5.地域に開かれた学校:ローマの子どもたちの夏①サマーセンター|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦
一般的にイタリアの小学校、中学校、高校が夏休みに入るのは6月上旬のことである。ヨーロッパの国々の多くがそうであるように、新年度の始まりは9月だから、休みの期間はおよそ3カ月にもなる。イタリアの学校の夏休みはとても長い。
イタリアの子どもたち、とりわけサポートや見守りが必要になる障害のある子どもたちは、この長い夏休みをどのように過ごしているのだろうか。実際に子どもたちと触れ合いながら彼らの様子を観察してみようと、ローマ在住のご夫妻のご厚意に甘えて「永遠の都」を訪れたのは、6月半ばのことだった。思い返せば10年振りのローマだった。この街の玄関口・テルミニ駅に降り立ってみると、夏はまだ始まったばかりだというのに、燦燦と降り注ぐ強い日差しが目に眩しかった。
イタリアの学校が休業の期間、障害のある子どもたちにとって代表的な過ごしの場となるのが、障害の有無にかかわらず誰もが一緒に参加できる「Centro Estivo」である。直訳すれば「サマーセンター」となるだろうか。夏休みに学校の代わりとなる場という意味では、「サマースクール」と訳しても良いかもしれない。
サマーセンターは、イタリア各地のいたるところで開催されている。夏にイタリアの町を歩きまわってみれば、あちこちの学校や教会や施設にサマーセンターの張り紙があるのを目にするだろう。そうした各々のセンターが、独自に遊び、スポーツ、レクリエーション、音楽、アートなど様々なアクティビティを用意して、子どもたちがやって来るのに備えている。
学校のない期間、子育てをしている家族にとって、そしてとりわけ障害のある子どものいる家庭にとって、サマーセンターは不可欠となっている。夏休みの間、保護者が日常生活と仕事を両立させるのをサポートする場として、重要な役目を担っているからである。ちなみに家族が負担することになる参加費用は、1週間で1万円~1万5千円程度(昼食込み)である。
サマーセンターは実に様々な団体によって運営されているが、そのなかの代表的な機関が社会的協同組合(Cooperativa sociale)である。現代のイタリア社会では、「障害者の支援」そして「障害者の労働の場の創出」といった点からすると、社会的協同組合が果たしている役割はきわめて大きい。社会的協同組合が、協同組合の新たなカテゴリーの一つとして法制化されたのは、1991年の法律第381号「社会的協同組合法」(注1)によってである。同法の第1条に「社会的協同組合は、人間としての発達と市民の社会的統合において、地域社会の普遍的な利益を追求することを目的とする」と明記されているように、公益性を追求する共同組合としての特徴が明確に示されている。
社会的協同組合は大きく分けて2種類あり、A型は「社会福祉、保健、教育サービスを提供する組合」、B型は「社会的に不利な立場にある人たちを労働の場に組み入れるための組合」となっている。B型の社会的協同組合では、従業員の少なくとも30%は、障害者、移民などを含めた失業者、薬物依存症者といった社会的に不利な立場にある人たちを雇用することが義務づけられている。
この度、3日間にわたって参加させてもらったサマーセンターも「La ciliegia」(注2)と「AISS」(注3)という二つの社会的協同組合によって企画・運営されていた。「AISS」は、1993年に創立されたA型の社会的協同組合である。主な業務は「障害者支援」、「老人支援」、「マイノリティ支援」、「家族支援」の四つに大別できるが、このうちの「障害者支援」にサマーセンターの運営が含まれている。専門職にあたるOEPACと呼ばれる支援員をいわば「加配」として派遣して、サマーセンターに参加する障害のある子どもたちを支援するのが、「AISS」が担うべき業務である。
OEPACというのはローマがあるラツィオ州独自の呼称のようで、他の地方でいえば主として食事、排泄、移動といった日常生活動作(ADL)の支援を行う「自律とコミュニケーション・アシスタント」に相当すると考えておけば良いだろう。
ぼくが訪れたサマーセンターは、ヴァチカン市国のあるテヴェレ川左岸にある公立小学校「ピステッリ」の敷地を借りて開催されていた。初日の朝、8時半すぎに入り口付近に行ってみると、すでに保護者たちに付き添われて子どもたちが続々と集まってきていた。サマーセンターの案内を見てみると、開催時間は朝8時半~夕方の16時半まで、参加対象は3歳~14歳(幼稚園、小学校、中学校段階に相当)の子どもたちとなっていた。
基本的にはサマーセンターは居住地の近隣の場所に申し込むことが多いのだろう。参加者の大半が、普段から「ピステッリ」小学校(あるいは同じ学校群「クラウディオ・アッバード」の幼稚園や中学校)に通っているようで、子どもたちは受付を済ますと、慣れた様子で校舎内に入っていった。
ぼく自身も担当者に付き添われて校内の階段をあがり、3階の教室に手荷物をおろした。しばらく教室に貼り出された時間割や係りの分担表、あるいは廊下に貼り出された掲示物を眺めていたのだが、周囲に人々の姿が見えなくなったことに気づき、慌てて子どもたちの騒がしい声が聞こえてくる中庭へと飛び出した。
中庭の真ん中にはバスケットコートが設けられていた。そのコートを使って、中学生とおぼしき子どもたちが、2チームに分かれてサッカーに夢中になっていた。その周りでは小さなグループに分かれてサッカーボールで遊ぶ子どもたち、追いかけっこをする子どもたち、コートの向こう側を見渡すとリンボーダンスのような格好で長縄の下を潜り抜ける遊びをしている子どもたちの姿が目に入った。
サマーセンターに参加している間、ぼくは社会的協同組合「AISS」から派遣されていたOEPACの方々と一緒に障害のある子どもたちに付き添っていた。自閉症と思われる子、重度の障害があり車いすで生活している子、落ち着きなく走り回っている子、それぞれが中庭の思い思いの場所で過ごしていた。
健常の子たちと一緒に長縄潜りをしている子もいれば、付き添っている支援員とサッカーをしている子どももいた。
1時間ほど遊んだところでおやつの時間となった。教室では、それぞれが家庭から持参したビスケット、フルーツ、サンドイッチなどを頬張っていた。障害のある子どもたちにとって、この時間はおやつの時間であると同時に、水分補給をしたりトイレを済ませたりする時間だった。
その後、子どもたちは、絵を描くなどして過ごしていたが、しばらくすると彼らの多くは、ふたたび中庭に出ていった。障害のある子どもたちは活動の場を体育館に移すことになった。中庭はあまりにも暑いだろうという判断からだった。中庭の活動であれ、教室の活動であれ、障害の有無を問わず誰もが一緒に過ごすことが前提になっているが、健康管理という観点から、障害のある子どもたちの活動内容や活動の場については、臨機応変に対応しているように見受けられた。
12時をまわると昼食の準備がはじまった。初日のメニューは、プリモがトマトソースのパスタ、セコンドがチーズと豆の付け合わせ、それにパンがついていた(注4)。配慮が必要な子どもたちには、個々の名前が記されたアルミ容器に食事が配られていて、食材が細かく刻まれていたり、ペースト状になっていたりした。実際に食事が始まると、OEPACの人たちがスプーンで一口ずつ食べ物を口に運ぶなどの支援を行っていた。
昼食後の午後の時間は、全般的にリラックスの時間だった。障害のある子どもたちは、適宜、水分補給をしたり、トイレに行ったり、着替えをしたりという時間をはさみながら、教室で絵を描いたり、体育館で軽い運動をしたり、しばし横になって休憩をしたりして過ごしていた。サマースクールの期間が後半になり、校舎内をもっと自由に使えるようになったら、中庭を使ってみんなで水遊びをしたり、教室でアート活動をしたりすることも予定しているということだった。
さて、以下ではローマのサマーセンターで観察できたこと、そして理解を深められたことを紹介していくことにしよう。この連載で繰り返し述べているように、イタリアは誰もが同じ教室で一緒に学ぶフルインクルーシブの教育を実践している国である。サマーセンターは、学校教育制度の外側にある地域社会での活動になるわけだが、ここでも健常児と障害児を区別することなく、フルインクルージョンの原則に基づいて活動が実施されていた。
サマーセンターでは、障害のある子どもたちをサポートしていたのは、社会的協同組合「AISS」から派遣されたOEPACと呼ばれる支援員たちである。観察したかぎりでは、障害児3人に対して2人ほどの割合で手厚く配置がなされており、主としてそれ以外の健常の子どもたちの面倒を見ていたのが、もう一つの社会的協同組合「La ciliegia」から派遣された支援者たちだった。
このサマーセンターには、イタリアに残されている数少ない特別学校の一つ「ヴァッカーリ」特別小学校(注5)の子どもたちも数多く参加していた。普段彼らが通っているのは障害児のための学校なのだが、地域社会での活動では、今回のサマーセンターのように、インクルーシブな環境で健常の子どもたちと一緒に過ごす機会も用意されていることがわかる。
この度、サマーセンターに参加してより理解が深まったと思えることは、OEPACの活動のあり様とその意義に関することである。先に述べたように、A型の社会的協同組合「AISS」が担っている業務の一つに「障害者支援」があるわけだが、そこに「サマーセンターの運営」と並んで「学校教育の支援」や「家庭生活の支援」も含まれている。つまり、「AISS」に所属するOEPACは、学校がある期間には教室で障害のある子どもたちの支援に携わり、学校が休業となる夏の期間にはサマーセンターで活動し、場合によっては家庭生活の支援にもまわるという役割を担っているのである。
実際にOEPACの人たちに尋ねてみると、その多くが、学校のある期間には「ピステッリ」小学校や「ヴァッカーリ」特別小学校といった教育現場に派遣されているという。障害のある子どもたちについては、学校での様子も地域社会での様子もあわせて熟知しているというOEPACの人たちが数多く見受けられた。
日本の学校とくらべると、イタリアの学校は格段に地域社会に開かれている。イタリアでは地域社会にある社会的協同組合のような組織、くわえて地域保健機構(AUSL)のような専門機関が、そこに所属する専門家たちを各学校の教育現場に派遣して、学際的な専門家チームを結成させ、それによって学校の教育活動を支える実践をおこなっている。あるいは、教育的な措置の一環として、障害のある子どもたちが地域社会のなかにみずから足を運び、リハビリを受けたり、様々なセラピーを活用したりすることも可能になっている。もとより、こうした社会をあげた組織的な支援は、障害のある子どもたち一人一人に対して作成される個別教育計画(PEI)のなかに位置づけられている。
サマースクールに参加して得られた何よりの収穫は、OEPACと呼ばれる支援員の活動を通じて、学校社会と地域社会とのつながり、あるいは「学校の生活」、「地域の生活」、「家庭の生活」のあいだに貫かれている支援活動の連続性や連関性を確認できたことである。地域の学校が、夏休みの期間にはサマーセンターが開設される会場となり、両者が校外の社会的協同組合から派遣されるOEPACの教育・支援活動によって支えられるという社会の循環構造そのものが、その格好の一例となっている。
障害のある子どもたちに対して真に効果的なサポートを行うには、支援の舞台を学校教育の現場に限定してしまうのではなく、地域の生活や家庭の生活を含めた広範で多角的な視野から対象となる子どもの実態をとらえて、具体的な支援活動を展開していく必要がある。それにくらべて、学校と校外にある専門機関との連携が不十分であり、なおかつ学校社会と地域社会との連続性や循環性が希薄な日本の状況に対しては、イタリアのフルインクルージョンの理念に基づいた教育制度とその地域社会での取り組みは、大いなる問題提起となるだろう。
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