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【お知らせ】ナガノハルさんの連載「一万年生きた子ども」が始まります
「精神疾患のある親をもつ子ども」について
ここ1、2年でしょうか。「精神疾患のある親をもつ子ども」を、社会問題として認識する機運の高まりを感じています。たとえば、NHK「ハートネットテレビ」が当事者の声を伝えていたり、「NPO法人ぷるすあるは」さんが「親が精神障害 子どもはどうしてんの?」という動画を作成しています。
それらを通して明らかになってきたのは、彼女/彼らの困難な生活の実態や、社会での生きづらさです。学校や近所からの無理解によって傷つけられ、安心して過ごせる居場所がない。大人のかわりに家族の介護やケアを担わないといけない……。子どもとして生きる機会を失われた「アダルトチルドレン」や、「ヤングケアラー」の問題をはらんでいます。
ナガノハルさん連載「1万年生きたこども」
ナガノハルさんもそのお一人です。幼いときに母が統合失調症になったことで、ナガノさんは家事を手伝い、病院に付き添い、母が失踪したときには連れ戻しに飛んでいきます。でも、だれも支援の手を差し伸べてくれない。そして、学校では悟られないように命がけで「ふつう」にふるまっていたといいます。
ナガノさんが幼少期のことを綴ったエッセイが「1万年生きたこども」です。東京大学・経済学部が運営するサイト『REDDY』にて、全10回で連載していました(2020年11月に終了)。
「1万年のこどもであるとは、幼くして苛烈な状態に追い込まれた時、爆発する命に備わったプログラムのようなものです。それは、誰でも持っています。生き延びるために神に与えられているのです」。
「こども時代をこどもとして生きることを失われ、誰よりも大人として生きることは、永遠にこどもであることなのです。大人として成長できないことなのです。私はその後の人生をずっと、この代償と共に生きることになります」(第9回「霊感といじめと授業参観」より)。
「アダルト・チルドレン」「ヤングケアラー」……幼少期に困難な経験をされた方々を、そういった固有名詞で認識することは簡単です。
ですが、ナガノさんの「1万年生きたこども」という言葉には、それらから決して伝わらない圧倒的なリアリティ、人生の重み、そしてどこか不思議な温かさがあります。
このエッセイを読んでいると、ナガノさんが、今まさに困難な状況にある人たちに向けて、「大変だったけど、なんとか生き延びられたよ」と、小さくてささやかな、でも心強いエールを送っているように感じられるのです。
現代書館noteにて続編が始まります
ところが、この連載はナガノさんが中学1年生のときのお話まで完結してしまいました。
過酷な幼少期を経験したナガノさんが、その後、高校生・大学生・社会人、どうやってサバイブしてきたのか……とても気になります。
そこで、現代書館noteにて、その続編となる連載「一万年生きた子ども――精神疾患の母をもって」をスタートしていただくことにいたしました。ナガノさんが「一万年生きた子ども」であった「後遺症」とどのように向き合ってきたのかを描いていただく予定です。
精神疾患400万人時代。精神疾患のある親をもつ子どもは、これからさらに可視化されることが予想されます。専門書でも、ニュース記事でもない、当事者の声を届けることで、この現実に少しでも光を当てたいと考えています。
連載が始まるまえに、ナガノさんより、「noteで連載するにあたり」というメッセージをいただいております。あわせてご覧くださいませ。
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