【こぼれ話004】構図の妙から演出意図を探る〜機動戦士ガンダム レビュー
構図の妙
機動戦士ガンダムでは、キャラクターの心情や状況を説明するために構図を利用している描写がたくさんある。
今回はそれをまとめて紹介する。
それぞれは各話のレビューの中でも言及したものであるが、まとめて眺めてみると機動戦士ガンダムがいかに作り込まれた作品であるかということがよくわかる。
第12話 自室にこもるアムロとブライト
まずは、こちらの2つのシーン。第12話「ジオンの脅威」で新米の兵隊のよくかかる病気になってしまったアムロと、艦長の重責に疲労困憊のブライトである。
何かと対立したりぴりぴりとすることの多いこの2人だが、たび重なるジオンの襲撃やホワイトベース内のいざこざ、当てにならない連邦軍参謀本部の対応等で疲弊してしまっている。
その2人の疲れ切った心情を「自分の部屋に一人でこもる」、「明かりは窓からの光だけ」という同じ構図であらわしている。
第11話、第12話 デギンとシャアの指トントン
つづいてギレンとシャアの指トントンである。
第11話「イセリナ、恋のあと」でデギンは「ガルマの死を我が王家だけで悼むのがなぜいけない?」とギレンに言う。
ギレンはデギンの意見に反対で国葬にすべきと進言する。ジオン公国の実権はすでにギレンに移ってしまっているので、デギンはギレンの進言もむげにはできない。
「なんでギレンは分かってくれないんだ」というもどかしさや、自分自身の無力さからくるイライラにさいなまれている。
そのデギンの心情を杖の装飾部分を指でトントンする仕草であらわしている。
同様に、第12話「ジオンの脅威」で、バーでシャアがグラスの縁を指でトントンしながらギレンの演説を聴いている。
このシーンでは「坊やだからさ」というシャアの有名なセリフが発せられるが、その時のシャアの心情を読み解くヒントがこの指トントンにある。
シャアは「よい友人であった」ガルマを罠にはめ、死に追いやったことを後悔している。
ザビ家への復讐のため利用するだけ利用して亡き者にしてやろうとしていた相手にいつのまにか友情を感じていたのだ。
しかし、シャアはその自分の中にそうした感情があることを認めることができない。
だから、シャアは「私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ!なぜだ!?」というギレンの問いかけに思わず「坊やだからさ」と答えてしまう。
この「坊やだからさ」はシャアの言い訳である。「あいつは坊やだから死んだんだ」、「自分が手を下さなくても、あんなおぼっちゃんは遅かれ早かれいつか戦争の中で死ぬ運命にあったんだ」と自己を正当化する言い訳である。
このような言い訳をしなければならなかったのも、認めたくない自分の本心(=良き友であるガルマを自ら殺したことを後悔していること)に気づきつつあるシャアが自らの心にむりやり蓋をするために他ならない。
こうしたシャアの心の中のもやもやイライラがグラスのトントンにあらわれている。
デギンとシャアの手元を同じ構図で描写し、かつ、同じ行動をとらせることで、二人とも心の中にもやもや、イライラ、フラストレーションを抱いていることを表現している。
第10話、第11話 ガルマとイセリナ
第10話「ガルマ散る」で、シャアの罠にはまったガルマは、後方からホワイトベースの総攻撃を受け総崩れとなった。自らの死を悟ったガルマはガウをホワイトベースにぶつける特攻を仕掛ける。
他方、第11話「イセリナ、恋のあと」で、イセリナもガンダムに対してガウで特攻を仕掛ける。
この2つのシーンも同じ構図で描かれている。
最期にガルマはイセリナのことを考えながら特攻し、イセリナもガルマを想いながら特攻する。2人の心が通じ合っていることを、全く同じ構図で描くことで表現している。
ガルマとイセリナの特攻シーンが視聴者の心を打つのは、こうした「仕掛け」があるからである。
第9話、第14話 後光の差すマチルダ
第9話「翔べ!ガンダム」のマチルダ初登場シーンで、マチルダは夕日をバックにしておりまるで後光が差しているように表現されている。
第5話「大気圏突入」でシャアの謀略にはまり、ホワイトベースはガルマの勢力圏内に降下してしまった。エンジンも不調で再度宇宙空間に避難することもできず、八方ふさがり状態である。
ホワイトベースのクルーにとって、マチルダはまさに救世主というべき存在であり、夕日を後光のように描くことで救いの女神としてのイメージを演出していた。
第14話「時間よ、とまれ」で再びマチルダが登場する。
このときマチルダの背後には作業灯が光っている。その作業灯の光がまるで満月のように円形に描かれており、マチルダのバックに満月が輝いているように見える。
これも、救世主としてのマチルダのイメージを表現するための演出である。
第13話 アムロの岐路ー母親か、仲間か。
最後は、第13話「再会、母よ・・・」のラストシーンである。
思春期まっただ中のアムロ、まだまだ親に甘えたい、自分のことを認めてほしいという気持ちと同時に、親の干渉から脱したい、自立したいという気持ちを抱いている。
こうした相容れない感情を抱き、悩み、苦しむのが思春期である。
ブライトから「アムロ君、どうするね?我々は出発するが」と、アムロはホワイトベースに残るのか、母親と暮らすのか、岐路に立たされた。
このシーンの構図はそのアムロの岐路を見事に表現している。
一方はホワイトベースをバックにブライトとフラウボウ、もう一方は母親である。
ホワイトベース、フラウボウは「仲間」や「自立」を象徴し、母親は「親の庇護」「守られた世界」を象徴している。
アムロは母に向かって敬礼し、回れ右をしてホワイトベースに向かう。ブライトと全く同じ軍隊式の行動をとった。
つまりアムロはホワイトベースの仲間と生きていくことを決意したのだ。そしてこれはアムロが親の庇護から自立しようとした瞬間でもある。
まとめ
キャラクターの心情や置かれた状況を説明する方法は他にもいくらでも考えられるが、機動戦士ガンダムでは今回紹介したように絵で説明することが多い。
小説やラジオではなくアニメーションなのであるから、絵で表現してこそ!という制作者の気概を感じるところである。
こういった仕掛けを読み解いていくこともアニメ鑑賞の醍醐味だ。
他にも見つかったら随時紹介していこうと思う。
この記事が参加している募集
よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは動画配信サービスの利用料金、他のクリエイターへの投げ銭にあてさせていただきます!