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ざっくり語彙 ~スキマ5分の「スマホでボキャビル!」~ 026

【エスノセントリズム】
もし皆さんが、テレビか何かで、海外の人が僕たちの食習慣にないようなものを口にしているのを見た際、「え? そんなもの食べるの…? うわぁ…ドン引き…」などと思ってしまったとしましょう。そこに前提されているのは、

自分たちの食文化を基準として、それにそぐわない食文化を否定する

という考え方であるはずです。
食という具体的なコンテクストを外すなら、

自文化=正しい/他文化=自文化に劣るもの

ということになりますね。
このような認識のあり方を、エスノセントリズムと呼びます。

民族=エスノ 【参照】ethnic:民族の〜
中心=センター
主義=イズム


ということで、訳せば自民族中心主義となりますね。
近代以降の世界史において、アメリカが台頭するまで主役の座に居続けたのは、ヨーロッパすなわち西欧でした。当然のこと、彼らは自らを最も文明化された地域であると考えます。となるとそんな西欧文明とは対極にある東洋すなわち非西欧は、野蛮で未開な地域として位置づけられることになりますよね。こうした自民族中心主義的な世界観を背景に、西欧は、例えば「未開な非西欧を啓蒙することが自分たち文明国の使命であり、そのためには、植民地支配という手法を取らざるを得ない」などと豪語し、悪辣な植民地主義を正当化していくのです。

〜例文〜

〈西欧=文明/日本=半開/アジア=未開〉という世界観を前提に、近代日本においては、西欧に対する劣等感、そしてアジアに対するエスノセントリズムという、いびつな心性が醸成されていった。

〜関連知識〜
エスノセントリズムの主体にとって、逆説的な言い方になりますが、自らに対する未開あるいは野蛮な存在というのは、なくてはならぬものでした。なぜならばそうして劣位に置かれた他者と比べることによって、自己の"優秀性"を"確認"することができたからです。例えば吉見俊哉『博覧会の政治学』(講談社学術文庫)などでは、博覧会という装置が、そうした欲望を充足するものであったことが述べられています。博覧会場には、植民地の産物や生活調度品、場合によっては植民地原住民そのものが展示されました。それにより"文明とは対極にある暮らし"が強調されることで、〈自文化=文明/他文化=未開〉という図式が可視化され、ヨーロッパの人々の優越感、自尊心を満たしていったのです。


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