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AIやアンドロイドが書道を学ぶとどうなる?

AIによる画像生成が普及している。
私が気になっているのは、「AIは書道を学ぶとどうなるのだろうか」ということだ。

たとえば、AIが書道を学ぶ際に、次の2つのアプローチがあると思う。
・人間が書いた書の作品(お手本)を画像データ、あるいは(紙の凹凸や墨の浸透を含めた)3Dデータとしてスキャンし、その学習データを元に、いかにも筆で書いたかのような画像データを生成する。
・AIを搭載したロボットを用意し、そのロボットに筆を持たせて書を書いてみる。目標となるデータ(お手本)に似せるように筆で書く作業を繰り返させ、学習をする。

これら2つの学習は、AIによって書を学習させているが、アプローチが異なる。

前者(データスキャン)は、圧倒的に速いスピードで学習ができる上に、「いかにもあの人が書きそうな書体」で新作を生み出すことも容易だろう。

後者(アクチュエータで筆を動かす)方は、実際に物理的な現象(筆や墨・紙)を介して学習している。これは、人間でいう「身体性」をもった学習に近いのではないだろうか。物理的な制約がある分、前者(データスキャン)と比べて学習スピードは遅くなるし、できないことも多いだろう。

この、前者と後者では、同じ「書」というものを生成することを目標としているのだが、それぞれのAIが学習しているもの(内容)は異質なものだと思う。

AIを搭載したロボットが筆を持って書や絵を描いたり、楽器を演奏したり、スポーツをしたりするようになると、ますます「人間が何のために創作をするのか」の意義を見つけることが難しくなるような気がする。

それにもかかわらず、お金にもならなくても、なんだか分からないが作り続けてしまう、ということ、めげずに何か作り出すというのが、人間の創作のよすがになるのでは、という気がしている。

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