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想いを包み、未来を創造するパートナー 株式会社吉村/橋本久美子

若者応援企業を巡るスタディツアー、今回は株式会社吉村を訪問。代表の橋本さんにお話を伺いました。


株式会社吉村の紹介

株式会社吉村は、食品包装資材の企画、製造、販売を手掛ける企業です。吉村の事業内容は多岐にわたり、グラビア印刷、軟包装デジタル印刷、ラミネート加工、スリット加工、製袋加工、刷込後加工に対応できる生産体制を持っています。小ロット・製版代0円の「エスプリ」を始めとする柔軟な仕組みで、お客様の多様なニーズに応えています。また、袋を作るだけではなく、日本茶業界を盛り上げるべく、次世代にお茶の良さを伝える日本茶イベントの企画や茶器の開発モニタリングなど、幅広く事業活動を行なっています。

祖父から父へ時代と共に成長してきた

お茶の葉は広大な茶畑で育つ

―こんにちは、本日はよろしくお願いいたします。こうして歴史ある会社をご訪問できて嬉しいです!

こんにちは、橋本です。そう言っていただけて嬉しいです。今日はよろしくお願いします。では、まずは会社のことを話した方がいいですかね?

―はい、ぜひお願いします。

今の会社は、昭和7年に祖父がつくった会社です。その頃は、品川の大森で浅草海苔が採れていた時代で、お客様だった海苔屋さんに「お茶も取り扱いたいんだけど、袋を作れない?」と言われて、そこから茶袋を製造するようになりました。当時の茶袋は、紙製だったので保存性もなにもなかった。お茶屋さんの店頭に茶箱というものがあって、お客さんがこれくださいと言うと茶箱のお茶葉を袋に入れる。それを家に持って帰ったら自宅の茶缶に入れてたんです。

そしたら、昭和47年、高度成長期の頃にアルミ箔の袋が出てきました。これが空気も光を通さないので保存性が一気に良くなった。この時に会社を継いでいた私の父が、これからはお茶は店頭で詰めるんじゃなくて、産地で詰めたフレッシュな茶葉が消費者に届く時代が来る、だからうちはメーカーになろうと決めました。ただ、メーカーになるということは、土地や工場も自社で持つことになるので莫大な設備投資が必要になります。親戚は絶対に無理だと反対したのですが、父はやると決めて茶袋を一貫製造できる工場を作った。そこから時代の流れに乗って会社も大きくなっていきました。

静岡にある営業所と工場

庶民派のかっこよさを教えてくれた母

―お父様は先見の目があったのですね。もう少しご家族のことについて聞いてもいいですか?

はい。家族は父と母、そして私と妹の4人家族です。母親にも影響を受けたと思います。母は、静岡出身で長く東京に住んでも静岡弁を貫き通してましたし、綺麗事を言うのではなくいつも本音で話す人でした。そんな母親のエピソードがあるんです。今の本社ビルができた時に父がお客さんをたくさん呼んでお披露目のイベントを開いたんです。コンパニオンさんも呼んで、そこでマグロの解体ショーをやった。イベントが終わってお客さんが帰った後に、コンパニオンさんに向かってうちの母が「あんたら、おじさんたちにへえこらして大変だったら」「このマグロはあんたらが先に食べなさい」って言ったんです。そしたらコンパニオンさんが、「私たちはこの仕事を長くしてるけど、こんなふうに社長の奥様から言われたことはない」って喜んでくれたんです。それを見た時に、本当にかっこいいなと思いました。

父は見た目を気にする人だったから、母もそこは父に従って、いい着物も着てたんですよ。だけど、本来の母は全然着飾らないし、人に対して本音で関わる人だった。「庶民派のかっこよさ」というか、そんな母の姿に憧れてましたね。だから私もグリーン車には乗らないし、社長室はもたない。社内はフリーアドレスでみんなに混じって仕事をしてます。あとお中元とか自宅に届いたら全部会社に持ってきてみんなで分ける。とにかく社長だから偉いとかそう言うのはない。みんな一緒にするみたいなところは拘りですね。

経営は芝居に似ている

―かっこいいお母様ですね!橋本さんの学生時代のお話を聞かせていただけますか?

学生時代は劇団を作って芝居をやっていました。自分が役者として前に出るのではなく、脚本書いて演出する方が好きでしたね。この時に商売の基礎を知ったと今では思ってるんですけど、当時大事にしていたのが、"役者さんにチケット販売のノルマを与えない"ってこと。これね、役者さんが演技に集中して頑張るためにはすごい大事なんですよ。自分は座長だったので、言わば劇団の経営者、運営を続けていくにはチケットを売らないといけない。そうしないと、次に芝居をやる小屋代(劇場代)が出ないんです。

チケットを売る為には何が大事かと言うと、普段が大事なんですよ。こちらの都合で急に「チケット買ってくれない?」って言っても誰も買ってくれない。普段から「なんか久美ちゃんには世話になってるよね」って思ってもらえるように行動していると、自分が困った時に助けてくれて、久美ちゃんの頼みならと買ってくれる。あと、会社で言う人事は芝居のキャスティングなんですよ。それから、経営指針書は脚本だし、経営指針発表会は「ここがライトが当たる位置だからね、ここでフェードインだからね」とか言って演出つけるみたいな感じ。実際幕が開いたら、そこからは社員さんと言う役者の世界だから自分は出ていけないし信じて任せるしかない。本当に芝居と経営は似てるなって思っています。

会社を離れ専業主婦へ

―なるほど、そうなんですね。その後はどうされたんですか?

父の会社にそのまま就職しました。その後結婚するのですが、夫は婿養子にならず、私の名字は「橋本」になりました。会社の方は、妹の夫が吉村の姓を取って働いてくれることになりました。その後は出産と同時期に夫が大阪に転勤になり、専業主婦として大阪に引っ越して社宅生活を始めました。

社宅では、あんまり上手く人間関係を築けなくてね。例えば、団地内の草刈りみたいな時に「橋本さんのタンポポの根っこの切り方が悪いから、すぐタンポポが生えてくる」と文句を言われたり、「朝9時過ぎましたけど洗濯物がまだ干されてませんね」とかも言われて、仕方ないから「ちょっと気分が悪くて…」と仮病使うと、そのせいで夕飯の買い物に行けなくなったりしていました。今、その頃の自分に会ったら「お前しっかりしろよ」って言いたいぐらいでしたね。

リアルな声こそマーケティングの肝

―そんなことがあったのですね。

でも役に立つこともあったんです。ご近所付き合いをする中で知ったのは、家庭で日本茶が飲まれてないことです。主婦たちはコーヒーと紅茶しか飲んでないし、お茶の入れ方が分からないという人も多かった。BtoBの会社にありがちだと思うんですけど、私の父はいつも「消費者ニーズは大事だ」って言ってたんですけど、父の言う消費者ニーズはお茶屋さんのニーズなんですよね。一般の消費者のニーズは掴めていない。当時は「ペットボトルのお茶はまずいから、あんなのはお茶じゃない」ってお茶業界の人は言ってたんだけど、周りの主婦は気にしてない。それどころか、学校の家庭訪問の時は、ペットボトルのお茶を湯飲みに入れて、レンジで温めたものを先生に出している。自分が入れるお茶よりはその方がマシだと思ってる。

お茶業界の人が考えている事とこんなにもギャップがあるのを恐怖に感じて、これは後々父の会社がなくなってしまうのではと思って、父に「お茶は家庭ではほとんど飲まれていない」と電話をしました。そしたら、そんなことはないと父が言うんです。だったらと、社宅の奥さんたちになんでコーヒーや紅茶がいいのかを喋ってもらい、それをビデオに撮って父に送ったんです。それを見た父がびっくりして、「これはお茶業界の人も知った方がいい」となり、主婦を対象に日本茶の座談会をするようになりました。それを記事にして業界の人に発信することで消費者の声を届ける活動を始めました。

―社宅での主婦同士の会話がきっかけで、そのような活動が生まれたのはすごいですね。

社長としての人生

橋本久美子社長

―ここからは、橋本さんが社長になるまでの経緯を聞いてもいいでしょうか?

分かりました。それから10年間は専業主婦をしていたのですが、夫がまた転勤になり東京に戻ることに、そして吉村で再び働くことになりました。今振り返っても自分には専業主婦は向いてなかった。これでやっと「〇〇ちゃんママ」や「〇〇さんの奥さん」というポジションではない自分で勝負できると思うと嬉しくて嬉しくて、水を得た魚のように猛烈に働きましたね。二人の子どもの子育てもしながらだったので大変ではありましたが、とても充実していました。

それと新たな気づきも得られました。結婚前は吉村久美子として会社で働いていて、結婚して橋本姓になった。そしたら、お客様の電話の感じが全然違うんです。以前は、「吉村の吉村です」と電話に出ると「お父さんにはいつもお世話になってるよ」と言ってくれたり優しかったのに、「吉村の橋本です」と言うと「てめえの会社の社長、いい車乗りやがってどんだけ儲けてんだ」とか言われるんですよ。同じお客様なのにこんなんに態度が違う。社員さんは普段からこんな大変な思いをしながら働いてくれてるんだなと身に染みました。

あと、社員さんからの相談に乗るのが好きでした。自分に自信がないという相談があれば、その人の話をじっくりと聴く。自分も専業主婦時代に上手く立ちまわれなくて、すごい自信がなかった。あのまま社宅にいたら、タンポポの根っこの切り方を考えて生きる人生だったかもしれない。だけど環境が変われば人は輝けると自分の経験で分かっているので、この人も場所が変わったら花が咲くんじゃないかって考える。こういう風に考えられるようになったのは、あの社宅生活があったからですね。

その後社長に就任するのですが、その時の会社状況はよくなかったですね。52億あった売上が45億まで下がり、同じパッケージメーカーの競合は「もうお茶業界はダメだ」と上場企業にM&Aされました。その後、大手企業の強みを活かして大ロットでとにかく価格を下げてきて、最初はうちもその流れについていこうとしたのですが、やはり価格競争には勝てない。作っても作っても儲からない状態でした。

茶業界のビジネスパートナー

多くの子どもが参加したT1グランプリ

―この苦しい状況をどうやって乗り越えたのですか?

総合パッケージメーカーとして戦うのではなく、勝てる土俵を切った方がいいと判断して茶業界だけに絞りました。これまでは、会社の封筒や名刺にも総合パッケージメーカーと書いていたのを「茶業界のビジネスパートナー」と変更しました。そして、呼び方だけじゃなく本気で茶業界に貢献するんだと、様々な活動も始めました。例えば、T1グランプリという小学生にお茶に親しんでもらおうという大会です。当時、任天堂のWiiが出たばっかりの時で、優勝したらWiiがもらえるとしたところ、凄い数の応募がきて、家でお茶のたて方とか練習してみんな臨むんですよ。これいいなと思い、全国大会を開催しようとなり事務局として運営を担当しました。他にも、お茶のテイスティングフェスティバルとかもやりましたね。


―面白い取り組みですね。そういったことは橋本さん主導でやられてたんですか?

そうですね。今振り返ると、当時の自分は一人で突っ走ってました。自分の中で「これをやりたい」というイメージがあって、それが正解だと考えていた。だから、それを社員さんにやらせようと必死でした。「あなたならできるわよ」と持ち上げておいて、自分の思い通りに動いてくれなかったら「そんな人だと思わなかったわ」と言ったり、とにかく自分の思うように動かしたい気持ちが強かったですね。

その当時、従業員の満足度調査をやったんですけど、「給料安い」「有給よこせ」「ワークライフバランスとかよく分からないカタカナ使いやがって」とか散々書かれてました。その中でも一番ショックだったのが、「こんな厳しいこと書かれたら、お前はきっとこの声をなかったことにするだろう」って自由記述欄に書かれていたことですね。それを見て、この結果をちゃんと受け止めて行動しなければ、私の経営者人生は終わるなって思いました。

自分は社員と向き合っていなかった

そこから経営者としての勉強を始めるんですけど、中小企業家同友会の勉強会でオレンジのワークショップというものに出会うんですよ。どういったものかと言うと、「一つしかないオレンジをAさんとBさんの二人で分ける、二人がWin-Winになるためにはどう分けるのがいいか?」というのをグループで話し合うんです。その時に私は、「ジュースにするのが1番いい、それだと平等だ」と自信満々で言ったんです。そしたら違うグループでは、「1個のオレンジでケーキを焼いて町に売りに行って、売ったお金でオレンジを2つ買って分ける」とか「オレンジの種を植えて、オレンジの木を育てて、鈴なりのオレンジを山分けする」というグループがいて、そんな発想もあるんだと驚きました。

そこで、このオレンジのワークショップを各営業所でもやりました。自分が出たワークショップは経営者ばかりが参加してたからあんな発想が出たけど、社内では無理だろうなと正直期待はしてなかった。そしたら社員さんからどんどんアイデアが出るんです。ケーキを焼いて街に売りに行くというアイデアが、この人はそんなこと考えつかないだろうと思ってた人から出たり。それを見た時に、これまで組織論とか勉強してきたけど、そんなことより社員さんと直で向き合おう。その方がよっぽど経営者としても会社としても成長できると感じました。

サンタクロースの理念

ロゴマークはお客様と吉村が手を取り合って「包む」と言う想いを表現

―経営理念についてのお話を伺えますか?

もちろんです。我が社の理念は「想いを包み、未来を創造するパートナーをめざします。」です。ただものを包むためのパッケージを作りたいんじゃない。中身に人の思いがあるものを包みたい。例えば、無地の袋に入ってシール貼って自家消費だけがターゲットだったものが、素敵なパッケージに入っていると、プレゼントに使われたり、おしゃれな雑貨屋に置かれたりとかする。そうやって商品の未来を変える仕事なんだ。自分たちの手で未来は創ることができるという思いを込めてこの理念を作りました。「パートナー」という言葉には、自分たちは生産者ではないのでものづくりの当事者ではない。生産者や茶商さんがつくった大切なものを包むパッケージを作るパートナーという意味があります。それと、私にとって社員さんが最も大切なパートナーです。


―素敵な考え方ですね。

ありがとうございます。私が理念の大切さを感じた大好きな話があるんです。理念づくりをしている途中で「理念で飯が食えるのか?」と思って、ある経営者に言ったんですよね。そしたら、「サンタクロースの理念がもしあるとしたらなんだと思う?」と聞かれて、「子供に夢を届けることじゃないですかね」って言ったら「そうだよね、サンタクロースもそう思ってるだろうし、私たちもそう思ってる」「でも、もし理念がなかったら、サンタクロースの仕事はめちゃくちゃ過酷な深夜宅配便だよね」と言われて、なるほどと思ったんです。

私たちの仕事はお菓子の袋だって飴の袋だって、作ろうと思えば安くして大量に作れるけど、ただものを包むためのパッケージを作りたいんじゃない。中身に人の想いがあるものを包みたい。そして、茶業界のビジネスパートナーとして貢献したい。だからこそ、自分だけじゃなくて、社員みんながこの理念を大切にできるようになる、その域まで高めないといけないんだと思いました。

理念はガードレール

スタッフの方のアイデアから生まれた数々の商品

―橋本さんの覚悟が伝わるお話ですね。

実はこの話には続きがありまして、ある女性社員から言われたんですよ。「橋本さん、あのサンタクロースの話、いつも鼻の穴膨らませて気持ちよさそうに話してますけど、私にとってはやりがい搾取の話にしか聞こえないんですよね」って、それを言われた時はすごいショックでした。だけど、それを社長に言えることってすごい大事だと思うんです。

私はよく「社会性、科学性、人間性という考え方は大事だ」と言ってるんです。これは理念の中でも謳っていて、社会性は自社の事業が伸びた時に社会も良くなるようにすること、科学性はビジネスで大事な利益をちゃんと生む仕組み、人間性は社員さんの働きがいとか関わる人たちの幸せ。これが掛け算になっている。だから、どれかが0だったら全部が0になってしまう。例えば社会性と人間性はあっても科学性がなかったら、ボランティアになってしまう。そうするとお給料が払えないから、結局はリストラすることになる。社会性と科学性あっても人間性なかったら、社員の幸せなんて考えないブラック企業になる。

彼女は「サンタの話は嫌いだけど、ガードレールの話は好き、この三つとも担保されていたら、上司にお伺いを立てなくてもやっていいかを自分で決められるから」と言うんです。彼女の「理念は仕事で大切なことを考える際のガードレールのようなもの」という考え方によれば、なにか問題が起きた時に上司が答えを持ってなきゃいけないということもない。部下に相談されたら、理念に照らしてどうだろうって一緒に考えればいい。そう考えられるようになると、一人ひとりが自走するようになる。

自分も正解は持っていない

―他にも橋本さんが大切にしている考え方などあれば教えてください。

社長として大切にしてることをお伝えしますね。それは、「自分にも正解は分からない」このスタンスは重要だと思います。自分が正解だと思ってしまうと、どうしてもそこに行かせたいと考えてしまう。これ本当に良くないです。それともう1つ、会議は共育だっていう風に考えていて、"PDCAサイクル"の”P”(Plan)から社員さんを巻き込むと本人もその気になり自走します。これを”D”(Do)から始めると、それは決められたことを言われただけなので作業になります。

なので「これをやりたいと思うんだよね」と私が言って進めるだけではだめで、「それをやった時のいい点、悪い点、ここがリスクだからこういうことやっといた方がいい」みたいなことを意見をもらってPから一緒に考えることを意識しています。そうすると”やるんだ”というスイッチが入ってるから、すごいスピードが上がるんです。で、注意しないといけないのが、この時に自分が思うことはいろいろとあるんだけれど、社長がひっくり返したら機能しないんですよ。我慢することが大事です。

いつまでも働ける会社に

全社員の集合写真

―その他の取り組みについても伺えますか?

そうですね。全体的な話をすると、一人ひとりを大切にするために、居場所を作ることは大事だと思っています。例えば、工場で働く社員さんの定年後に再雇用するための派遣会社を作りました。特にある程度の役職まで行った人が定年後に嘱託として働くと、ついつい昔はこうだったとか話をしたりするじゃないですか。そうすると「 いや、今はそういう時代じゃないんで」年下に言われたりする。お互いにやりにくいんですよね。

なんか上手くいく方法がないなって考えてた時に、 ベンチマークで株式会社高齢舎という会社に行ったんです。そこは高齢者ばっかりを採用していて、「高齢者に必要なのは、キョウイクとキョウヨウです」と言われて、なんだろうと思ったら「今日行くところがあること」「今日用事があること」つまりは居場所を作ることをすごく大事にした方がいいと。そこで、再雇用の人たちだけの派遣会社を作って元いた部署で派遣社員という立場で働ける仕組みにしました。

あと、5年に1度、定年後の社員さんにインタビューして、社史を書いています。外部の会社にお願いすることもできるんですが、やっぱりそれだと表面的になってしまう。一人ひとりの社員さんが、これまでの会社の激動の中でどんなふうに自分を立て直しながら定年を迎えたのかというのをちゃんと残したい。だから私が書いています。これはすごく自分にとっても学びになります。それから、新卒入社の社員さんには、新人研修の後に手紙を書いてます。本人とはもちろんですけど、その人の後で支えてくれている人と私も繋がりたいなという気持ちで書いています。

誰に渡すかは本人が選べるようにして、宛名を誰にするかを私に教えてもらい、その宛名の方に向けて「私はこんな気持ちで経営してます。そして〇〇さんのことをこんな感じで思っていて、これからこうやって会社で育てていきたいと考えてます。なにかあった時には、本人を応援してください」といった手紙を書くようにしています。"社員"という人はいないし、"女性"という人もいない。"高齢者"という人もいないんですよ。だからこそ、一人ひとりにどれだけ社長として関わっていくかというところが、大企業ができない、中小企業だからできることなんじゃないかなって思っています。

今回のスタディツアーの学び

今回のスタディツアーで私が一番印象に残っている言葉があります。それは、橋本さんが242名の全社員の名前を漢字で書けると言われていたことです。数も多いし、拠点も全国にあるので普段から顔を合わせている訳ではない。それなのに、全員のお名前を漢字で書けるのは、一人ひとりのことを思い、大切にしているからだと思います。また、2023年に戸越銀座商店街に茶雑菓という日本茶のたのしみを伝える為のショップをオープンしたりと新しいことにどんどんチャレンジされているのも印象的でした。
主催:ボーダレスキャリア株式会社

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