずに過ごすことが出来た


結果を告げられるときも、やはり不安になる。

検査時よりも更にドキドキした。


結果はやはり血管腫で、何ら治療の必要はなかった

大丈夫だとわかっていたものの、ようやく肩の荷が下りた。

何をするにもチラチラと頭をよぎった不安が完全に消え去り、ようやく日常に戻ったことを実感した。


後日談として、忘年会で大学の友人にこの話をしたらめちゃくちゃに怒って、「なんだよその話、ふざけんなよ。誤診した医者を訴えなかったら、もうお前と縁切るからな!」と筆者を思う余りに縁を切られそうになった思い出がある。


死の淵を見て、思ったこと

自分もいつかは死を迎えるという思いは漠然と抱きながらも、年齢的にまだうっすらとしか感じてこなかった中で、このような経験は非常に強烈な印象を残した。

大いに苦しんだのはたった一晩で、うっすら苦しんだのも1ヶ月弱という期間であったが、自分の死を強く意識することで色々なことを思い、以前より研ぎ澄まされた感覚でこれから生きていけるように思える

以下にこの経験を通じて思ったことの要約を自分の備忘も込めてまとめておく。


自分の中で想像通りだったこととしては、以下の通りであった。

  • 自分の人生を振り返ってみたが、常にそれはベストだったと思えるし、そこに少しも後悔は感じなかった

    • それは信頼している人を大切にし、大切にされてきたから

    • また、自分に配られたカードでできることを確認しつつ、その中でやりたいことを常に自分で選んできたから

  • 社会的な地位や肩書きなどの他人からの評価は最期まで何の役にも立たなかった

⇒他人の思いではなく、自分の思いで自由に生きることに価値がある


自分の中で意外だったこととしては、以下の通りであった。

  • 死ぬ確率が3-4割と半分未満でありながら、死の宣告をさせることで強烈に取り乱した

  • それなりに年を重ねて一通りの経験をして満足していようと、自分が死んでも身内が経済的に困らない準備がしてあろうと、死ぬ覚悟なんて全くできなかった

  • きっと自分が何歳になっても死に対する恐怖度合いはそれほど下がらないのではないかと思った

  • 周囲の励ましの言葉は有難かったが、(語弊があると思うが)想像以上に救いにはならなかった一方、根拠のある「絶対助けてやる」は劇的に精神を救った

⇒自分の想像以上に生きたいと思っていた


普段からやるべきこととして再確認したのは、以下の通りであった。

  • 信頼できる医師にかかり続けること

  • 当該医師のもとで定期的に健康診断(人間ドック)のログを残し続けること

  • それについて、家族にも同様の機会を与えること

  • 生活習慣を見直して、重大な疾病に罹患しないように可能な限りの予防を行うことが重要

⇒死なないための十分な努力をする


これからこうして行きたいと思ったのは、以下の通りであった。

  • 24時間365日フル稼働の社畜で高収入という、いわゆるエリートサラリーマン的な生活は自分の仕事に対するスタンスには合っているけれども、やりたいことをやるために「やることを自分で決められる」、家族や友人との思い出を増やすために「時間を持てる」働き方に変える必要を感じた

  • スキマ時間ではチャレンジできないようなことにチャレンジできるように、40代にはリタイアをオプションとして持てる経済的自由を得たい

  • 自分が育った町や家族や友人やカルチャーに良い影響を与える活動をしてゆきたい

⇒今よりも時間とカネを生み出して、もっと自由に生きたい

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