武士論を検証する(9):中世史の問題

 中世の<分割主義>は古代の専制主義をバラバラに粉砕するために用いられました。武士の武力が成し遂げたことです。一方、明治維新は中世においてバラバラに分散された国家権力の断片を拾い集め、再び一体化することでした。すなわち日本の歴史は<集中―分散―再集中>へと推移していたのです。この推移はフランスやドイツの歴史と同じです。
 従って日本の国家体制は<古代の中央集権制―中世の分権制――現代の中央集権制>と変遷したのです。それは日本史が三つの歴史<古代史――中世史――現代史>から構成されてあることを明らかにします。
 このように歴史が本質の観点から考察されれば中世と現代との間に挿入された、近世というお飾りの歴史は存在しえません。近世史というものは中世史の後半部でしかありません。
 さてここには二つの中央集権制があります、古代の中央集権制と現代の中央集権制です。古代日本と現代日本の国家体制は共に国土、国民、国家権力が一体化している体制です。しかし二つの体制の大きな違いは支配者です。古代の支配者は古代王であり、一方現代の支配者は憲法です。古代の中央集権制は古代王の支配する一局体制であり、しかし現代の中央集権制は法が支配する一局体制です。
 従って日本の支配者は古代王から法へと大きく推移したのです。法治国の誕生です。そしてこの推移のために700年間が費やされていたのです。その期間が中世であった。その点、中世は国家の支配者が古代王から法へと交替するための長い、長い過渡期であった、あるいは準備期間であったといえます。言い換えれば中世は専制主義を民主主義へと変える媒体を務めたのです。そしてこの歴史的な変革を成し遂げたものが武士であった。武士は日本史を決定つけていたのです。
 注目すべきことは歴史の不可避の進展についてです。それは<古代が直接、現代へと連続しない>ということです。氷がいきなり水蒸気に変わることが無いように、古代国もいきなり現代国へと移行しないのです。その中間には水があり、そして中世が存在するのです。
 古代は中世という段階を踏んで初めて現代へと到達する。つまり専制主義を粉砕する分割主義が先ず、必要なのです。明治維新は全国が分割されてある状態が大前提です。つまり江戸時代の日本の国家体制は疑いもなく分権制でした。国土が分割されているからこそ集中化という行為が発生する。明治維新は中世無には成立しなかったということです。その点、武士の存在、そしてその律儀な分割主義は歴史の進展にとって必要不可欠なものであった。
 歴史を単に年代順に並べるだけでは歴史の真実にたどり着くことはできません。例えば<近世史>というものはまがい物の歴史です。それは歴史を画する資格を持っていません。近世という代物は中世史の一部であり、中世の後半部でしかない。歴史を本質的に眺めれば<古代―中世―近世―現代>という推移はあり得ません。つまり<古代―中世―現代>が本来の歴史の形です。今日の歴史学は抜本的に書き改められるべきです。<近世不要>は重大な問題であり、別稿で詳述します。
 さて中世史に関するもう一つの問題は今日の世界体制です。世界には中世史を持つ国と持たない国があるからです。日本や西欧諸国はそれを持ち、しかしロシアや中国などはそれを持たない。
 ユーラシア大陸のほとんどすべての国は中世史を持たなかった、それ故、彼らは今も専制国、あるいは民主制の衣をまとった専制国(疑似民主国)です。ロシア、中国を筆頭に、東欧諸国、中東諸国、インド、東南アジア諸国、中央アジア諸国、南北朝鮮などです。過去2000年に渡り、古代国のままです。古代に留まり、専制主義に絡めとられたままです
 彼らの歴史には古代国を打倒し、中世国を建ち上げた武士(や騎士)が登場しませんでした。古代武士(長袖戦士)しかいなかったのです。日本の武士でいえば義家や将門や清盛です。義家は王朝に仕える、将門は王朝に対し、反乱を企てる、清盛は自らを新しい古代王と名乗る。いずれにせよ彼らは皆、王朝の磁場の上で活動しています。
 しかし彼らの歴史には王朝そのものを否定し、王朝から自立する頼朝や在地領主(中世武士)は一向に現れなかった。それは外国(中国や韓国やトルコなどの古代国)のテレビドラマを見ればよくわかります。彼らの戦国ドラマには古代王朝と古代武士しか登場しないのです。ですから封建領主や武士の登場する日本の戦国ドラマは世界的に見れば異色なのです。その点、サムライという言葉には重い響きがあります。
 双務契約は開発されず、従って中世の主従関係も生まれない。平等主義の芽生えも無い。在地領主、領地、領民、領主権という中世武士の言葉(中世固有の言葉)も存在しない。従って彼らの歴史は日本史でいえば奈良、平安時代の段階で停滞したままであり、しかし鎌倉時代へと進まなかったのです。
 彼らの国では古代の専制主義が破壊されませんでした。21世紀の今も専制主義は蔓延り、古代王(独裁者や軍司令官など)が権力と暴力で国民を縛り続けています。分割主義が現れなかったことは国家にとって致命的なことでした。国土、国民、国家権力の<分割>という中世化革命は起こらず、それ故<再集中>するという現代化革命も起こり得なかった。つまり彼らは中世化革命も現代化革命も断行していないのです。
 この中世史の有無は決定的なことです。というのは今日の二極に割れた世界、すなわち民主主義国と専制主義国の二つの抜きがたい対立という人類の悲劇が生まれた、その真の原因であるからです。古代国の前には700年に及ぶ中世という高い壁がそそり立っています。彼らにとってそれを乗り越えることはほとんど不可能に近い。
―――(10)へ続きます   
 (本論は別稿<中世化革命>からの引用です。アマゾンから出版中です)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?