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信頼と信用

おはこんばんにちは。
限界金欠アスリートこと杉浦拓実です。

今回のテーマは「信用と信頼」です。

ポエマー?と思った方

大正解!


今日は僕のボエム話でも聞いて
お酒を飲みましょう!笑(僕は飲みませんが)

早速、本題に入らせて頂きます。
信用と信頼について皆さん深く考えたことはありますか?

職業柄といいますか、チームスポーツをやっているので、
相手の行動に対して信用できるか、信頼できるか、はたまたできないのかを、
判断する機会が多いです。
ラグビー選手がみんなそうと言うわけではないので、誤解をしないでください。
あくまで、僕がそうなだけです。
「この人は信頼できるな」「こいつは信用できないな」などと
自分の中で日々思いながら生活しています。
自分で言うのもアレですが生きづらいです。笑
僕自身も他人に対して信頼されていないなと感じることもあります。

例を出すなら、高校1年と大学2年の時のことです。
まず、高校1年生の時は花園で2回戦だったか3回戦で戦った
東海大仰星高校の時のことです。
私は、リザーブで登録されていて当時はSOだったので、
SOのリザーブとしてメンバー選出されました。
しかし、もう1人3年の先輩でSOの選手がリザーブで入っていたので、
僕の出番は、ほぼ100%出る確率はなかったです。
試合が決まってしまって誰が出ても結果は変わらない時間帯に入ったところで、
SOのリザーブに入っていた3年の先輩が呼ばれ試合に出場しました。
この時私は、
「結局出さないなら3年生で試合で使える人をリザーブに入れればいいのに」
思っていました。

大学2年生の時では、選手権の準々決勝で明治大学との出来事です。
SO・CTBの控えだった私ですが、
先発メンバーは、SO凛太郎、CTB眞野さん・アタさんでした。
怪我がない限り、(アタさんに関しては怪我をしてましたが)
案の定僕が試合に出ることはなかったです。
試合後に4年生の引退が決まって円陣を組んだ時に、
何もできない自分に、涙が出ました。
メンバーにも入れなかった4年生に申し訳ないことをしたなと思いました。

こうしたことがあり、「なぜ信頼されてもらえないのだろう」
「なぜ信用してもらえないのだろう」と考えるきっかけがあったのかなと思います。

実際、その次の年の高校2年・大学3年の時には先発で試合に出ていたし、
試合出れなかった時の自分と試合に出ていた自分で何か変わったことがあるかと
問われたら、正直何も変わってなくてただ自分が目指しているところへ行くために、練習をしていただけでした。

それを褒めて讃えてほしいわけではなくて、
問いたいところは、やっていることは変わらないのに、
表や人前で見えているだけで、応援されたり、賞賛されることに対しての
疑問です。


よくある知り合いや少し話したことがある人が有名になって、
私友達だったんです〜とか言いふらすやつとか
インスタのストーリーとかで同期が試合に出た時にタグ付けして知り合いアピールするやつとか笑
それで自分はすごい人間なんだとか、他の人より優れるとか思っている人もいます。僕自身はそういった人間はしょうもない人間だなと思ってます。

その理由として、そういう時に群がってやってくる人は、
大抵自分が失敗したり挑戦する時には支えになってくれないから。

そこで信頼や信用が重要じゃないかなと思っています。

最近何しているか分かんないから連絡してみるかという人がいるか。
この人が困っていたら助けたいと思う人はいるか。
これが信頼できる人や信用できる人の定義だと私は思います。
人それぞれ人との付き合い方あると思いますが、
僕はそう言った人間関係を目指していきたいなと思っています。
皆さんも信頼・信用できる友達を1人でも多く作れるように願ってます。

しかし、信頼した人や信用した人が必ずしも自分の思い通りに、
なんでもやってくれるわけではない。
僕がいくらお医者さんを信頼して信用したとしても腰が治らないと同じように、
結果とは全く関係ないことを理解する必要がある。
自分自身の心の持ちようをどうにかして平常に保つために、
人を信用や信頼するんだろうなと思います。


最後に信じるというテーマで、
芦田愛菜さんが言っていた言葉がとても印象に残っていたので、
共有させて頂きます。
「その人のことを信じようと思いますっていう言葉って
結構使うと思うんですけど、それってどう言う意味なんだろうって考えた時に

その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなんじゃないかなと…

その後にこう続いています。

「だからこそ人は、『裏切られたとか期待していたのに』とか言うけれど、
別にそれはその人が裏切ったとかそう言う事ではなくて、
その人の見えなかった部分が見えただけであって、
その見えなかった部分を見えた時に「それもその人なんだ」って
受け止められる揺るがない自分がいるって言うのが信じられる事なのかなと。」

いや、人生何周目??

って感じですけどめちゃくちゃ納得した自分がいます。

結局何がいいたいかといいますと、
自分への戒めとして投稿させて頂きました。
僕自身まさしく他人に対して自分が理想とする人物像みたいなものを、
比較してこの人は信用できる、この人はできないといった判断をしている。
それに良い悪いはないのだけれども「それもその人なんだ」と
受け止められる自分でいられるかと考えさせられました。
多角的に物事を考えることの重要性を改めて感じることができました。
皆さんも信じている人が自分が想像していることと違うことをした時に、
受け止められる心を持っていますか?

以上、友達いない限界金欠アスリートでした。
言葉って難しい。
ご感想・現金謝礼お待ちしております。
では、バイちょる👋👋👋



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