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彼女のスプレーのしぶきは私の胸にも届いた|『凜として灯る』を読んで|花田菜々子

書店員・花田菜々子さんが新刊『凜として灯る』を読んで、荒井裕樹さんへお手紙を寄せてくださいました。本書の魅力がググッと詰まった内容でしたので、花田さんにお許しをいただき、特別に公開いたします。

荒井裕樹さま

『凜として灯る』の刊行、おめでとうございます。また書店員がどこに置くか困るような本を書かれましたね。

ワクワクした気分と重苦しい絶望とを同時に感じながら、一気に読み進めてしまいました。障害者運動について書かれた本なのにワクワクするというのは、この本をまだ読まれていない方からしたら信じられないかもしれません。

でも、片脚が不自由なことで自分を押し殺すように惨めに生きていた「米津知子」が学生運動、そしてウーマン・リブの活動に出会い、世界が開かれ、メガホンを手にとって声を上げるようになっていく描写は、こちらの気持ちまで明るく照らすようでした。

この本は、障害者運動、ウーマン・リブ、ある女の青春、70年代という時代の空気、ひとりの人間の魂の叫び……と複数の要素から成り立っていて、どれかひとつ欠けても成立しないものだと感じました。彼女がモナリザにスプレーをかけた理由は、簡単に言えば「障害者の不当な扱いへの抗議行動」と説明できるかもしれません。ですが、それだけでは言い表せない、上記のすべてが複雑に絡まり合った背景がそこにあったのだと知ることができました。

きっとこの本は、彼女の起こした事件が正しいか否かをジャッジするためにあるわけではなく、彼女の命の輝きに触れ、50年越しのバトンを受け取ることに意味があるのではないかと思います。そして本書を読み終えたとき、読み手の心に広がる風景は、それぞれ別のものかもしれません。

私がまず感じたのは、障害者差別も中絶の権利も、50年も前の話なのに全然進まなかったんだなという絶望でした。いや、全然とは言いすぎかもしれません。先人たちが声を上げてくれたために、あの頃よりよくなったこともたくさんあるのだと思います。

しかし、現在でもなお、「満員電車ではベビーカーを畳むべきだ」と主張する者がいたり、障害者が飛行機の搭乗を拒否されて止むを得ずタラップを腕で上ったり、あるいは普通に電車を使えなかったと苦情を言うだけで、SNSは「障害者のくせに迷惑をかけるな」と炎上する。低容量ピルも緊急避妊薬も海外のように簡単には入手できず、中絶手術も女に罰を与えないと気が済まないとでもいうような危険な方法から変わらぬまま。弱者には相変わらず何も自己決定させたくなく、いつも申し訳なさそうに罪悪感を抱えながら生きてほしい、そう考えている人たちがまだ日本社会を支配していると感じます。

 ウーマン・リブと障害者運動の人たちが、中絶をめぐる観点から対立してしまったという歴史も、とても興味深いものでした。障害者運動の人たちの中に根付いていた女性蔑視のことも。正確に言えば、ああ、またこれか、という既視感です。私たちはいつも、憎み合わなくてもいい弱者同士が憎むような状況に置かれます。私たちが憎み合い、攻撃し合うことで得をするのは誰なのかという問題。弱者は別のジャンルの弱者を必ずしも慮り、想像し、手を取り合えるわけではないというつらすぎる現実。

ただ、一方で彼らがお互いが敵ではないはずだと歩み寄りを模索する姿には知性があり、希望がありました。そして両方の苦しみを知っていた知子の葛藤とその後の歩みには胸が痛みました。彼女の胸に灯っていた炎は、花森安治にも手塚治虫にもとうてい想像の及ばない叫びだったんですね。

前著『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)を拝読した際も、「この本は何が言いたいんだ?よくわからないし、なんだかすごくゆっくりだな、でも今までに読んだことのないようなとても面白いものを読んでいる」と感じたのですが、今回も負けず劣らず、「もっと○○しよう!」というようなわかりやすいメッセージのない本ですね。

だからこそ、障害者運動やウーマン・リブについて学べる本でもありながら、評伝のようにいきいきとしていて、小説のように美しい本になっているのかなと思いました。いったいどうやって書いたらこんな本ができあがるのか不思議です。

荒井さんも以前おっしゃっていたとおり、障害者差別のことについて話すのは少し勇気がいることです。自分が当事者ではないゆえに、間違ったことを言ってしまうのではないか、自分に語れることなどないのではないかと、ついためらう気持ちに囚われてしまいます。ですが、この本を通じて知子の人生に並走できたことで、少しその恐怖から離れることができました。自分の中で何かが変わったというわけではないけれど、彼女のことはまた折に触れ何度も思い出すような気がしています。

彼女の人生を本の形にして届けてくださり、ありがとうございました。

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●花田菜々子さん推薦!●
『凜として灯る』
荒井裕樹著
1800円+税 現代書館

花田菜々子(はなだ・ななこ)
流浪の書店員。あちこちの書店を渡り歩き、2018年から2022年2月まで「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で店長をつとめる。著書に『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』など。


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