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日本語母語話者にとっての〈やさしい日本語〉

先日、駅で政治家が街頭演説をしながらリーフレットを配っていました。読むと、ものすごく良いことが書いてあります。その提言の一つ一つに、確かに…と思わせるだけの説得力がありました。けれど同時に、僕は、「ああ…これではいけない…」とも思いました。
なぜか。
専門的な熟語が多用され、ルビも解説も付されていないんですね。つまり、難解。読みにくい。
これでは多くの人の心に届けることはできない…そう、残念に思いました。この政治家や、あるいはこの政治家の所属する政党は、やはり程度の高い教育を受けた、もしくはそうでなくともそれに準ずる学力のある人のみを代表している…そう受け取られても仕方ないのかもしれない、と。

〈やさしい日本語〉という考え方があります。
災害時に、日本語に堪能ではない日本在住の外国人の方々が、避難の指示等を理解できず、犠牲になった…という出来事を受けて、〈日本語を母語としない人たちにも運用することができるように、やさしく言い換えられた日本語〉のことです。そしてまさに、

この〈やさしい日本語〉をこそ、政治的なリーフレットに採用してほしい!

それこそが、この雑文で私の主張したいことなのですね。

まず最初に、日本語非母語話者の中にも、日本に帰化し、選挙権を持つ人はたくさんいらっしゃるでしょう。そうした方々にも読めるように書かないと、どんなに良いことを主張していても、そのリーフレットは、そのような人々を排除する暴力装置となってしまう。
それに、選挙権を持たない日本語非母語話者の方々だって、この社会をともに作る市民であり、たとえ投票権を持っていなくとも、自分の住む町や都市、国の政治について知る権利がある。あるいは、彼ら自身は投票できなくとも、そのリーフレットを読み考えたことを、僕たちと話し合うことはできる。それもまた、民意を形成する一つの方法なのではないでしょうか(本当は、一定の条件を満たせば、この社会に住むすべての市民に投票権が認められることが望ましいのですが…)。
そして、もしこうしたリーフレットを〈やさしい日本語〉で書く…あるいは、その要点についてだけでも〈やさしい日本語〉での解説を載せるなら、それは、日本語非母語話者のみならず、日本語を母語とはするけれども、文章の読解を苦手とする人々、あるいは、まだ抽象的な文章を読む訓練を十分には積んでいない高校生が、より主体的に政治へと参加するための、大きなきっかけとなるはずなのです。

〈やさしい日本語〉は、もちろん、日本語非母語話者のために考えられたシステムです。しかし、僕たち日本語を母語とする人間にとっても、それは大きな意義を持つ〈やさしい日本語〉研究の第一人者である庵功雄の以下の論文に、そうした観点が詳しく論じられているので、ぜひ、読んでみてください。

定番の入門書としては、同じく庵功雄『やさしい日本語 多文化共生社会へ』(岩波新書)をオススメします。この一冊でも、庵は、日本語母語話者にとって〈やさしい日本語〉が持つ意味を、多角的に論じています。

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b243840.html


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