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ゲンバノミライ(仮)第41話 業界団体の詩織さん

「見学会じゃ無く、1日作業員受け入れ会ってできませんか?」
無茶な依頼というのは百も承知だ。だが、何でもそうだが、見ているだけと実際に作業をするのでは実感が全く異なる。そういうイベントにしたら、物好きな若者が都会からも来るかもしれない。
建設関係の業界団体に務める佐野詩織は「やるぞ」と決めた。
首長の柳本統義に投げかけたら、乗ってきてもらえるのではないか。怒られそうだが、突っ走ってみよう。

自分の仕事を話す時、建設業界の団体職員と伝えるというと怪訝な目をされる。でも、あの災害の後に一致団結して道路を切り開いたり、生存者を助け出すために救急隊員の作業を補助したりしていたと言うと、感謝の言葉が返ってくる。このギャップって、部外者だった自分が、建設業の仕事を知ってみて感じた変化と同じだ。

佐野は、高校を卒業して、地元の建設会社に事務職として就職した。社員数十人という小さな組織で、慢性的に人が足りなかった。

「はい、これ佐野さんの分ね」
入社半年後くらいだったと記憶している。社長がヘルメットと安全帯、安全靴など一式を買ってきて、手渡された。
それからは、事あるごとに現場に出て作業を手伝わされた。力仕事はほとんどなかったが、測量の手元や作業補助などにかり出されることは日常茶飯事だった。
夕方に電話がかかってきて、「明日、ちょっと現場に来てよ」と気軽に頼まれるのだ。
「いや、ちょっと領収書の整理があって」などと断ろうとするのだが、そういう時に限って、隣に座っている社長から「そんなのいいから、行ってきてよ」と現場社員への援護射撃が入る。「わかりました」と応じるほかない。

最初は不安だった。だが、現場に入ってみると案外なじめてしまうから不思議なものだ。

決して特別な仕事じゃないということが、現場に出て分かった。
泥まみれになったり、重い物をひたすら担いで身体を壊したり、作業員が喧嘩して怒号が飛び交ったり…。
そんなイメージとは真逆だった。
野外にいれば埃が舞うことはあるが、学生時代にグラウンドで体育をしていたのとそれほど変わらない。なんだかんだ気に掛けてくれていたので、厳しい現場に送り込まれなかったという面もあるだろうから、割り引いて考える必要はあるものの、外側で想像する工事現場と現実は、良い意味でギャップがあった。

手伝うことで役に立っているん実感が得られたことも、大きいかもしれない。

例えば、測量だ。今はもっと効率化されたようだが、初めて現場に行ったころは、レベルと呼ぶアナログな測量機械を使って二人で作業をしていた。現場社員がレベルを三脚で据え付けると、自分は測定箇所に行って、目盛りが付いたスタッフという名前の棒を立てる。現場社員は、レベルをのぞき込んで、スタッフの数字を見て、高さをメモする。そうやって、必要なポイントの高さを測定したり、施工する際に基準とする高さの目印を現地に記したりするのだ。

この作業には、明確なことがある。それは、どんなに優秀な技術者も一人ではできない、ということ。途中でゼネコンに引き抜かれた先輩がいた。指示が的確で、しなやかに作業員とも付き合える。尊敬できる相手だった。

その先輩も、測量の時にはパートナーがいなければ作業が進まない。自分からしたら、言われた場所に立ってスタッフを垂直に立ててじっとしているだけだが、「ありがとう。助かったよ」と必ず言ってもらえた。その一言がものすごく嬉しかった。こんな自分でも役に立っているのだと思わせてくれた。

それから結婚して実家を離れることになった。仕事を続けたかったが通勤にはちょっと遠い。そこで引っ越し先の地域の建設会社を紹介してくれることになった。その時に業界団体の支部の事務局で人をほしがっているという話が持ち掛けられて、今の団体の職員になった。

業界団体といっても仕事は幅広く、本部の方から連絡が来る講習会を会員企業に伝えたり、支部の役員の会議の資料を作ったり、事業計画のたたき台を作って承認を得たり、何でもやらされた。事務局長から指示を仰いでやっていたのが、数年経つと「後は頼むよ」と任されるようになり、支部長の会社や自治体と直接調整する場面が多くなった。気がつけば事務局長代理と言うなんだかよくわからない肩書きが付けられていた。

肩書がつけられたのは単純な理由で、本部の会議などに代理で出させるためだった。そうこうしているうちに人脈が広がり、結果的には良かったと思っている。

あの災害が起きた時は、自治体から協力の要請が来て、会員企業との間に立った。ひたすら電話を掛けて、「何人作業員を出せるのか」「どういう重機が稼働可能か」など聞き取りながら調整する手伝いをした。そうすると、会員会社の担当や自治体担当からも覚えてもらえる。段々と図々しくなり、なじみの社長には冗談も飛ばせるようになった。

最初の頃の混乱が収まり、復興段階に入ると、大手ゼネコンやデベロッパーなどが参画するコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)が結成され、復興プロジェクトを主導していった。地域の建設会社もかなり参画していたので、自分たちの出番は減っていた。
仕事は楽になったが、それはそれでちょっと寂しかった。

そんな時に本部よりもさらに上部団体から現場見学会の企画を持ちかけられた。面白い内容を考えて調整してほしいと。
CJVに任せればきれいに整えてくれる。でも、なんかそれだけじゃつまらないなあと思った。
CJVの中核メンバーはかなり柔軟度が高い。思い切り無茶なことを言ってみよう。

見学会では無く、すべての協力会社に1人ずつあてがって、仕事をしてもらうのだ。建設業は日雇いというシステムが長年機能していた。それと同じことだ。

復興現場見学会なんて、どこでもやっている。見学会ではなく、復興工事の実感会とでも名付けてみよう。
仮に100人集めたら、人数分の日給分のお金がかかるが、それくらいの効果はあるはず。あとは、大手ゼネコンの人たちの立ち回り次第。エリートたちのお手並み拝見、といくのだ。



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