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上都集 - 零質量編 3

存在、次元に関する哲学的な記述を始めたいと思う。或る単位を考えている。経子、ジノスと言うもの。量子力学から場の量子においてフェイズ、位相という周波数の価体がある。短波、長波のどの帯においても総体的に変わらない主点の位置だ。そこに定められた自己が有るにより周波数帯を定めることが出来る。
要はスケーリング、計るということ。遺伝に記録された電子情報によって個人の、又はその集積によって世界の運命たるものが決められるとするなら、世界人口分の周波数帯のギャップは主観と客観の関係に置換される。自分から見る他人、自分から見る自己、又、他から見る自分、他から見た他人。その順に於いて自己から他人、で主客の統合が成されるべきである。それらの位相統位としての単位が必要であり、その4つの位相対し客体の関係に於いての関係性又は導線、果ては運命的な存在論の中の単位的質量の統一単位があれば計れるものが在るのではないかと思っている。存在の大きさである。又は主客の位置による方向性差、つまりはセカイの拡がりを計ることである。拡大する宇宙は意識の拡張と同義であり、視たことも無いものを理解する事の意識的動体視力の把握へと繋がれば幸いだ。
極めて抽象的な数字、記録、記号の捉え方に於いて元々抽象的な概念をあてにしているのなら単位自体も抽象的な機能であるべきで、その本質は縁起の起点がどこかに於いての位相に端を発し、そこから主客のギャップを捉えることが出来ればこのセカイ、せかいの多様性を認められる事が出来るのでは。と言うのが一意見だ。
運命も含めるとすれば、それが比例反比例、反発や協加速を産み出す力学はどのように産まれるのか。私はそれは遺伝情報であり、それを主として左右する電子情報又は電子そのもの、エレクトロンではないかと思う。
陽子が何故2つと言われるか、それはヴェシカパイシスと言われる世界の起点が2点の重なり、摩擦であり、電子の発現ではないか。4つの視点は主客に分けられ、そのうち2つは相重なっているはずである。その位相が定められる力学の差が運命を動かす動力を発動する。その差によって電子が発現実化する、とおもー。自他の共通理解、コード、又は共有理解や共有認識に整合性、芯が通っているかを見定める単位がジノス、経子ということに置きたい。拡張子としてはsvg. surgical value of geno. サベージ、サバージと言ってもいい。
ジノ、genoとは経路としての単位で、関係性を計るに適したものとして座標軸の上のxydで表せば良いのではないかと思う。注意として、ジーン、gene、遺伝子の意味とは異なる。
4つの要素の整合性、つまりは自他の共有認識が得られない状態が所謂スキゾであると思っている。
精神病的診断はステートに与えられた名称、つまりはレッテルであり症態名称であるし、保護更正、福祉上で必要であるから与えられる身分であると思う。

16世紀終末に於いての天文学者が得ていたような理解がいま必要で、全ての理論体系や知識は出揃っているように思う今日、人文学、記号学、哲学的な教養、知恵のアライン、並列、所謂、共有認識、共有理解が個々人の主客の定格化へと繋がると思う。
しかしながら少なくとも人類種にとって、この経子、ジノス、genos、svgは具体的に図表化する必要がないと考えている。それこそ経緯、思考の経路として書記記録として残すべきで、方法論や自覚は個個人にゆだねたいとおもう。プログラムとしては必要性はなく、元々の生命のコンポジションの理解へ向かう事が要ならば、数式で表すことが必要の無いことは後述する。

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