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読書を習慣化するためのポイント

18歳から本を自発的に読み始め、既に15年以上、読書をほぼ毎日続けている。日々読書をすることに対して、もはや意志力は殆ど働いておらず、特に誰から求められるわけでもなく、いわば慣性で読み続けている(それが習慣というものだ)。世の中には私など及びもつかぬ読書家が多く生息していることは十分に承知しながらも、15年間に亘りまがいなりにも1つの活動を続けてきていることには変わりないので、等身大の自分をフラットに認めながら、なぜ読書を習慣化できたのかを振り返り、そのポイントをまとめておきたい。


Ⅰ. 本を買う

①書店に行く回数を増やす

「ある刺激に触れれば触れるほど,それを好きになっていく現象」を単純接触効果という。読書を継続するには、本という対象を好きになるのが一番早い。そのためには、本と触れる回数を増やすという単純な方法が有効だ。

私は外に出て、暇さえあれば書店に行く。どこに行きたいと言われたら365日いつ聞かれても「本屋とカフェ」と答える。本屋で本を購入し、カフェで読むことができるからだ。

現在建て替え中の三省堂神保町本店などは、おそらく人生で1,000回以上通っている。建て替え前は特に用事がなくても、近くに行ったらとにかく立ち寄っていた。そうすると単純接触効果で本を好きになり、読書が身近になり、習慣化が近づく。

②ちょっとでも気になったらとりあえず買う

本を買う時に吟味しないこと。これに尽きる。気になったらとにかくホイホイ買っていくのだ。

本というのは、いつどのタイミングで自分にとって「読みたい本」になるのかがわからない。買った直後は意外と興味が湧かずにすぐには読まないかもしれない。それでも良い。書店で見て、少しでも気になった本はすぐには興味が湧かなくても、あとで急に読みたくなる時が来るものだ。数日後、数週間後、数か月後、数年後、どれくらい後になるのかはわからない。しかし、気になった本を買っておいて「買わなければよかったな」と思ったことは少ない。逆に、「気になったからあの時買っておけばよかったな」と思ったことは一度や二度ではない。

もちろん金銭的な制約は誰にでもあるので、人によって買える本の選択肢や量は異なるだろう。しかし今はネットで安い古本を探すこともできるし、意外とやりようはある。私は超貧乏学生だったが、古本屋にも通いながら自分の買える範囲で気になる本はどんどん買っていくことにしていた。お金はとにかくなかったが、それで「無駄遣いをした」と後悔したことは一度もない。本はとてもリターンの大きいコンテンツであり、投資対効果だけを見てもペイすることがほとんどだ。安心してどんどん購入していける。


Ⅱ. 読む本を選ぶ

③読むべき本ではなく、読みたい本を読む

読書を修行のように捉えてしまうと途端に続かなくなる。人間の意志力は有限である。意志力で自分を制限せずとも、自然と行動に移せるような状況を作り出すことが肝要だ。

そのためには、とにかく読みたい本を読むことを最優先に考えよう。「読まなければならない本」に囲まれることほど苦しいものはない。そういったものを自分の周りに積み上げてしまっているのなら、一度全て崩して、読みたい本だけを周りに置く。そして自然と本を手に取る状況を作るのだ。

私は、人から本を勧められて気にならなかったら絶対に買わない。少しでも気になったら買う(上述したポイント②に則して)。しかし、買ったからといってすぐに読むとは限らない。読みたくなったら読む。本を勧めた人はすぐに読んで感想を伝えたら喜ぶだろうが、人を喜ばせるために本を読んでいるわけではない。自分の読みたい気持ちを大事にしよう。

④「今の自分が」読みたいと思う本を読む

本というものは、読むタイミングが重要である。同じ本を読んでも、人生の中でどのようなコンテキストのもとで読んだのかによって受け取るものが全く異なってくる。

今の自分が読みたいと思う本を読むと、本から得られるものがとても多くなる。今じゃないなと思う本を無理に読んでも、得られるものが少ない。「読むべき本」ではなく「読みたい本」を読むことが重要だが、「読むべきタイミング」はある。ある本を読むべきタイミングは自分にしかわからないので、自分の感覚を重視することが肝要だ。本から色々なものを得られるようになると、次も読んでみようと思えるようになる。

⑤買った順に読もうとしない

既に書いた通り、気になった本はとりあえず買うべきだ。しかし買った本が「読むべきタイミング」になるのは、買った直後とは限らない。ずっと本棚で熟成させておいて、数年後にポンとそのタイミングが訪れることもある。

ついつい買った順に読もうとしてしまうが、買った順番は読むべき順番と一致しない。「買う」ことと「読む」ことを切り分けて考えよう。

⑥並行して複数の本を読む

本は読み終わるのに時間がかかることが多い。内容の濃い本ほど、読了までに期間を要する。私も数か月単位で読んでいる本がざらにある。

その本を読んでいる期間、他の本を読むべきタイミングが訪れることが良くある。その時は堂々と併読する。全く同時に複数の本を読むことはできないが、複数の本をスイッチしながら読むことは可能である。

重要なのは「自分の興味を切らさない」ことだ。数か月も1つの本を読んでいるとダレてくることもある。そうしたら、その時読みたい他の本を読む。そうすると新鮮な気持ちを持って最初の本を読むことが出来るようになったりする。1つの本を読み終わったら次を読む、というある種の生真面目さは捨てておき、とにかく自分の興味を切らさないことを優先しよう。

⑦積読を是とする

積読を否定的に捉える人は少なくないが、私は積読は肯定すべきだと考えている。上述した各ポイントともつながるが、「買う」ことと「読む」ことは本来切り離して考えるべきだ。とりあえず気になったら買う。読むべきタイミングが到来したら読む。買ったがまだタイミングが来ていない本は積読になる。特に悪いことはなく、むしろ積読がないと読むべきタイミングで本を読むことができないので、積読がないとダメと言っても良いくらいだ。

積読が進んできたら「さて、読むべきタイミングを待っている本が増えてきたな」と楽しみにしておけばよい。積読を恐れないことだ。


Ⅲ. 本の読み方

⑧通読にこだわらない

本は始めから終わりまでちゃんと読むべきという態度は素晴らしいもので、そうしないとちゃんと読めない本も世の中には存在する。しかし、読書習慣をつけるなら優先すべきはその態度の順守ではなく、「読みたい」という気持ちの維持である。

頭から本を読んでいき、なんだか読みたいのはその先のパートだなと思ったら、飛ばしていきなりそこを読んでしまう。そのあとのパートは特に関心が湧かなかったら、本を閉じてしまう。それで良いのである。

本は通読しなければならないわけではない。そして、拾い読みをして読まなかった部分も、そのあと読むべきタイミングが訪れることもある。「今その場で全てを読まないといけない」わけではないという気持ちで、本に向き合うことが大事だ。

⑨本を読んで1つでも何か持ち帰ればよしとする

本を読んだからには、そこに書かれていることを全て理解して糧にしようという考えは素晴らしい。しかし、この考えも自分を縛る枷になることが多い。やはりここでも優先すべきは「読みたい」という気持ちの維持である。

本を読んで、1つでも心に残るものがあったらそれで投資回収は十分だ。それが2つ、3つあったらもちろん素晴らしいが、1つでも構わない。「ああ、読んでよかった」と思えることが小さくても良いので1つでも受け取れたら、それでその本を読めたことにする。自分の中のハードルを下げることが重要である。

⑩内容を覚えようとしない

以前、以下の記事で読書の効用について言及した。

詳しくは記事で書いた内容を見ていただきたいが、要は書かれていること(=情報)を得ることに読書の意味は見出しにくくなっており、読書をすることで自分が変わることの方が意味が大きい、という話だ。⑨で書いたように、本から持ち帰るものがあること、そしてその持ち帰ったものを踏まえて自分が少しでもアップデートされること。ここに重きを置くと、「本で読んだことを忘れないようにしないといけない」という束縛的な思考から解放されることができる。

⑪「正しい理解」などないということを理解する

「本に書かれていることを正しく理解しないといけない」という呪縛も多くの人に取り付いており、この呪縛のせいで読書を敬遠する人も少なくない。学生時代の国語のテストで「正解」を選ばされることを原体験として刻まれていることも、そんな呪縛が生じている主な要因の1つだろう。

以前「古典論」という本を紹介したが、この本を読むと古典と呼ばれる本は最初から確固たる存在だったわけではなく、読者に受容され、改変され、それがまたアップデートされというプロセスが幾度となく繰り返され、もうこれ以上は大きく変わらないというレベルにまで昇華されることで、ようやく形作られるものだということがよくわかる。様々なコンテキストで多種多様な読まれ方をされるという変遷を経て、古典として落ち着いているのである。その過程では、様々な改変や解釈の変更も起きている。

もう1冊、「知的トレーニングの技術」という本にも「読むとは、頭の中にもう一つテキストを作ること。自身の脳への書写、複写である」という主旨のことが書かれている。正しい理解などない、自分がテクストに向き合って理解を作っていくしかないという前提で読むことが重要だ。

⑫「読む」ことの定義を見直す

多くの人は、「読む」ということのハードルが高い。ちょっとでも目を通したら、それは読んでいる。1ページでも見たら、それは読んでいる。その本の解説や書評などを読んだら、それもその本を読んでいることになる。「読む」という行為には幅広いグラデーションが存在する。

西田亮介准教授の言葉を引いておこう。

「『本を買ったら最初から最後まで完読しなければいけない』という人もいるだろうが、いい加減に作られている本もあるし、これまで単著だけでも10何冊書いてきたぼくだって振り返ってみればちょっといい加減に書いている本もないわけではない。なので、本に書いてあることをいちいち真に受ける必要もないし、ニーズ次第で話半分にパラパラと読むだけでも十分だ。ぼくも流行りのビジネス書なんかはそんな感じで流し読みしているものがたくさんある」

https://times.abema.tv/articles/-/10083364?page=1

特に⑪⑫に関わるが、本記事を読んでいただいた方は是非とも以前紹介した「読んでいない本について堂々と語る方法」を読んでみてほしい。「読む」ということの多義性を理解しながら、読むことのハードルを下げることが出来るようになると思う。

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