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音楽が人間に与える思考

今までどれだけの時間を音楽に費やしただろうか。

音楽は人々に様々な作用をもたらせる。
高揚させたり、悲哀させたり、時には聴き流してみたり。人それぞれ好きなジャンルがあり、ファッションだったり、哲学となって現れる。
私も多分に漏れず、音楽に人生観を変えられてきた内の一人だ。

ある年の暮れ、南米最高峰の山アコンカグアへの登山に挑戦していた。約2週間の行程である。
装備は、ほとんどレンタルで済ませ、持参したのは調理器具、スノーピークのソロテントぐらいのものである。南米の至る所でキャンプしていたため、キャンプの装備は所持していた。登山経験は0に等しくド素人と言っても良いレベルだが、ガイドも雇わずに、ベースキャンプまで荷揚げしてくれるムーラだけ雇った。
食料は少しでも荷物の量を減らす為に、現地のインスタントラーメンを大量に持って行き、毎晩2袋食べるようにした。それ以外は行動食のスナックのみである。
肉食べたい、ワイン飲みたい、何度不満を垂れたことか。

ベースキャンプまでヒィヒィ言いながら辿り着き、明くる日、次のキャンプ地への荷揚げを敢行。寝坊してしまい、山壁を見上げると、他の登山者は遥か彼方の稜線に確認できた。
今日予定していた行程の、半分以上来ただろうか、急に天候が崩れた。雪が吹き荒れ視界が悪くなる。それでも歩を進めた。
途中、ベースキャンプに戻るツアー登山者とすれ違った。ガイドと思わしき方が、「すぐに引き返した方が良い、このまま進むのは危ない、さらに悪天候になる。」と助言してくれた。
しかし、私はそのまま進んだ。ここまで苦労して、重い荷物を運んできて、このまま引き返すのは勿体ない、と思ってしまったのだ。
しばらく進むと、吹雪が酷くなり、視界が無くなり、前も後ろも上も下もわからなくなり、立ち尽くしてしまった。小説や映画でよく見る、ホワイトアウトだ。一瞬で色々な考えが頭を過ったが、まず、視界が無い状態で歩くのは危険過ぎる、吹雪が少し収まるまで待とう。
記憶は曖昧だが、何分、何十分待っただろうか、視界が少し開けた、といっても数メートルだ。そして、周囲を見回すとトレイルを確認できた。よし、大丈夫。このままトレイルに沿って歩けばキャンプ地へ着く。歩を進めたが、すぐに吹雪が襲いかかり視界を遮る。かなり寒さも感じ出して来て、ベースキャンプに引き返そうと決断。
しかし、トレイルが見えないことには、引き返すにしても同じ話だ。ベースキャンプまで2時間はかかるその間、吹雪が収まってくれる保証はない。
ついに最終判断を下した。その場所から垂直に山を下りることだった。
眼下に、微かにベースキャンプの赤いテントが望める、このルートにはクレパスはない(はず)、尻餅を付きながら、滑るように山肌を下る。足場を確認しながら赤いテントへ向け急転直下。赤いテントを微かに、視界に捉えながら、肩に伸し掛かるバックパックが辛さを忘れさせない。尻餅状態で、常に雪が纏わり付き体温を奪う。もう限界だと思った時、視界に建物らしき物が入ってきた。屋根は無く、壁も倒壊していたりと完全に廃小屋だ。それでも、風除け、雪避けとしては機能しそうだと思い、進路を廃小屋へ向けた。近いようで遠い。這うように、視点は廃小屋から外さずに力を振り絞る。何とか廃小屋へ辿り着き、バックパックを廃小屋の中へ投げ込んだ。これで雪に埋もれて発見できない、ということもないだろう。あとは我が身ひとつ、ベースキャンプまで滑り下りるのみ。肩の荷が降りた、とは良く言ったもので、体は少し元気を取り戻した。死の可能性が頭をよぎり出し、とにかく必死だった。
息も絶え絶えに、ベースキャンプに尻餅をつく。九死に一生を得た、と感動していたが、ベースキャンプのリラックスした雰囲気に拍子抜けし、いそいそと自分のテントへ。なんだかなぁ、と思いつつ、夕飯の準備にかかる。
インスタントラーメン2袋が、足の指先から尻の穴まで沁みたことは言うまでもない。

九死に一生を得て、ラーメンを掻き込んだ後、新年をベースキャンプのテント内で迎えた。横になり、さっき起こったことが、遠い過去のように感じる。平和だ。
唯一持ってきた一冊、安部公房の”砂の女”を捲りながら、大事にバッテリーをとっておいたiPodで、D’Angeloの”Feel like Makin’ Love”をイヤホンで流す。なんてアーバンなんだろう。

そして、思ってしまった。

“あぁ、早く下界に降りたい…”

次の日は見事に晴れた。まずは昨日、バックパックをデポした廃小屋へ。ベースキャンプから見上げた廃小屋の位置は、トレイルからかなり離れていた。しかし、天気が良いと歩みも軽い。バックパックは雪に覆われていたが、すぐに見つかり無事に回収、次のキャンプ地へ。
そこからは、とにかく黙々と歩いた。一歩一歩踏み出す度に、頂上へ立つことへ希望より、帰りも同じ距離を歩かないといけないことへの絶望が勝ってしまう。この頃だろうか、自分は登山に向いていないな、と確信したのは。
それでも歩かなければ、頂上に到達することは疎か、下界に下りることもできない。粛々と生きるために歩く。
そして、ついに最終キャンプ地まで何とか辿り着き、さぁいよいよ明日はアタック、という夜に高山病に。激しい頭痛に一睡も出来ずに夜明けを迎え、這うようにテントを回収し、這うようにベースキャンプまで一気に下りた。

必然的とも言えるが、登頂叶わず。
”Feel like Makin’ Love”を聴いた時点で、この勝負には負けてたな。
もっとオーガニックな音楽をセレクトしていれば良かったな、と今になって嘯いてみる。
ベースキャンプに戻ってからは高山病の症状が引いたが、心身ともに疲れ果て、下山までの道のりをほとんど覚えていない。

下山してすぐにあった食堂に駆け込んだ。そこで食らったサーモングリルとビールの味を忘れることはないだろう。


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