櫛那姫 (八)


「クシナダ、しない理由に諦観。
しない事を選ぶ事に情観。事由としての身体。」

「そうね。あなたが選んだ情や感覚的な判断は正しいとしたらその理由は他にあるか自分にあるか。」

「俺はいつも、、、」

「あなたが選ばない事にこだわる理由は?
する事がたくさんあるから。する理由を見つけた時はどうする?」

「迷わず」

「あなたはそうね。つまらないわ。」

「しない事がする事になるだけで、する事がしない事を望んでるのは俺の理由。誰にもわからない。だからする事がする事を望むのは神の理由。」

「と言うよりしない事がする事になるんじゃ無くしない事は最初から存在しない。そうでしょ?」

「そういう状態。」

ある人は設定する為に。それ以上を知らずにそれ以上を求めたり、わざわざそれ以外をする事の理由が理解できない。

「現象的。」

「ただ現象的。」
「そういった精神の病理、つまりは現象を差し止める事に異論はない。精神的な現象は俺ではなく現象的精神が媒介した霊媒者の霊媒現象か。」

「現象的な症候学に於いて症例を見ると、正気を保つ精神が欠けている。この一点に尽きる。
ヒステリーを起こした状態が普通になってジャンキー的に中毒症状を起こした状態がシャブ中になる運命を鑑みると、本当に症候的にそういう事が起こる。導かれる身体性は精神に宿り。」

「霊媒ジャンキーか」

「あなたはジャンキーだったでしょ?教えて」

「そうあろうとする精神への没入に理由がない。」

「それだけ?」

「行動学的に表面上シンプルに見たらそういう事しか感じなかった。」

「あんたじゃ解決できないわ。
わたしが思うにあなたはまともに普通すぎる。」

「生態学的にそういう種がいる事に意義を感じてる、そういう連中。」

「あんたは?」

「俺はまあ、同じ。今は違う。
というより、ああいう注射器とか明らかに能動的にやばい状態に導かれでもしない限りしないし、そうあろうと機能的にシャブ爬虫類になっている状態のヤツにこの話は当たり前すぎる。」

「そりゃそうか。状態がそういう事に意義感じてんならそうよね。その状態に問題がある場合問題視する人がなんとかしないといけないのかな。
わたしは違うな。わたしは自分が操縦して、こういう言い方は良くないけどね、操っていかなきゃならない事を他人に任せるのは危険すぎる。」

「何処かの陰陽師に呪い殺してもらう?」

「クスクス」

「以外ないし、そういう連中が求める逸材だからね、コイツら。」

「悪いなー。」

「実際俺でも呪い殺せるし。」

「でも、いくら呪い殺してもしつこいでしょ?
いっそ神に任せたら?」

「あれ?任せなかったっけ?俺こんなに苦労すると思ってなかったし、そういう力って自然に働いて不特定多数の心がマジでウザがるとその中に俺みたいなのからとんでもない陰陽師とか悪魔とか神とか精霊とか妖精とか人の精神とか、ウンコとか、犬のフンとか、からウザがられて呪い殺されるくらいに思ってた。」

「あははは、ホントね。あんた純粋。
だけどねみんな手出ししたくないし手出しすると恨まれるくらいなかなか死なないからめんどくさがってるのよ。」

「あ、地獄にいる事に主義感じ始めたら、修正不可能なら、いっそのこと地獄の意味変えるか。
陰陽師的に。」 

「どういうこと?」

「俺そういうものの意味変えれるんだよね。」

「どうやって?」

「俺の人生で。」

「かっこいいー。」

「地獄の意味考えとく。ふたりで考えようよ。」

「あとでねー。」


ある考えがある症候を生み出すと、伝播的に拡がって気象の様に動き出し紋様を見せ始める、
それを例えると電磁石にコイルを描く砂鉄。
ある極論に惹きつけられるある因子がある考えを摂取するとプログラミングされた症候が人に表れ始めて症候学的に言って錯乱すらプログラム出来るくらいインタラクティブな、例えていうなら、

モグラ叩き

「あんたは、もう」

「わたしがいうなら、インターネット。」

「でもインターネットって個人的なものとして捉えてるけど。」

「あんたはそれでいい。でもモグラ叩きとインターネットってひとつで言うと?」

「難しい。後で。」

地獄の形式か。
でもそのまま表現したらそういうものだろうな。


地獄とは 了

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