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濵田理央「3分で学ぶ世界 NZアーダーン首相『核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと』【広島原爆の日・メッセージ全文】」を読んで。

言うまでもなく、原爆をはじめとするあらゆる核兵器は、その使用はもちろん、所持も製造も禁止されるべきです。そして、広島と長崎、第五福竜丸という歴史を持つこの国に生きる市民にとって、核兵器廃絶に向けた世界的なムーブメントを先導することは、もはや人類史レベルの義務とまで言える。

ただ、僕には一つ、危惧することがあります。

それは、核兵器廃絶を目指す運動が、ある種のナショナリズムを盛り上げる言説へと転用されてしまうことへの危機感です。

唯一の被爆国として…

という言い方は、原水爆禁止を訴えるメッセージで用いられる、常套句ですらある。

もちろん、繰り返しますが、広島・長崎・第五福竜丸を歴史として背負うこの国、あるいはそこに生きる人間としての"人類史的な責任"については、自覚的であるべきです。

けれども、「唯一の被爆国…」という言い方は、例えば、広島・長崎で被爆した人々のなかには、現在の世界では「日本人」にカテゴライズされない人たちも、多く含まれていたという事実を、覆い隠してしまう可能性があります。
あるいは、その表現が持つ排他性それ自体が、核兵器廃絶に向けた連帯から、他の国々の人々を退けてしまうことだって考えられる。

核廃絶を目指す動きが、ナショナリズムを刺激する排他的言説へと回収されぬよう細心の注意を払うこと。

これは、とても大切な観点なのではないでしょうか。何より、核兵器の廃絶は、人類皆の協働のもとに為されねば、いつまでたっても"絵に描いた餅"でしかないわけですから。

そして、広島・長崎・第五福竜丸を語る言葉がナショナリズムへと回収されることを避けるうえで、2020年に投稿されたニュージーランドのアーダーン首相による以下のメッセージは、とてつもなく重要な意義を持つことになる。

私は、核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。

このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。

核兵器をこの世からなくすこと。
それは、「地球規模」の連携をもってして、初めてイメージできるものなのです。決して、広島や長崎、第五福竜丸という出来事を、"一国内の歴史"として閉じてはいけない……。

もっとも、「唯一の被爆国」でありながら「核兵器禁止条約」に批准すらしないこの国の現状に鑑みるなら、"そうした懸念以前の問題"という言い方のほうが、適切なのかもしれませんが。


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