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映画『シカゴ7裁判』 「デモ」から「行動」を考える

今年を少し振り返りたい。コロナが流行したせいで、私は大学に行けず、家とバイトを行き来する毎日。バイトが唯一の「誰かと時間を共にする場」であったのだ。それが居心地が悪い。今年の初めに長く勤めていた主婦の人が辞めてしまった。まあ簡単に言うなら、お局さんである。彼女は規則に従順で、私はお堅い人だなと思っていたが、彼女によってこの店の秩序は守られているということに、彼女がいなくなってから気が付いた。お局さんがいなくなってから、店長と「第二のお局さん」の暴挙が始まった。言い方は良くないが、仕事が出来ない人を敵として、その人がいる場でも平気で悪口を言うのだ。そんな職場は彼らにとって心地の良いものであるはずがない。敵がいなくなっては、次から次へと敵を変え、かれこれ10人近くは辞めていっただろう。こんなぐちぐちと言っていても私には何も変えることが出来ない。


 『シカゴ7裁判』を観た。簡単なあらすじとしてはベトナム戦争に反対する学生たちがデモを起こす。その首謀者達「シカゴセブン」の裁判の話である。この映画の中で、印象的だったシーンは異議を唱える黒人(ボビー・シール)に対して差別的である判事が、廷吏にしかるべき処置をしろと命じる。その処置とは手足を鎖で縛り、口に口枷をして暴行することであった。これはかつて奴隷に対して行っていたことである為、黒人に対して絶対に行ってはいけないことである。それを見た検察官までもが同情の念を抱き、判事に対してやりすぎだという結果に。

 この検察のように、暴動、デモなどで、痛みや悲しみを目撃しないと、人々は「おかしさ」に気が付かないだろう。Black Lives Matterでもそうだ。ジョージ・フロイド氏の悲惨な光景を目にしないと、黒人に対する差別がまだアメリカには存在していることに私たちは気が付かない。女性蔑視だってそうだろう。世の女性がセクハラ被害や、権利を求めるために起こした行動がなければ、私たちは認知できない。行動を起こせば、誰かが知って、理解してくれる。日々の生活の中で世の中のおかしさに気が付くことは難しい。でも、何かおかしいと感じたのならば、行動しないと何も変わらない。

さて、私はどうだろう。バイトというこんなにも小さなコミュニティの中でさえ、行動を起こせていないではないか。なんて小さな世界で悩んでいるのか。映画の中で、トム・ヘイデン(エディ・レドメイン)の「勇気を出せ」というセリフがある。これは私含める、世界中の人々に向けて行っているのだと感じた。

読んでくれた人たちへ、「勇気」を出して、世の中を変えていこうじゃないか。それは大きなことをしろということじゃない。身の回りで起こる小さな疑問を、行動によって変えていこう。そしたら何か変わるかもしれない。私はバイト先で起こる悪質ないじめを無くす。

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