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先輩に質問したら時間を奪っているとかいうクソ理論

監査法人に入った頃に先輩に質問すると、「調書読んだの?」と必ず聞かれていた。

どういうことかと言うと、他人に聞く前に当然調べたんだよな?という意味だ。

まあ、他人に質問することで時間を奪うことになるという議論や、調べるという最低限の努力をした上で聞くという社会人のエチケット的な議論においては正論ではある。

とは言え、読んでもイメージが湧きにくいこともあるし、理解が浅くて誤解が生まれるかもしれないし、当時は紙調書だったのでせっかく先人が素敵な調書を作ってもポンコツが1人挟まることによりゴミに変化するので読んでも意味がないこともあるし、そもそも聞けば秒で終わることをわざわざ調書保管室まで行って探す必要なんてなくない?イメージだけでも伝えてくれれば、もっと速く終わるんじゃない?むしろお前が答えられないだけなのではない?と、いつも思っていた。


この考え方の正当性を確信したエピソードを話しておくと、筆者が入社して2年目くらいだったと思うが、小さめの非上場会社チームに配属されて、現場は主査と筆者の2人チームだった。その先輩はAとしよう。

特に説明もないままとりあえず現場に行き、不明点を聞こうとしたらAに「私に聞かないで会社に聞いてよ!」と怒られた。

苛立ちながらも、「そういうものなのか」と自分を納得させようとした。

そしてその翌年だったか。別の大規模な監査チームでもAと一緒で、そこでは主査はもっと上の年次の人が受け持っていた。期末監査のある日、Aは現場で突然慌て始めて、話を聞くと税金・税効果が分からないとのことだった。そこで自分はこの分野が苦手だと言って、主査に泣きつき、数時間かけて説明を受けていた。

筆者は電卓を投げつけてやろうかと思った。

結局お前も聞くんじゃん。聞いた方が効率的だと思ってるじゃん。

結局Aは「調書を読め」とか、「会社に聞け」とか、それらしく聞こえる言葉を自分に都合よく使っているだけだった。

他人には教えず(というか教えられない?)、自分がわからない時は上司に泣きつくという最低な人間だった。よくもそんなレベルで部下を叱責できたものだ。自分に対して恥ずかしくならないのだろうか。

そして質問は他人の時間を奪う理論を振りかざす奴の中にはこういう奴がいっぱいいるんだろうな、と思った。

その翌年あたりにAは監査法人を去っていった。

正直もう関わりたくなかったので、ほっとした。


そこから数年経って、人材は大きく入れ替わり、教える文化ができた。それと共に電子化により紙面調書がなくなって雑用も減り、明らかに若手の成長が速くなっていると感じる。それは脅威に感じるくらいに。

コミュニケーションをしっかり取り合うチームは各人がとても成長する。


旧世代には結構Aみたいな人がそれなりにいて、そういう人は本当にやりにくかった。

確かに質問は他人の時間を奪っているのかもしれないけど、多分お前も誰かの時間を奪ってきたんだし、そこをフォローするのが先輩なんじゃないの?と思う。教えると自分の勉強にもなるしな。

なので、質問くらいさせろ!というのが筆者の意見だ。

教えを乞う部下を「お荷物」だと思う上司は、むしろ自分が会社から見たら「お荷物」だということに気づいた方が良い。


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