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一生成仏とは?

日蓮が建長七年(1255年)に執筆したとされる『一生成仏抄』
短い文章の中にも、日蓮思想の要諦が詰まっています。
そもそも、一生成仏とは何なのでしょうか?
文字通り、一生の間に成仏する事です。

♦一生について

日蓮思想にとっては、前世(生まれる前の人生)や来世(死んだ後の人生)は方便(巧みな手段)であり、本来の目的はこの一生、つまり一度限りの人生を充実させる事です。

前世や来世が方便である限り、上手く使いこなさなければ、かえって害を及ぼすことになりかねません。
例えば、不幸の原因を前世に求め、苦しみに満ちた現実の一生を諦めてしまったり、来世に幸福に生まれる事のみを夢見て、現実の人生を厭ってしまったり。

あくまで主眼は現実であり、この一生を充実させる事こそ、前世の報いである宿業に感謝し、この一生の報いである来世に希望を持って旅立っていける基軸となるのです。

つまり日蓮思想は、前世を嘆いたり、来世のみを願ったりしなくて良いように、現実の一度限りの人生をどうしたら充実させる事ができるかを説いているといえます。

♦成仏について

日蓮思想においては、成仏についての考え方も際立っています。
一般的に成仏とは、「仏に成ること」と捉えられていますが、日蓮の成仏観は「仏であること」が強調されています。
「become」ではなく、「be」なのです。

よって、成仏する為の修行も、一般的に不可能な善行を繰り返して、その善行を遂行した事自体を尊崇され、立派な煌びやかな、人間ではない者になる、といった修行ではなく、自身が仏である、と目覚める事によって、苦悩の人生を切り開き、社会の閉塞感を打ち破り、世界の繁栄と平和に大きく貢献していく、人間としての最高の生き方そのものを修行としているのです。

一般的に、他人の為に良いことを行う、というのは奨励されるものかもしれません。
しかし、「良いこと」そのものの基準が、人それぞれであるような場合、それは自身の価値観の押し付け、おせっかい、大きなお世話、になる事もしばしばです。

そこで必要となるのが対話ですが、初めから結論ありきで、あなたの意見も聞いていますよ、という慇懃無礼な姿勢での会話を、対話と勘違いしている人も見かけられます。
対話とは文字通り、対等な立場での会話であり、いくら言葉遣いや態度が丁寧でも、自分の考えを上位にあるとして、相手の考えを下位に位置付けた上での会話は対話ではありません。

日蓮が説いたのは、人としての生き方であり、誰もが実践できるのに実践していない盲点を突く、いわば人間の原点に立ち返る実践なのです。

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