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ゲンバノミライ(仮)第54話 モデルの村井さん

「すごいです!
絵を描かせてください」

最初にそう言われたときに、意味が分からなかった。
誇らしいとか、恥ずかしいとか、そういう感情よりも、馬鹿にされていると思った。新手の詐欺かもしれないと疑った。

村井武則は、解体工事の現場で散水作業を担当している。
新しい建物などを構築する前に、既存の構造物を壊して更地に戻すのが解体屋の役目だ。安全に物を壊すという作業は緻密な計画が不可欠で、難しい現場も少なくない。だが、ダイナミックに構造物が出来上がっていく場面と異なり、壊す作業が人々の関心を呼ぶことなどほとんどない。
ましてや村井がやっているのは、壊す作業ですらない。

そんな自分を描いてどうするのか。

そう思って当然だ。

村井武則が、建設現場で働き始めてから、もう35年になる。
最初は土工だった。重たい荷物を運んだり、重機の手元として資材を積み込む手元をしたり、コンクリート打設作業でバイブレーターを用いて締め固めをしたり、計測機器を持って現場監督の測量を手伝ったり、日々、違う作業をしてきた。
似たような作業はあるが、全く同じ場所で同じ作業を繰り返すことは、ほとんどない。建設現場は、ちょっとずつだが日々刻々と変わっていく。
だが、言われた作業を淡々とこなすだけ。妙な話だが、違うことをやっているけれど劇的に変わることもなかった。だから、自分のような人間でも勤まってきたのだろう。そんな風に思う。

転機が訪れたのは、10年ほど前のことだ。
雑周りの仕事で入っていた大型現場で、解体業者の手伝いを頼まれた。
広い敷地内で、新しい建物を造るエリアと、古い建物を解体するエリアが点在していた。村井は新築エリアの担当だったが、その日は解体業者の手元の作業員が一人、急遽休んでしまったため解体エリアに回された。
そこでやらされたのが散水だった。

コンクリートを壊すと、小さな粉じんが周りに舞い散る。粉じん対策は、騒音や振動と同様に建設現場では対処が必須な重要なもの。粉じんを軽減するために壊している場所に水をまいて、ほこりを抑えるのだ。
作業自体は至って単純。誰にでもできる。そう思った。
解体業者の職長の指示もいい加減だった。
「あのブレーカーが砕いて壊しているところがあるだろ。あそこを狙って、ただひたすら水をかけ続けてくれ」。
それだけだった。

だが、やり始めてみると、簡単ではなかった。
そもそも解体作業は危ないから、近くには寄れないため、離れた場所から狙いを定めることになる。ホースに付いてあるノズルで強さを調整して、うまい具合に角度を合わせないと、狙った場所に届かない。かといって強すぎると、壊している部分を通り越して奥まで行ってしまう。

「おい! 何やってるんだよ! 水くらいちゃんとまけよ!」
ブレーカーのオペレーターに怒鳴られたら、スイッチが入った。
「せっかく手伝ってやってるのに、偉そうに言いやがって」

村井は、目を細めてターゲットとなる解体箇所を凝視した。まずは目算である程度近くまで水が行くようにしてから、ノズルと腕の角度をちょっとずつずらしていき、狙うべき場所に近づけていく。
さっきまでと変えているのは、ノズルを握っている左手に、空いていた右手を添えたことだ。そうすると、些細な動きをコントロールしやすい。徐々に動かせば、狙う場所を当てやすくなる。
だが、一度当てれば済む訳ではない。ずっと当て続けることが仕事だ。同じ体勢でいるときつくなるので、当てる場所は変えないように調整しながら、自分が少しずつ体をずらしていった。遠目には、左右にふらふら動いているように見えるが、当てている場所はぶれずにいる。
解体する場所も徐々にずれていくので、ブレーカーのオペレーターと呼吸を合わせるように散水すると、スムーズに流れていく。

「水まきって、奥深いですね」
昼休みにたばこを吸いながら、オペレーターの小松均に言うと、「そうだな」とぶっきらぼうに言われた。馬鹿にしたような物言いと感じた。
だから仕事終わりに、「明日も頼む」と肩を叩かれたのは意外だった。
大きな現場で解体場所もそれなりに多かった。結局、3週間くらい解体作業に付き合わされた。

解体業者が現場を離れる少し前に、「うちに来ないか」と誘われた。もともと所属していた土工の会社とも話が付いていたようで、周りの仲間から「良かったな」と言われた。引き留められなかったのが若干不満ではあったが、そもそもどんどん違う場所に移りながら働くから、所属する会社がどこなのかなど、あまり関係ない。給料が上がるという話の方が重要だった。

「これからお世話になります」
小松にそう言うと、「そうか」とだけ答えた。
あの日から、ずっとこんな感じだ。本当は陽気な性格で飲むと本性が出るのだが仕事中は寡黙だ。

あれから20年が過ぎた。時折離れることもあるが、小松とのペアが基本だった。
壊していく部分にピンポイントで水を当てるだけではなく、違う角度から散水して、新しく生じたほこりにできるだけ水を含ませることが重要だった。ほこりを抑えていれば、オペレーターも作業する先がはっきりと見えるので、作業を進めやすい。コツをつかんで行くにつれ、たかが水まきだが、円滑な解体を影ながら支える大事な仕事であることが分かっていった。

別のオペレーターと仕事をしてみて初めて気づいたのだが、小松は明らかに仕事が早い。よりスムーズに壊れるツボのようなものをしっかりととらえていて、目の前にある鉄筋コンクリートの塊が滞ることなく崩れていく。そのためには壊す対象が細かく見えている必要があり、村井のサポートが欠かせない。

村井が現場に入るときには、対象物は壊されるのを待つだけの姿になっている。数十年間という期間に、何らかの役目を全うした構造物が目の前で小さな塊に壊されて、徐々に形を失っていく。そして跡形もなくなり、消え去っていく。

「崩れゆく様が美しいんだよ。芸術とか全然分からないんだけど」

村井は、隣に座っている女性画家のソナタに話してから、自分で不思議に思った。
崩れゆく様が美しい。そんな風に思っていたんだと、口に出して初めて自分の中で腑に落ちた気がした。

しばらく間を置いてから、ソナタが口を開いた。

「そうなんですね。
村井さんの今の言葉を聞いて、なんで村井さんを描きたいのか分かった気がしました。

気になったきっかけは腕でした。昔住んでいた街で解体工事があって、その時にほこりがすごくて、嫌だったんです。迷惑だなって思ったんです。
その思い出があったから、解体しているところを目にして、気になったんです。
しばらく見ていたら、びっくりしました。だって、あの時と全然違うんです。壊れている所がよく見えるんですもん。
なんで?どうして?って。

その先にいたのが村井さんでした。
それで分かったんです。水だって思ったんです。村井さんのまいている水がほこりを抑えているんだって。

あの上にいって、双眼鏡でずっと眺めていました」

「そんなことしてたんだ。変な奴だな」

「そう言わないでくださいよ。
1時間くらい見てたから、まあ変な奴ではありますけどね。

村井さんの作業、いや所作っていうんですかね。きれいだなって。じいっと観察していて描きたいなあと思ったんです。

でも、本当に気になっていたのは、崩れゆく先を見つめる村井さんの姿勢というか、人間性みたいなものだったんですね。仕事だから作業している対象に目を向けるのは当然なんですけれど、単に見るという行為にとどまらない感情、なんて言うか愛おしさ、いや艶やかに相手を楽しむような、そんな印象を受けたんです。

私、人間の心の中から沸き上がる自然な欲求みたいなものに惹かれるんです」

「ふーん。それで俺のことを描きたいって思ったんだ。
 なるほどね…。
 うーん。やっぱりよく分かんねえ」

「あはは。いいんです。私、変な奴ですから」

「変な奴じゃねえよ。良い奴だよ」

そういうと、ソナタは満面の笑みで「嬉しい!」と喜んでいた。

ソナタは、30過ぎの若手画家だが、村井でも知っているような海外の有名美術館で展覧会が開かれるような売れっ子なのだという。この国で生まれ育ったがルーツは違うらしく、行きづらい思いをずっと抱いていて、美大を卒業するとすぐに海外を放浪する旅に出たそうだ。海外を旅しながら、気になった風景や人を描いて、インターネットで紹介しているうちに人気に火が付いた。村井は全く知らなかったがテレビや新聞でも紹介されており、企業広告でも引く手あまたの状態らしい。

あの災害が起きてからは、絵を通じて復興を応援しようと定期的に被災地を回っているという。その流れでこの街に来て、目にしたのが村井だった。
仕事上がりの村井を呼び止めると、何度も何度も絵を描かせてほしいと頼み込んだ。あまりの必死さに、村井が「元請けが良いっていうならいいけど」と折れた。ソナタは、復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)に、村井の取材を申し入れると、あっという間に受け入れられた。

あの災害で甚大な被害を受けた家や建築物などは、復興工事の前にあらかた撤去されていた。諸事情から解体が送れていた部分にようやく手が付けられるようになり、できるだけ早期に進めたいということで小松とともに村井が送り込まれていた。そのタイミングに出会ったのがソナタだった。
ソナタは数日間張り付きで村井の作業を見つめ、時折、大きな望遠カメラで撮影していた。
その後は顔を出さなくなり、解体作業が終わる最後の日にもう一度、取材に訪れた。

「わたし、都会のアトリエに戻って、絵を仕上げます。
 書き上げたらお呼びしますので、見に来てください。よろしくお願いします」

そう頭を下げられた。
「ああ、いいよ」
素っ気なく答えた。

本当は飛び上がりたいくらい嬉しかった。だが、そんな姿は恥ずかしくて見せられない。
小松と同じだな。そう思った。

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