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690_ Fishmans「LONG SEASON」

ひどい咳をした瞬間に、目が覚めて起きた。気付くと一人だけベッドの上で、ふと目をやると時計の針は15時半を指している。昼ごはんのお粥をすすってあとに風邪薬を飲んで、少し横になろうかと思ったらこんなに時間がすっ飛んでいってしまった。どうやら、頭の中のネジか何かがいかれちまったらしい。

まだ頭は重たくどんよりとしている。ベッドの中でのっそりも気怠い体を起こすと、窓から満開の桜にはしゃいでいる近所の子どもたちの声が聞こえてくる。

身体中、風邪をひいた時の不快なねっとりとした特有の汗をかいていた。窓から入る桜の花びら混じりのそよ風が肌に心地よい。気候はちょうどいいので、妻と一緒にこの週末花見でも行けたろうに、あいにく自分はこんなひどい風邪をひいた。

人の気配がなく、どうやら家の中は一人のようだ。妻はたぶん、夕方の買い出しに行っているのだろう。「消化にいいものをまた買ってくるね」と言っていたから、たぶん玉子入りの鍋焼きうどんとかだろう。確か前回、風邪ひいた時もそうだったから。「昔は風邪ひくとこれ食べさせられたよね」とお互い笑った。

風邪をひいて寝床から見る窓の景色、それは幼年時代の思い出やら記憶を深く深くリバーブさせるように呼び戻す。自分は物心ついた時から、大体小学校の高学年くらいまでとても体が弱くて、しょっちゅう風邪をひいては、母親を困らせていた。

一人で家の中で寝込んでいると、外で元気に遊んでいる他の子たちが、うらやましくてしょうがない。なぜ自分だけが、いつもこんな薄暗い家の中に閉じ込められているのだろう。どうやらこの世の中はすでに不公平で自分には優しくできていないんだってことはなんとなくわかっていた。

自分が世の中から隔絶した存在であることに、深い深い孤独感を覚える。どうせなら、ずっと目覚めることなんてなく、そのまま夢の中でいられれば、一番よかったのに。どうせ現実の世界なんていいことなんてないし。

目が覚めても、薄暗い部屋の布団の中だから。窓から見える外の景色だけいつも、輝いて見えた。そして、パートに行っている母親の帰りだけを待ち続けた。母親の存在だけが、自分にとって外の世界とをつないでくれる存在だった。

社会人になって、2年目、パワハラ上司へのストレスで適応障害と診断された。微熱と倦怠感で意識が朦朧としている中、かろうじて平日は毎日出勤することはできたが、その負荷のためか休日はずっと寝込んでいた。

違う部署の同期なんかは、週末は花見やバーベキューやキャンプなんかに出かけて行って、馬鹿みたいに騒いでいるだろう。そんな中、また自分一人だけは、狭っくるしいワンルームの中で、布団の中で体を丸めて音楽を聴いていた。

結局、こういうことになるんだろうなって、やっぱりなって感じで、どこかで諦めていた。自分は大体いつもこうやって、窓の外の景色を羨望の気持ちで眺めている存在なんだって。そう思わずにはいられない。

仕方ないから、fishmansの「LONG SEASON」をひたすら一日中聴いている。こんな風に他に聴きたいと思えるものがない時には、これを聴いているんだ。

付き合っていた当時の妻に聞かせたら、「なんか怖い」と言われた。でもたぶんその感覚は間違っていない。どこかに連れて行かれそうになるから。この狭くて薄暗い部屋を抜け出して、明るい外の世界へ僕を連れ出していってくれるだろうって。

夕暮れ時を二人で走ってゆく
風を呼んで 君を呼んで
東京の街のスミからスミまで
僕ら半分 夢の中
夢の中

くちずさむ歌はなんだい?
思い出すことはなんだい?

バックミラーから落っこちて行くのは
うれしいような さみしいような
風邪薬でやられちまったみたいな
そんな そんな 気分で!
走ってる 走ってる
走ってる 走ってる
走ってる 走ってる
走ってる 走ってる

くちずさむ歌はなんだい?
思い出すことはなんだい?

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