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1013_跫音空谷

大人になってだんだんと歳を取るにつれて、わざわざ誰かに対面で「会いに行く」というハードルが年々高くなる。お互いが独身の時は、そんなことをあんまり考える必要もなかったのに。

仕事と家族との関係を繰り合わせて、予定を合わせる必要がある。お互いに家族がいたりすると、迷惑に思われないだろうかと訪れた先での身の置き所なんぞの由無し事にも気を使わないといけない。

またお互いのステータスや収入状況が変わっていたりすると、これがまた余計にややこしい。だからこそ、価値観や共通の話題がまかりあう小さなサークルで関係を完結している方が楽になってしまう。

同じ大学、同じ会社、同じマンション、同じ幼稚園の父母。近しい人間で近しい話題だけを話していれば、大抵の世の些事などはこと済むものだ。

日本なんかまだマシだが、階級社会が如実に残る外国だったら、違う階級の人間は話が合わないし、そもそも交わす言葉遣いやアクセントでさえ違うということもある。

だから、大いに時間が経った人に会いに行くというのは、余計に腰が重くなる。相手も同様に昔の自分に戻って話ができるとも限らないし、そもそも相手といったい何を分かち合いたいというのだろうか。リモートでは味わえないなにか。単なる懐かしさからか、見失いがちな昔の自分の再確認か。

「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」

こんな論語の一節の言葉の意味が、歳を経るごとにずっしりとした石のように心底に沈みこむような心地がする。

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