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ブンガクのことば

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小説や随筆や詩などを読み、「お。いいな」と思った言葉について。数分で読める短文です。
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記事一覧

ブンガクのことば【0112】

老先生は支那間の壁掛の蔭に行って立ちどまって、 「バリバリ音が聞えているぞ」  とおっしゃ…

ブンガクのことば【0111】

でも、僕は、その秘密を、絶対秘密のまま、とうとうこの世で誰にも打ち明けず、胸の奥に蔵して…

ブンガクのことば【0110】

論理は、所謂、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。 〜太宰治『斜陽』より〜 …

ブンガクのことば【0109】

上で、寝台の上にさつきがおります。ギリギリ舞うとですばい。寝台の上で。手と足で天ばつかん…

ブンガクのことば【0108】

無茶なことを云われて民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉しいとが胸の中…

ブンガクのことば【0107】

水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、僕等二人が立って居る茄子畑を正…

ブンガクのことば【0106】

蛇の話をしようかしら。その四、五日前の午後に、近所の子供たちが、お庭の垣の竹藪から、蛇の卵を十ばかり見つけて来たのである。 〜太宰治「斜陽」より〜 「斜陽」は「かず子」という女性の一人称語りの小説である。それゆえ、その語りについては、いわゆる役割語…その言い回しが、発話者の社会的属性を表すような叙述が頻出する。引用の箇所で言うなら、「蛇の話をしようかしら」の「かしら」が、"女性"という属性を表す記号となっている…というように(もちろん、実際には「かしら」は女性の使用に限定

ブンガクのことば【0105】

馬鹿野郎め、べそをかくのか、おとなしくしなければまだ打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましい…

ブンガクのことば【0104】

私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈…

ブンガクのことば【0103】

どうも十兵衛それは厭でござりまする 〜幸田露伴「五重塔」より〜 五重塔の建築は、腕も立ち…

ブンガクのことば【0102】

「それほど浪漫的(ロマンチック)な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」…

ブンガクのことば【0101】

「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」  とおっしゃった。 「お花を…

ブンガクのことば【0100】

今や上人の招(よ)びたまうか、五重の塔の工事一切汝に任すと命令たまうか、もしまた我には命じ…

ブンガクのことば【0099】

三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。 〜夏目漱石「三四郎」より〜 「青春の血」が「暖かすぎる」と「生死の問題」を考えることができない、という因果の認識が斬新だ。 人間は、元来、世界や自分たち自身についての因果関係を知りたがる生き物である。 古代の宗教から現代の科学まで、それは一貫している。 おそらくは文学にも、そうした側面はあるのだろう。 人の気づかないような因果関係を見出すことと、文学的な創造とのあいだには、た