2.共に生きるを学ぶ:リミニの「永遠の」教育学園訪問記|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦
5月初旬、いっこうに降り止もうとしない横なぐりの雨のなか、吹きつける強風に逆らうように傘を構えて、足早にボローニャ中央駅に向かい、すでにホームに停車していた8時発のローカル列車に乗り込んだ。向かう先は、ボローニャから1時間ほどのアドリア海に面した海辺の街リミニ。風光明媚なリミニは、現在では長いビーチが続く一大リゾート地として名高いが、古代ローマの遺跡やルネッサンスの時代の絵画作品も残された古い街でもある。イタリア映画好きであれば、映画監督フェデリコ・フェッリーニの生まれ故郷として、この街をご記憶の方も多いだろう。
リミニを訪れるのは初めてだったから、運よく天気に恵まれていたら、街歩きも十分に楽しめたはずだ。でも、この日はあいにくの雨模様だったので、まだ集合時間には少し早かったけれど、まずは待ち合わせ場所に向かった。指定された場所に着き、知己のボローニャ大学の教授、そして彼女の授業を受講している学生たちと合流すると、ぼくたち一行は、大学(ボローニャ大学は、リミニを含めて他の幾つかの街にもキャンパスを持っている)からほど近くにある「イタリア-スイス教育学園」という名の学園を訪れた。校門付近には、「”永遠の”教育学園」(あるいは「“時を超える”教育学園」)とでも訳せるだろう学校のスローガンが、横断幕に記されて掲げられていた。「子どもたちの教育村」と称された学園の敷地には、緑豊かな木々が生い茂っていて、門を潜ってみると、満面の笑みで走り回る子どもたちの姿が目に飛び込んできた。
この教育学園が設立されたのは戦後すぐの1946年5月、今年で創立77周年を迎えたことになる。戦争の犠牲となった子どもたち、あるいは戦争孤児となった子どもたちの社会的な救済を主な目的として、リミニ市の要請を受けて、スイスの資金援助によって設立されたのが、この学園の始まりである。子どもたちの救済運動を主導したのは、チューリッヒから招かれた教育学者マルゲリータ・ゾエーべリ。この学園は、現在は私立の学校法人となっていて、イタリアの学校制度に準じて運営されている。(イタリアのカリキュラムや学習指導要領に沿って運営される「同等学校 Scuola Paritaria」に指定されている)
ぼくたち一行の訪問を穏やかな笑顔で迎えてくれたのが、若き学園長ベッルッチさん。彼女が学園の沿革や概要、そして教育方針などを丁寧に語ってくれた。学園には決まった教育メソッドは無なく、子どもたち一人ひとりが抱えたニーズにいかに応えるかを大前提として教育を行ってきたこと、現在の学園は、保育所(3歳以下)、幼稚園(3歳~6歳)小学校(6歳~11歳)の3つの部門からなり、300名ほどの子どもたちが在籍していること、そのうち、障害のある子どもたちは10%ほどの約30名で、そうした子どもたちには、個別教育計画(PEI、注1)を作成し、それに基づいて教育活動を展開していることなどが説明された。
そうしたなかで、もっとも説明に熱が入っていて印象に残ったのは、学園の教育目標や教育方針についての話だった。ベッルッチさんは、「社会的能力」、「社会的共同体」、「民主的社会」、「グローバル市民」といったキーワードを用いて、学園の教育方針について語った。「学校では、子どもたちが、お互いの存在を認識しあい、それぞれの間で関係性を築きながら、共に生きることを学ぶことが、もっとも大切である」というのがとりわけ強調されたことだった。
1時間ほどの講話が終わると、ぼくたちは数人ずつの小グループに分けられ、続いてそれぞれ参観を希望したクラスに案内された。ぼくが見学できたのは、小学校の第1学年の二つのクラスだった。突然の来訪者にもかかわらず、わずか6歳の子どもたちは立ち上がって近づいてくることもなく、終止落ち着いていて、平然と学習活動を続けていた。驚いているぼくたちに対して、クラスにいた一人の教師が、「この子たちは訪問者には慣れているし、この子たちだって、今年度が始まった当初は(イタリアの学校の新年度が始まるのは9月)、こんなには落ち着いていなかったんですよ」と笑って事情を説明してくれた。
40人弱の生徒がいる小学校の第1学年は、「パンドーロ」クラスと「チャンベッラ」クラスの2クラスに分けられていた。どちらのクラスにも、イタリアを代表するお菓子の名が用いられていた(注2)。教室内に下げられていた時間割をながめてみると、ぼくたちが参観していた火曜日の10時45分~12時までは、「チャンベッラ」クラスが「算数」の時間、「パンドーロ」クラスが、「イタリア語」の時間に当たっていた。この授業の後の12時~13時までが給食の時間で、学校は月曜日から金曜日まで、毎日朝8時半から午後15時半まで、ぎっしり授業が組まれていた。
最初に足を踏み入れたのは、算数をやっていた「チャンベッラ」クラスだった。2名の障害児を含む20名弱の生徒のクラスに、4名の指導者が配置されていた。もう一方の「パンドーロ」クラスには、1名の障害児(障害は未認定)を含む20名弱の生徒がいて、3名の指導者が配置されていた。
クラス編成は、おそらくイタリアでは標準的なものだが、教員配置はやや手厚いなという印象を持った。後で尋ねてみると、算数の専科の教師が2名、イタリア語の専科が2名、さらに支援教師2名(教員免許を持った教師で、障害児のいるクラスに加配される。障害児の教育・支援の責任を負うとともに、学級運営全体にも関わる)と教育士1名(社会的協同組合から派遣される専門職で、障害児の社会性の向上や人間関係作りのための支援をおこなう。教員免許は持たない)がいたそうだが、授業が始まってしまえば、どの指導者も「同等に扱われる」ということで、外部から見ているかぎり、どの指導者がどの教科の担当者なのかは、まったく区別がつかなかった。
どちらのクラスでも、子どもたちは4、5名程度の小グループに分かれて席に就き、学習活動に精を出していた。算数の授業中だった「チャンベッラ」クラスでは、それぞれの生徒が手に手に数字カードを持ち、生徒同士でカードを読み上げていた。指導者たちは、時おり立ち上がっては各グループをまわり、生徒たちで活動が進められるように補助をしているようだった。
学園のホームページには、「生徒一人ひとりの潜在能力を高めるために、教師が教壇から行う形式の授業を避け、代わりにグループ活動を重視し、生徒が意欲を持って参加できる個別の学習法を取り入れている」と記されているが、こうした考え方が、実際の授業でも徹底されているように見受けられた。
授業を参観中、ふと気がつくと、先ほどまではいなかったはずの一人の生徒が目に留まった。聴覚過敏があるのだろうか、イヤーマフをつけた障害のある生徒の傍らには、一人の指導者が付き添っていた。落ち着けないのか、時々立ち上がっては周囲を見回したり、訪問者のいる教室の後ろをぼんやり眺めたりしていた。
「あの生徒は最初からクラスにいましたっけ」と尋ねてみると、「チャンベッラ」クラスと「パンドーロ」クラスのちょうど間に、ドアでつながったいわゆる「リソースルーム(個別の授業を行ったり、クールダウンをしたりするための部屋のこと)」のような空間が用意されていて、しばらくそのスペースで過ごしてから、クラスの授業に合流したという。その部屋を見せてもらうと、横になれるようにマットが敷かれている空間があったほか、指導者と横並びで、もしくは対面で個別授業をするためのものだろう、2組の机が用意されていた。
小一時間ほど授業の様子を眺めていると、一人の指導者が各グループに質問を投げかけ、生徒がそれに答えるかたちで授業のまとめと振り返りが行われ、授業が終わった。この後は、生徒がお待ちかね?の給食の時間。クラスでは生徒一人ひとりに役割が割り振られているようで、(本棚の片づけ係、おもちゃの片づけ係、ごみ捨て係、生き物や植物の世話係など)給食の配膳係に当たっている生徒は、素早くエプロンを身につけると、先生の手伝いを始めていた。
授業の参観を終えたぼくたち一行は、学園長が講話をしてくれた部屋にもう一度もどった。そして、参観した授業をふまえて、質疑応答がはじまった。そこでは、クラスの教員配置の工夫(教員ごとに教育法、経験、熱意などが異なるので、ベテランと若手を組み合わせるなどの配慮)、宿題について(この学校は、日々15時半まで学校があるので、宿題は最低限とこのこと)、多様な指導者(教科教師、支援教師、教育士の他、多くの教育実習生、ボランティアなどの受け入れ)、成績や評価のシステムはなし、といったことについて質疑がおこなわれた。
学園長が、独自の取り組みとして紹介してくれたのは、「インタークラス・システム」あるいは「インターディシプリナリー・アプローチ」というものだった。生徒同士のあいだに多種多様な人間関係を構築すること、そして、生徒たちの学習意欲の維持を目的として、同一年度内に複数回、学年のクラス編成をし直したり、指導者の配置を入れ替えたりしているということだった。(同学園では、幼稚園は年齢別のクラス分けはしていないが、小学校では年齢別に各学年2クラスを編成している)「指導者が持っているリソースは限られているので、障害のある子を含めて、子どもたち同士で助け合う必要がある、年度内に時々クラス替えを行うのは、子どもたちの間の人間関係が固定してしまうのを避けて、新たな関係性を生みださせるため」ということだった。
イタリアの学校では、クラス替えが行われず、同じ教師とクラスメートのまま学年が上がっていくことが一般的とされている。だから、この「インタークラス・システム」あるいは「インターディシプリナリー・アプローチ」は、学園の歴史的な取り組みのなかで根づいてきた、ユニークな教育法の一つだと言えるだろう。
午前10時ごろから約3時間にわたった学校訪問は、大いなる充実感とともに終わった。ぼくにとっては、イタリアの学校を訪問する初めての機会だった。
学校訪問を終えてから数日が経ったある日、改めて学園のホームページを見てみると、この学園の教育目標・方針が根ざしている八つの原則が記されていた。その一つに挙げられていたのが「社会性の原則」だった。そこには、「あらゆる教育的な環境、とくに学校は、学習のための場である前に社会的な場であって、学校というのは、教育的な共同体なのである。したがって、学校では、すべての子どもたちが、自分自身のアイデンティティの重要な側面を作り上げることができなければならない」と明記されていた。
この学園では、学校という場が果たすべきもっとも重要な役割や機能として、学力や知識を身につける以前に、「異なるアイデンティティを持つ子どもたちが、お互いに関係性を築きながら、共に生きていくことを学ぶこと」に大きな重きを置き、教育が行われている。
日本とイタリアでは、前提となっている歴史や文化あるいは社会的状況が大きく異なっているために、教育をめぐる比較検討は容易には行えないだろう。しかし、両国の教育に対する考え方の隔たりはさておき、このたび訪問した学校の教育目標や方針には、日伊両国のあいだにある根本的な教育観の違いが、明白に表れているように思われた。
「イタリア-スイス教育学園(Centro Educativo Italo Svizzero)」ホームページ