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【本の紹介】山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』(講談社現代新書)

□難度【★★☆☆☆】
広く一般に向けて書かれている。筆者は哲学の研究者であり、もちろん哲学についての話題も随所に散りばめられているが、読み手は変に構える必要はない。著者は、きちんと、多くの人が理解できるように書いてくれている。

□内容、感想など
良い意味で抽象的。具体的な読書層を限定していない。だから、汎用性がある。例えば、高校生や受験生が小論文やディベートの対策をするのにもよいし、教壇に立つ人間が授業を組み立てる際にもおおいに参考になる。そしてーーおそらく筆者はそこにこそ力点を置いているのだろうがーー僕たち一般の市民が、"より良き社会"を構築していくうえで、とても大切な考え方を示してくれている。僕はこの本を、そういった意味で、"穏やかな革命の書"として読んだ。端的に言えば、対話のための熟議的理性を市民に涵養するための、啓蒙の一冊である、と。
とりわけ白眉が、

相手の意見を潰してしまうのではなく、より論理的に抜け漏れの少ない議論を作る補助をするために行われる

山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』

というチャリタブル・リーディングの解説。そしてもう一つ、アナロジー(類比)的思考の応用についての記述である。
アナロジー(類比)とは、何かしらの共通点を見出すことで複数の対象を重ね合わせて解釈する方法。例えば、

・そば→長い(食べもの)
・長寿→長い(命)
➡︎そば=長寿の象徴

などという解釈もまた、アナロジー(類比)である。
しかし本書の筆者が想定するアナロジー(類比)の対象は、無論、そばでも長寿でもない。筆者は、自己と他者という存在の間に、アナロジー的な視点を導入することの大切さを訴えるのである。
この社会に生きるうえで、他者への共感は果てしなく大切なことである。
しかし、境遇の隔たった他者に共感するのは、至難のことだ。
では、どうすれば可能か。
それには、その他者の置かれている状況は、自分の場合に当てはめればどういう状況にあたるのかという観点が不可欠であるという。まさに、他者の状況と自己の状況との間に共通点を見出していく、アナロジー(類比)的な思考である。例えば「彼があんなに困っているのは、彼が置かれている〇〇という状況のせいだろうが、その〇〇という状況は、僕にあてはめれば□□という状況に該当するだろう」と考えれば、「…ああ、それは確かに困るな…わかる…」となるということ。
なるほど、それは確かに実践的な思考法であると言えるだろう。
しかし、本書の提言がもしここで終わっていたなら、本書についての僕の評価は、もう少し低かったと思う。なぜなら、そのようなアナロジー的な思考法には、危険性が潜んでいるからだ。それは、他者の置かれた状況を、自己の文脈へと恣意的に歪曲してしまうという危険性である。この点について、いかにしてそれを回避するかということに触れていなければ、それは提言としては不十分…どころか、かなり危ういものになってしまうのである。
が、筆者はきちんと、そのことについて答えを示してくれている。

私たちは、こうした不適切なアナロジーの使用に常に注意しなければなりません。だからこそ私は、多くの人たちが集まる対話の場面において、共通のアナロジーを考え出していくことが大事だと思っています。

山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』

なるほど、他者にまつわるアナロジー的な認識が、「多くの人たちが集まる対話」の場においてなされるなら、そのアナロジーの是非や妥当性についての検証を、常に複数人で行うことができる。そうなれば、独善的、あるいは恣意的な歪曲を回避することのできる可能性も高まるというわけだ。これからの社会、そして未来を構築していくうえで、極めて重要な指摘であると思う。

□こんな人にオススメ
・高校生から読める。受験対策にも(特に学校推薦型選抜や総合型選抜)。
・読解力、論述力を磨きたい人。
・熟議の具体的な手法を知りたい人。
・市民社会をより良き方向へと高めていきたい、すべての人たち。

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