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3.学校は社会を映し出す鏡:ボローニャ大学「支援教師」養成講座 ①|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦

エミリア・ロマーニャ州の州都であるボローニャは周囲を城壁でかこまれた城塞都市である。イタリア語で歴史中心地区チェントロ・ストーリコと呼ばれる旧市街は、いびつな5角形のような形をしていて(井上ひさし著『ボローニャ紀行』)、東西および南北に2㎞ほどの範囲に広がっている。そして、旧市街を囲むようにして、かつてあった12の城門のうち、現在でも10の城門が残されている。4月から暮らしはじめたアパートの窓から身を乗りだせば、階下を通るサラゴッツァ通りの先に、残された城門のうちの一つサラゴッツァ門を眺めることができる。

旧市街の中心部には、ボローニャを代表する観光スポットであるアジネッリとガリセンダという2本の斜塔が立っている。このあたりから放射線状に主要な道がのびていて、それらの道を通って町を囲んでいるそれぞれの城門までは、ゆっくり歩いたとしても20分~30分もあれば辿り着くことができる。ボローニャの場合、東西であれ南北であれ1時間もあれば、町の端から端まで歩けてしまうのだ。

ボローニャの旧市街にボローニャ大学はある。とはいっても、日本の大学のキャンパスのように、校舎が特定の区画にまとまってあるわけではなく、大学関連の建物は、文字通り町のあちこちに散らばっている。現在のボローニャの町の人口は中心部でおよそ40万人、そのうちボローニャ大学の学生数は11万人ほどだといえば、この町の中心部にどれほど多くの学生が密集して生活しているかが想像できるだろう。この原稿を執筆している6月の末は、そろそろ大学の試験期間も後半に向かう頃だが、週末ともなれば、スプリッツとよばれるオレンジ色やルビー色をした安カクテル、あるいは1杯のビールを片手に、飲み屋の軒先に立ち止まったまま、あるいは教会前の広場にじかに座り込んでは、尽きないおしゃべりに興じる若者たちの姿が、深夜まで町中に溢れかえっている。

ボローニャ大学の本部は、この町のシンボルの斜塔の真下から、サン・ドナート門に向かってのびているザンボーニ通りの33という住所のポッジ宮殿のなかにある。ボローニャの旧市街でいうと北東の方角の地区になるが、この周辺がいわゆる学生街の中心になっていて、人文学部関係の学部の校舎、劇場、美術館、図書館、学生食堂、書店、コピー店、そして食堂やバールなどが数多く集まっている。

4月の初旬に日本を離れてボローニャに降り立ち、この町でイタリアの教育の研究をはじめてからというもの、ボローニャ大学の教育学部の校舎や講演会会場を訪れることが度々あるが、それらの施設もたいていはこの学生街の一角にある。

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ボローニャ大学の今年度の授業期間の終わりが近づいていた5月6日と13日の土曜日(9月に新年度をむかえるイタリアの大学では、5月~6月頃に授業期間が終わると、2カ月近くにもおよぶ長い試験期間がはじまり、それが終わると夏休みになる)、教育学部では「支援教師」養成のための集中講座が開かれていた。知己の間柄だった担当講師の誘いに応じて、ぼくは授業の聴講に出かけた。この集中講座は午前中にはじまり、昼食の休憩をはさんで夕方まで続いた。受講者の大半が、学校現場で教壇に立っている現職教師たちであることもあってか、講座は土曜日に設けられていた。
 
この連載の第1回でも触れたが、イタリアは1970年代に抜本的な学校改革をおこなって以来、原則として特別な学級や学校を廃止して、「フルインクルーシブ教育」を実践している。統計データによれば、障害児の99%以上が地域の学校に健常児と一緒に通学しているが、そうした子どもたちの個別の支援やインクルージョンのための配慮を中心になって担っているのが「支援教師」とよばれる教師たちである。

支援教師の免許を取得するには、大学で小・中・高の各教科の教師(イタリアでは小学校を含めて教科担当制が基本)になるための基礎単位を取得したうえに専門コースを履修し、さらに数カ月の現場実習を終える必要がある。支援教師は、高い専門性と技能が要求される職であり、イタリアのフルインクルーシブ教育を支えるキーパーソンだといえる。ボローニャ大学で行われた集中講座は、こうした高度な専門職を養成するための講座の一環だった。
 
「支援教師」の養成講座を担当していたのは、日本での滞在経験もあるアリーチェ・イモラ先生。博士号を持つ大学教員であるのと同時に、リミニの学校現場で支援教師としても活躍している。理論と実践のあいだを精力的に行き来しながら活動していて、彼女からは、ぼくも多くのことを学ばせてもらっている。
 
この養成講座では、最初の土曜日に丸一日をかけて概説的な講義が行われ、そこで学校現場の実践を支えている基本的な理念や理論の解説がなされた。次の土曜日の折には、前回の講義を受けて、受講者たちが4~5人のグループを作り、実際の学校現場での活動を想定して授業計画を立て(対象生徒は中学生、授業内容は日本の学校の「特別活動」に近い)その発表が行われた。そして、それについてイモラ先生とのあいだで質疑応答が交わされた。授業計画の立案と発表、そして内容について質疑応答は、この養成講座の修了試験の一部にもなっていた。
 
さて、実際の講義のなかから、日本の教育との比較という点でとりわけ興味深かったことをいくつか取り上げて紹介しよう。スライドをつかって進められた講義は、次のような引用の言葉ではじまった。

「学校は社会を映しだす鏡であり、学校は人生設計の方向性を決める助けになるものである」
「学校インクルージョンと社会的インクルージョンの間に違いはない」
「生徒の社会的なインクルージョンが脆弱で、学校で良い成果を得られていないとしたら、それは障害のせいではなく、学校組織と教育実践に欠陥があるからである」

このスローガンともいうべき言葉は、50カ国近くの言語に翻訳されているT・ブース、M・エンスコー著『インクルージョンのための指針』(2016年、日本では2022年に東京大学東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターが翻訳の内容を踏まえて作成されたもので、インクルーシブな教育実践を支える根本的な理念として紹介されていた。

ここで、先に引用した3カ条のインクルーシブ教育の理念を、特別支援級や特別支援学校といった特別な場を設けて、分離した教育を行っている日本の現状と照らしあわせて考えてみよう。そこで真っ先に脳裏をよぎったのは、「日本の分離した学校教育の姿は、どのような社会の姿を映しだしているだろうか」ということ、そして「日本では、学校組織と教育実践に課題があるために、障害のある生徒が社会に十分に包摂されずに、学校では良い教育的な効果が得られていないのではないか」といった問いや疑念だった。講義の冒頭から、さっそく日本の教育が抱えている根源的で深刻な課題に対峙させられたような気持ちになった。

講義で紹介された言葉は、それ自体としては必ずしも目新しいものではないだろう。しかし、こうした考え方が、インクルーシブな学校や社会を支えている基本的にして根本的な理念として、事あるごとに繰り返し確認されることによって、イタリア社会のなかでどれほど広く共有され、人々のうちにどれほど深く浸透しているのか、このことをよく考えてみる必要があるだろう。すでに半世紀にわたってインクルーシブな教育を実践してきているイタリアと日本とのあいだには、容易には埋めることのできない大きな隔たりがあるように感じられ、茫然たる思いにとらわれることしきりだった。

次に取り上げたいのが、講義でもしばしば言及された「Progetto di vitaプロジェット・ディ・ヴィータ」という言葉である。この用語は、イタリアのフルインクルーシブ教育を語るときには避けて通れないもので、「人生計画」あるいは「生涯設計」とでも訳せるものである。英語でいえば、「ライフ・プロジェクト」である。

講義のなかでは、「学校は社会そのものであって、学校という場が、生徒の個人的かつ社会的な成長、そして自己決定のための成長を促すことになり、そうした成長が、『人生計画』の方向性を決めてゆく手助けとなる。したがって、障害児のために作成される個別教育計画(イタリア語ではPEI)は、生涯にわたる計画という観点から検討されなければならない。そして、そのためには、生徒の『現在』の状況を、『学校生活、校外活動、余暇、家庭生活』をふくめた横断的な視点からとらえること、同時に、生徒の『未来』の状況を、大人になるためには何が必要か、生活の質の向上や個人的・社会的な成長、そして自己決定ができるようになるためには何が役立つのか、という視点で考える必要がある」ということが確認されていた。

「現在」から「未来」におよぶ長いスパンのなかで、学校教育が「人生計画」の一部分としてとらえられていること、そして、教育の場が、学校はもちろん地域社会や家庭生活をふくめた広い視野からとらえられていること、ここにはイタリアの教育の特徴を見てとることができる。こうした点は、イタリアが実際に採用している考え方や組織的な取り組みによって裏づけられているのだが、これについては、今後の連載のなかで具体的なエピソードを交えながら改めて見ていくことにしよう。

 講義で触れられた「障害のある生徒に対する個別の配慮が、クラスメイトからの『分離』を招くものであってはいけない」という指摘も、刮目に値するものだった。

講義では、この指摘に続いて、障害のある生徒がクラスから分離されてしまうことの弊害として、「障害のある生徒にとって、教室という社会的次元での学習経験が奪われること」、そして、「クラスメイトにとっては、自分とは異なる機能様式をそなえた者との出会いによって、人間的にも学習的にも、より大きな実りを得られるための機会が奪われてしまうこと」が挙げられており印象深かった。

インクルーシブな教育を前提としているイタリアでは、特別なニーズのある生徒への配慮は、「いかにしてインクルーシブな学習環境を作りだし、生徒がクラスのなかに包摂されるようにするか」という集団的、社会的な包摂におのずと向けられることになる。まさしく、イタリアの「支援教師」に課せられた任務は、障害のある生徒がクラス集団に参加するための支援を、いかに有効かつ適切に行えるかということにある。

その一方で、分離した教育を前提とした日本では、特別なニーズのある生徒への支援は、「いかに自分のことは自分でできるようにするか」といった、「個人的な自立や成長」を促すことに偏りがちになる。しかし、日本のこうした方向性での支援や配慮には、社会的な包摂への配慮の希薄さともあいまって、極端にいえば、かえって社会的な分離を推し進めてしまうパラドックスに陥りかねないリスクも含まれている。たとえ、同じような教育的ニーズをもった生徒への配慮であっても、インクルーシブな環境を前提とした教育と分離した環境を前提とした教育とでは、そこで目指されている支援の方向性が、まったく異なってしまう恐れすらあるのである。このことは、どれほど強調してもしすぎることはないだろう。

さて、最後に紹介したいのは、イタリアの学校において、配慮が必要な生徒への支援という視点から授業が計画される際に、柱となる三つの観点とされる「自律」→「社会化」→「学習」の循環についてである。

講義では、「自律(Autonomiaアウトノミア)」は、「自立(Indipendenzaインディペンデンツァ)」とは異なるものであり、「自律」とは、「学習環境(学習内容、学習メソッド、学習戦略など)を適切に調整して、学習プロセスを充実化させることによって、生徒自身が自発的に行動したり、自分で何かを判断したり、あるいは自己決定ができたりするようになること」である。また、「社会化」とは、「生徒同士が、集団のなかで責任や役割を共有しながら活動することで、社会性を向上させていくこと」であり、自律性や社会性を高めることが、学習力の向上へと繋がっていくと解説されていた。

さらに、教師の教育的な介入が効果的なものであるかどうかは、生徒の「自律の力」、「社会化の力」、「学習の力」という三つの能力が、相互に力を高め合うことによって、いかに上手く循環し、機能しているかどうかにかかっているとされていた。

ちなみに、インクルーシブな教育を前提としたイタリアでは、配慮を要する生徒の「自律性」や「社会性」についても、多様な個性をもったクラスメイトとの関係性のなかで、望ましいかたちで育まれていることが肝要だとされていた。

さて、今回の連載では、日本の教育との比較という観点から、「支援教師」の養成講座のなかで、とりわけ興味を引かれたことを紹介してきた。養成講座の第2回目の授業は、第1回目の「ぺダゴジア・スぺチャーレ」の概説的な講義をふまえて、受講者たちがグループごとに授業計画案を作成し、それを順々に発表するという流れをたどったのだが、その内容については、次の連載のなかで詳細にお伝えすることにしよう。

おおうち・としひこ………1976年生。イタリア国立ヴェネツィア大学大学院修了。神奈川県特別支援学校教員。訳書に『イタリアのフルインクルーシブ教育―障害児の学校を無くした教育の歴史・課題・理念―』(明石書店)など。趣味は、旅行、登山、食べ呑み歩き。


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