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【本の紹介】千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)

□難度【★★☆☆☆〜★★★★☆】
第七章 ポスト・ポスト構造主義はかなり難しく感じられるかもしれないが、たとえこの章が理解できなくとも、そこまでの内容については具体的なイメージを持てるはず。そして、そのことだけでも千金の価値がある。カントやラカンの解説など、感涙もののわかりやすさである。

□内容、感想など
脱構築は、確かに、既成の秩序に揺さぶりをかけ、それを機能不全に陥れる営みである。が、そこで忘れてはならないことが、一つある。それは、

脱構築は終わらない。一つの体系が脱構築されることは、すなわち、新たな体系が見出されることに等しい

ということだ。そうして、だとするなら、脱構築批評においては、決して、アナーキーな状況というのは現出し得ないことになる。我々の認識は、常に、新たに見出され続ける不断の体系の連鎖に絡めとられていくのだから。スピヴァクは、おそらく、そのような意味を込めて、脱構築批評をこう論じた。

脱構築は差延に住まわれたたえず自己を脱構築する運動である。いかなるテクストも完全に脱構築したり、されたりすることはない。

(ガヤトリ・C.スピヴァク『デリダ論 『グラマトロジーについて』英訳版序文』田尻芳樹訳 平凡社ライブラリー)

そして、無限に連鎖してゆく脱構築の運動は、言い換えれば、自己が前提としている認識の、不断の刷新を意味することになるだろう。とするなら、脱構築とは、すなわち、自己の向こう側=他者へ至ろうとする運動そのものなのである……以上のように脱構築をイメージしていた自分にとって、何より刺さったのが、以下の言葉だった(太字は引用者)。

 確かに現代思想には相対主義的な面があります。後で詳しく述べるように、二項対立を脱構築することがそうなのですが、それはきちんと理解するならば、「どんな主義主張でも好きに選んで OK」なのではありません。そこには、他者に向き合ってその他者性 =固有性を尊重するという倫理があるし、また、共に生きるための秩序を仮に維持するということが裏テーマとして存在しています。みんなバラバラでいいと言っているのではありません。いったん徹底的に既成の秩序を疑うからこそ、ラディカルに「共」の可能性を考え直すことができるのだ、というのが現代思想のスタンスなのです。

—『現代思想入門 (講談社現代新書)』千葉雅也著
https://a.co/4XWNXd8

もちろん、現代思想自体に、言葉の狭い意味での相対主義的な読まれ方をされてしまう身振りもあったとは思う。しかし、例えばデリダは、おそらく、徹底して"倫"の人だった硬直した体系に揺さぶりをかけ、その先で、他者と繋がろうと模索し続けた人だった。近代の諸制度・諸観念が他者との真の出会いを不可能にしてしまっているならば、そこに揺さぶりをかけることは、すなわち、"あるべき人間(人と人との関係)"の模索に等しいということになるのだ。現に、デリダの良き読み手としての研究者たちが、少なからず、人と人との新たな繋がりの可能性を探求している。例えば、スピヴァクや、岡真理である。

□こんな人にオススメ
・もちろん、現代思想に興味のある、すべての人々。
・これまでに現代思想の入門書を手に取りながら、ことごとく挫折してきた人。
・ラカンに近づくことを完全に諦めていた人。
・ポスト構造主義で知識が止まっており、"その後"の展開を知りたい人。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363613

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