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トミ・ウンゲラー『どうして、わたしはわたしなの?』 序文「道草しつつ、道理も通す」公開

96人の悩める子どもが『すてきな三にんぐみ』の作者に質問! 

絵本作家トミ・ウンゲラーが晩年、フランスの哲学雑誌で取り組んでいた、子どもの質問に答えるスタイルの連載が1冊の本になりました。

帯あり・大

日本語版の発売を記念して、トミ・ウンゲラーによる序文を公開致します。

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Foto: © Gaëtan Bally/KEYSTONE

道草しつつ、道理も通す

 ごくふつうに日常生活を送る中で、すぐに役だつ知恵を授けてくれない哲学は、アクロバティックすぎる脳の体操以外のなにものでもない。ぼく自身、若かりし日にはきわだって頭脳明晰であるカント、デカルト、ウスペンスキー、キェルケゴールなどの本に没頭したものの、最終的には、彼らの言わんとしていることをまったく理解できていないと認める結果になった。高高度で飛行する思考をとらえるには、それなりの知的能力が必要で、ぼくは、その能力には恵まれていないというだけのことだ。
 それはそうとして、ただひとつだけの真実を声高に叫ぶ理論に対しては、いつだって警戒してきた。子ども時代を過ごしたアルザス地方は当時ナチスの統治下で、すべてが単純化されていた―「余計なことは考えない! すべてはヒトラー総統にお任せだ!」ってね。
 ぼくはじぶんの頭で考える自由を手にしている。なにかがおこったら、シンプルで実用的な解決法を探しながら、じぶん自身や他人の深部を掘り下げるのが好きだ。ところで、地に足のついた現実主義者ぶっているぼくの脳みそは、ときとして足早にどこかへとんずらしてしまう。
 「フィロゾフィー・マガジン」の編集長アレクサンドル・ラクロワから、子どもたちの質問に答える連載を提案されたぼくは、そのチャンスに食いついた。まるで、野生動物が獲物に飛びかかるみたいにね。
 何年か前の公開討論会で、スイスのある幼稚園の園長に「わたしの存命中は、トミ・ウンゲラーの本は1冊たりとも園には入れません」と言われたことがある。大半の教育関係者と同様、小さなモンスターたちに囲まれる母親がどんなものだか、その園長には実感する機会がなかったにちがいない。
 彼女にとって、子どもというのはか弱く傷つきやすい存在で、邪悪な力に支配された社会から守ってやらなければならない存在だった。
 ところで、妻が言うところによると、ぼくは子どものままで成長が止まってしまっているらしい。つまり、ぼくはいまだかつて大人になったことはないということ。そのおかげで、子どもっぽくて茶目っ気たっぷりの無邪気さや、新しいことを見つけては常に驚く力をもち続けることができた。飛行機に乗るたび、毎回初体験のような気持ちになる。
 きわどいユーモアにかんしては、子どもたちとぼくの波長はぴったり合っている。ぼくのお手本になっているのは、イソップものがたりやラ・フォンテーヌの寓話、それにエーリッヒ・ケストナーのものがたりだ。
 数年前のこと、ぼくはカールスルーエ大学から「名誉博士号」なるものを思いがけなく授与された。でも、だからといって、ぼくが前よりも深刻に考えこむようになったなどとは思わないでほしい。どんなときだって遊び心を忘れずに論理を司るのがぼくの好みだ。パスカルが『パンセ』で説いたように「人間は考える葦である」とするならば、黒いソーセージみたいな穂先をつけた夏の終わりの葦を思い浮かべるのがふさわしい。葦がはるか彼方までタネを飛ばすのに似て、ぼくたち人間には、それぞれの考えを外に向かって軽やかに発信できるという強みがあるんだ。
 そんなわけで、編集にあたったアレクサンドル・ラクロワは、読み書きに難アリのぼくが書く文章の雰囲気は残しつつも綴りのまちがいを訂正し、長すぎるテキストはカットしてくれた。「なんでもあり」をモットーに、常識とされていることを疑ったり、ものごとを広い視野から眺めるところのあるぼくのスタイルはしっかり尊重しながらね。
 ぼくのきつい皮肉が子どもたちに悪影響を与えてはいけないということには、早々に気づいた。そこで、人を敬うことや分かち合うことの大切さを前面にだすことにしたんだ。そんなときにぼくをしばしば助けてくれたのは、サバイバルには欠かせないユーモアの力、そして、なによりも大切な考える自由だった! ぼくは、道理を通すことだけじゃなくて、道草も愉しんでいる。道中で、説明のつかない神秘にでくわしても心配ご無用。解けない謎こそ、ぼくたちの想像力や夢がよろこぶごちそうなんだ。
 子どもたちから受けた多くの質問によって、ぼくは瞬く間に童心に返った。そんなわけで、この本にはぼくが実際に体験したエピソードがひんぱんに登場する。ところで、また繰り返しになるけれど、ある人にあてはまるものが別の人にもあてはまるとは限らない。たとえば、ぼくの絵本『キスなんてだいきらい』は、愛に飢えている孤児の心には響かないだろう。
 理屈の通らない不条理な状況に置かれても、ぼくは現実を見続ける。まるで、針葉樹でもないカシの木が、冬がやってきても必死で葉っぱをまとい続けようとがんばるみたいにね。人生とは、不公平で暴力にあふれた世界を乗りこえていく試練なのだから、前もって子どもたちに忠告してやったほうがいい。
 子どもに答えるということは、その視点に合わせて、分かりやすい言葉を選び、現実におこっていることやイマジネーションの力を借りながらものごとを説明していくこと。そう、笑顔と敬意さえあれば、すべての困難は乗りこえていける。ぼくたちはみんな―理屈じゃ通らないことがあるからこそ―あれこれと実験し続ける魔術師の弟子なんだ。

トミ・ウンゲラー(アトランさやか訳)


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トミ・ウンゲラー著、アトランさやか訳
『どうして、わたしはわたしなの?:トミ・ウンゲラーのすてきな人生哲学』は全国の書店で発売中です!

【著者プロフィール】
トミ・ウンゲラー Tomi Ungerer
1931年11月28日 、ストラスブール生まれ。絵本作家、グラフィック・デザイナー、イラストレーター、おもちゃ発明家、コレクター、広告デザイナーなどさまざまなジャンルで活躍し、重要な児童文学作家のひとりとして60年以上ものあいだ高く評価されてきた。著書は40以上の言語に翻訳され、映画の原作になった作品もある。代表作に『すてきな三にんぐみ』(1961年、日本語版は偕成社より1969年刊)、『ゼラルダと人喰い鬼』(1967年、日本語版は評論社より1977年刊)、『キスなんてだいきらい』(1973年、日本語版は文化出版局より1974年刊)、『オットー : 戦火をくぐったテディベア』(1999年、日本語版は評論社より2004年刊)などがある。1998年、「小さなノーベル賞」と称される国際アンデルセン賞画家賞。 2019年2月9日にアイルランドで死去。

【訳者プロフィール】
アトランさやか Sayaka Atlan
1976年生まれ。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。2001年に渡仏、パリ第四大学(ソルボンヌ大学)にて学び、修士号を取得。パリの日本語新聞『OVNI』でのコラム連載など、パリをベースに執筆活動中。著書に『薔薇をめぐるパリの旅』(毎日新聞社)、『パリのアパルトマンから』(大和書房)、『ジョルジュ・サンド 愛の食卓:19世紀ロマン派作家の軌跡』(現代書館)、共著に『10人のパリジェンヌ』(毎日新聞社)がある。
http://blog.sayakaatlan.com/


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